第13戦「罠の数は35」
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 薄暗い部屋の中央で、ちろちろと火が揺れている。ルパートとあきらは不気味に燃える和ろうそくを前にして陰鬱にうつむいていた。
『盟主様』
「……はい」
 脳に直接響きわたるかつての部下の呼びかけに、あきらは恐る恐る目を上げる。ルパートは嫌味たらしくフローリングの床を叩き、爪でかすかな音を立てた。カツカツカツ、と脅すようにあきらの顔を見つめて続ける。
『あなたは何をしておられるのです。こうしてこの世界に転生したのは何のためでしたか?』
「ゆ、勇者に復讐するため……」
 怯えを含んだ回答を聞いた途端、ルパートはカッと目を見開いた。
『そう。それなのにここ最近の体たらくはどうですか! せっかく作った惚れ薬はマリアさまの下に消滅。それ以来作戦らしい作戦も実行せずに、ただ学校に通うだけで終わらせる。おまけにわたくしが取っておいたアイスまで食いおってこの食欲魔人! ダメ女子高生! キャラメル味は残しておいてくださいねとあれほど言っておいたでしょう!』
「だ、だってお腹すいたのだー。ファミリーパックはそれぞれが小さいから一個だけじゃ足りないのだー」
『じゃあなんでチョコミントを残すんですか油ボケ。わたくしはミント系はダメだと言ったでしょうこの妖怪油呑み』
「だって我もミントはだめなのだ! 我だってキャラメルが食べたかったのだ!」
 切実なあきらの抗議にルパートは叩く音をさらに強め、ろうそくの火が揺れるほどに力強く床を打つ。
『ええいこのチョー可愛らしい愛玩ペットに緑色の清涼感をプラスするおつもりですかッ。あんなスースーするものを美味しそうに食べるなんて、人間とはなんと恐ろしい生き物か……奴らはキャラメル味の素晴らしい甘ったるさをわかっちゃいない!』
「そうなのだ! ミントばっかり食ってる圭一はダメなのだ!」
『そうです!』
「そうなのだ!」
 お互いに打倒勇者の心意気でエイエイオーと腕を振り上げ、怒りによる興奮はひとまずの収束を見せた。ルパートは荒い息を繰り返しつつ赤い舌を口からこぼす。犬の呼吸を続けながら、後ろ脚で背中を掻いた。落ち着いたのか穏やかな顔に戻り、専用の座布団にどっかりと座り込む。
『……まあ内輪でもめるのはやめにしましょう。この件は盟主様が自腹で特大のキャラメルアイスを与えてくれることで丸く収まったことですし』
「えっ、い、言ってないぞ!? そんなこといつ決めたんだ!?」
『今の問題はどうやって勇者を懲らしめてやるかです』
 冷静となった犬の目は透明に澄んでいた。ルパートは納得のいかないあきらの目をまっすぐに捕まえたまま、企みの声で言う。
『奴はやはり強敵です。思いつきで行動しても簡単にかわされてしまう……ここはじっくりと吟味して動くことが肝要でしょう。まずは案を出すことです。というわけで盟主様、明後日までに勇者を嵌める罠の案を400個ご提出ください』
「よ、よんひゃく!? それは無理だ、無茶なのだー! もうちょっと減らすのだ!」
 驚きのあきらを見てやれやれとため息をつく。口の傍の白い毛がふわりと揺れて元に戻った。
『仕方がありませんね。では450』
「そ、それでもまだ多すぎるのだ……もっと減らしてく」
 言いかけたあきらの声は驚愕に膨れあがる。
「増えてないか!?」
『では270足す320』
「また増えた! だめだ、40!」
『145足す250!』
 叩き付ける鋭い声に迫力で負かされて、あきらはくうと口を曲げるが受け入れるわけにもいかない。なんとか減らしてもらおうと、やぶれかぶれで声を上げる。
「ご、ごごご50!」
『555!』
「ご、ごご55でどうだ!」
『5465ー!』
 光を放つ幻覚が見えるほどに見開かれたルパートの目にあきらは怯むが負けじと声を張り上げる。ルパートもまた引きつるほどに床を踏みしめ吼えるがごとくに数を叫ぶ。挟まれたろうそくの火は交互に揺れて、消えかけては戻り、消えかけては戻り……そんなことを繰り返している間に夜はますます更けていき、ルパートがしぶしぶと35で了承したころには、ろうそくは融けて尽きかけていた。

※ ※ ※

 やはりアイスはチョコレートミントに限る。俺は食後の甘いデザートを穏やかに楽しんでいた。顔が勝手に笑うのはアイスクリームのせいではない。たしかにこれも旨いものだが、それ以上にあきらが姿を見せないことが嬉しすぎた。毎日毎日飽きもせずに俺に絡んでいたというのに、なぜだか昨日あたりから学校でも話しかけないようになった。曇り空に覆われているかのごとくに薄暗く頭を垂れては、寝不足らしき虚ろな目でぶつぶつと呟いている。元魔王はどういうわけだか急激に憔悴していた。
「…………」
 ゆるんでいた顔が曇る。俺は奴の疲れようを思い出して、眉を寄せる。だがすぐに首を振った。
 まあ、何にせよ自業自得なのだろう。そうだ、そうに違いない。
 俺は胃の底を這うわだかまりから逃れるように、冷たいアイスを口に運んだ。
 あいつがどんなことになっていようが、俺には関係ないことだ。むしろ好都合じゃないか。
 そう自問しているのを知ってか知らずか、階段と廊下に騒がしい足音が聞こえてすぐさま部屋のドアが開いた。
「圭一っ、できた、できたのだー!」
「…………」
 やはりというかなんというか、現れたのは元魔王。俺は短かった安息に思いを馳せてさりげなく息をついた。
「できたのだー! ほらっ、見るのだー!」
「はいはい。ったく、今度はなんだよ……」
「ふふん、見て驚くがいい」
 あきらは焦らすように、やけによろけたルーズリーフを赤ジャージの後ろに隠す。そうしてわざとらしいまでの効果音を口で言い、俺の前にその紙を突きつけた。
「じゃーん! お前を嵌めるための罠、35ワナなのだー!」
 俺は思わず呆然とした。スプーンを噛んでいた力が抜けて、からりと机に落としてしまう。
 目の前に晒されたのは箇条書きにされた文章。何度も書いては消したのだろう、紙の表面はぼんやりと鉛筆色に汚れている。大きく書かれたタイトルは「勇者をぎゃふんといわせる作戦」で、その下に続くのは。
「1.どーも君のぬいぐるみにバクダンをしかけて部屋におく(あぶないから花火も可)。2.圭一の部屋のテレビの電源コードを切る。3.圭一の机の中にニセのラブレター(カミソリ付き)を入れておく……血が出るとこわいので画びょうでも可……」
 などなどなど。あきらが宣言したとおり、同じ調子で35箇条のいたずら案が並んでいた。しかしツッコミ損ねたがお前「ワナ」は単位じゃねえだろ。しかし俺の微妙な表情をどう受け止めてしまったのか、あきらは心底嬉しそうに力いっぱい胸を張る。
「どうだ! すごくがんばって考えたんだぞ。効きそうだろう!」
「ああ。これが実行されたらどんなに酷いことになるか……」
「そうだろうそうだろう。我の恐さを思い知ったか!」
 俺はふんぞり返った奴の貧相な胸を見て、縫いつけられた名札を見て、作戦表を放り投げた。
「んじゃ今日からは部屋にどーも君人形があっても近づかないようにしなくちゃな。あとテレビのコードも死守して、机の中もしっかりと確かめて、椅子やコップの中に不審物がないかどうか毎回調べるようにしよう。教室に入る時も黒板消しが挟まっていないかチェックして、体操着は常に手元に置いておくか」
 ぽかんと呆けたあきらの顔が、みるみると青ざめる。頭の悪い元魔王は力いっぱい悲鳴を上げた。
「ああーっ!?」
「わざわざどうもありがとうな。罠の内容教えてくれて」
「ち、違うのだ、違うのだー! こっ、これはこれは、これこそが罠で、ええと、ええと……」
「はいはい。あーアイスは旨いなー。今日も平和でよかったよかった」
「うあー! ちーがーうーのーだー! ルパートに怒られるー!」
 あきらは泣きそうな顔を真っ赤に染めてぶんぶんと腕を振る。半泣きの状態で作戦表を拾い上げると、恨みがましく部屋を出る。
「お、覚えてろー!」
 たまには忘れさせてくれよ。
 そんなことを胸のうちで呟いて、俺は小さく笑みをもらした。どういうわけだか頬がゆるんで仕方がない。ふつふつと湧くものにあわせて俺は声を立てて笑う。原因はわからないが、なぜかやけに楽な気分になっていた。アイスクリームは騒ぎの間に随分溶けてしまっている。俺は不味くなってしまった派手な色の液体を、意味なくぐるりと掻き回した。


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