第9戦「理由はたったひとつだけ」
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 合宿から帰ったばかりだというのに、あきらはもう俺の部屋で漫画雑誌を読んでいる。こいつはいつも朝早くからやってきて、ちゃっかりと俺の母親から昼飯を貰っては夕方まで居座り続ける。下手をすれば夕食まで一緒に食べていこうとするのだ。母親は「あきらちゃん、家に誰もいないなんて寂しいじゃない」などと抜かすが、いくらあきらの両親が仕事に忙しいからといって、一日中元魔王に付きまとわれてはたまらない。せっかくの連休もずっとこいつと過ごすはめになりそうで、俺は寝ころぶあきらの後頭部を忌々しく睨みつけた。
「どうしたのだ?」
「あー? お前がどれだけ邪魔なのか改めて感じてたんだよ」
 鋭い視線が届いたのか、あきらはこちらを振り向いた。言い捨てると不満に頬を膨らせる。
「我は邪魔なんかしてないぞ! ちゃんと黙ってここにいるじゃないか」
「いるだけで邪魔なんだよ」
「なんでだっ。理由を言え!」
 理由、と頭の中で反復してあることを思い出した。俺はしつこく騒ぎ立てるあきらを無視し、思い出に意識を逸らした。



 高橋美加子に告白されたのは、小学校三年の六月中旬、放課後のことだった。あきらの策略により宿題を家に忘れてきてしまった俺は、担任の忠告を受けるために教室に残されていた。一回や二回なら見逃してもくれるだろうが、何しろそれで十回目だ。黒板の隅に記録された名前と注意されるべきことの回数が腹立たしく目に映る。どれもこれもあきらのせいだ。元魔王が俺の日常生活を侵食しているからだ。
 苛立ちながら見上げる傍に近寄る足音。見ると高橋が立っている。
「長谷川くん、残されるのはじめて?」
 肯定すると、高橋は少しはにかむように笑った。
「わたしもはじめてなんだ。いっしょだね」
「高橋、最近遅刻多かったからな」
「知ってたの? はずかしいなあ」
 くすくすと笑う高橋の頬はうっすらと赤く染まる。肌が白いとよく目立つな、と考えながら見つめていると、高橋は恥ずかしそうに顔を背けた。じろじろと見て悪かったかと気がついて、黒板の隅を見る。
「あのね。わたし、寝坊したんじゃないよ。わざと遅刻したの」
 なんで、と聞くと高橋は背を向けたまま俯いた。
「長谷川くんと残されたかったから。……いっしょに帰りたかったからなの」
 さらりと流れる髪から覘く小さな耳が赤かった。高橋はくるりと振り向いて言う。
「わたし、長谷川くんのこと好きなの。つきあってください」
 緊張にこわばる顔が耳と同じく赤かった。動揺している俺の顔と同じぐらい。
 俺は高橋のリスのようなくるりとした目や、小さいけれど上品で、今は乾いて震えている唇をひとつひとつ見つめながら、言葉を失っていた。告白されるのは、この人生では初めてだ。前世では何度も経験したことが、初めてとなるとこんなにも動揺するものなのかと頭のどこかで冷静に考えていた。
「……だめ? わたしのこと、キライ?」
「きっ、きらいじゃないけど、その……つきあうって、例えば?」
 恥ずかしながらも聞いたのは、この世界の小学生の「つきあう」とはどういうことを言うのか解らなかったからだった。高橋は俺の無知を純情なものと受け止めたらしく、年上のような顔をして楽しそうに語り始める。
「毎日ね、いっしょに帰ろ。みんながいないところでは手をつなぐの。おけいこがない時はわたしの家に遊びにきて。ママのクッキーすごくおいしいのよ、お料理教室にも行ってるの。わたし、長谷川くんの家にもいきたいな。そうやって、ずっといっしょにいるの」
 聞きながら俺はひとつの恐ろしい懸念を抱いていた。
 ――教育テレビは。あの素晴らしい番組たちはいつ見るのだ。
 高橋と毎日毎日遊んでいたら「お母さんといっしょ」に始まる一連の教育番組が見れないではないか。まさかこの歳になって欠かさず見続けているとは言いづらい、というか言えない。クラス中に広まって恥ずかしい男として噂になるおそれがある。それは元勇者としてこれほどなく屈辱的だ。
「……どうしたの? つきあうの、イヤ?」
「いっ、嫌というか……あきらがさ、困るだろうなって」
 何気なく口にして膝を叩きたくなった。これだ! これで逃げることができる。
「あいつ毎日おれんちに来てずっと遊んでるんだよ。ゲームしたり、テレビ見たりさ。おれが高橋と遊ぶようになったら、あいつが困るだろ? だから……無理、かな」
 俺は作り笑いで説明した。そうだ、あいつは毎日やってくるし、どちらにしろ俺が高橋とつきあうことになったら邪魔をするに違いない。第一あいつは毎日の登下校にも付いてくるのだ。高橋と三人で下校するわけにもいかないだろう。のけ者にすれば泣きながら追ってくるだろうし。
 高橋が泣きそうな顔をしているので、俺はできる限り明るい調子であきらがどれだけ毎日付きまとっているか、家に入り込んでいるかを焦りながら喋り続けた。あの歳になってもお母さんといっしょが好きで、真剣に見ているとか。嘘ではない。俺はあきらがそれを見ているから仕方なく、という理由でこの歳になっても堂々と番組を見ていられるのだ。その点に関してだけはあきらには感謝していた。
 だが語れば語るほどに、高橋の顔は沈んでいく。俯いて、呟くような声で言った。
「……長谷川くん、あきらちゃんのこと好きなんだね。だからわたしとはつきあえないんだ」
「ええ!?」
 ちょっと待ってどうしてそうなるんだ。いやまあ当たり前の勘違いなのかもしれないが、俺が好きなのはあくまでも教育テレビであってあんな元魔王のことではなくて。だが言うにも言えずに困っていると、高橋は鞄を掴んで走り出す。
「ごめんね、今日のことは忘れて! じゃあね!」
「高橋! 違うんだ、おれは…………いやお前居残りはー!?」
 叫んでみても高橋は廊下を駆けて行ってしまい、俺は後で彼女がどうして帰ったのか担任に問いただされることになる。



「……高橋は可愛かったよなー」
「どうしたのだ? 圭一、理由を答えろ!」
 現実逃避にも似た反芻から目を覚ませば残っているのは元魔王ひとりだけ。結局それから誰からも告白されたことはなく、俺はあれがこの人生で最初で最後のチャンスだったのではないかと時々恐ろしくなる。
「お前が邪魔な理由ね、はいはい。……そりゃひとつしかないだろ」
 そう、既にお母さんといっしょを卒業した俺にとっては。
「お前が俺の人生において何の利点も生み出さず、むしろ害を撒くばかりだからだ!」
 叩きつけるように言うと、あきらはショックを受けたようでよろめきながら後ずさる。だが途中でふと持ち直して表情を輝かせた。
「それは我がお前を困らせてるということだな!? じゃあ、復讐成功だ!」
「ああっ、しまった!」
 思わず頭を抱えると、元魔王は嬉しそうに浮かれて部屋を踊りまわる。
「やったー! 我は勇者に復讐したのだー!!」
「ばーかばーか、こんなショボイことで俺が参るか。まだまだ修業が足りませんねー」
「いいのだっ。次はもっと苦しめて懲らしめて、絶対にお前をぎゃふんと言わせるのだー!」
 苦しいながらに吐き捨てても、元魔王は憎らしいほど軽やかにステップを踏んでいく。
 それを見ながら確かに俺はこいつに人生を潰されているような気がして、憎らしく舌打ちをした。


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第9戦「理由はたったひとつだけ」