合宿生活二日目の夜八時。山寺の本堂で、俺たちはうんざりと住職の話を聞いていた。延々と続く説教は聞き流すにはメリハリが効きすぎていて、つい耳に入れてしまう。話し上手はいいことだが生憎俺は元勇者。神に選ばれた生粋のリジィア教徒だ。生まれ変わったとはいえ仏に教わることはない。 薄暗い本堂はかなり広く、合宿にきた一年生のうち三クラスが詰め込まれていても余裕がある。だがその代わり山寺にありがちな不気味さは薄れているようだった。住職の話が怪談に切り替わっても、皆息を潜めることすらしない。こんなことでこの後の肝試しなど上手くいくものなのだろうか。 泊まりの行事になると必ず誰かが提案するもの、それは肝試し。この合宿にもしっかりと日程に組み込まれていた。寺の中で恐ろしい妖怪の話を聞き、実際にそれが現れるという山道を降りていく。ろうそくを取ってくるなどと言うややこしいルールはなく、ただ単純に寺からの暗い帰り道を利用しただけのことだった。この学校ではそれが毎年の恒例行事になっているらしい。なんとも平和ボケした世界だ。 「……ですから、皆さんもちらちらと瞬くひかりを見つけたら、すぐに目を閉じてください。そうしないと目玉を取られてしまいますから」 多分にお決まりになっているはずの注意事項で締めくくり、住職の長い話は終わった。 あちこちであくびや手足が上げられる。俺も凝った体をほぐすために伸びをして、何気なく前方に飛ばした目を疑った。 「……みっちー、終わったよ。みっちー」 合宿中でもフルメイクを忘れない女、藤野が丸まったあきらの背をなでている。それとは逆にいかにもスポーツ少女といった風情で立っているのは中嶋だ。二人は耳を塞いで震えるあきらを心配そうに取り囲んでいた。 「だめだこりゃ。あ、長谷川くーん。ちょっと来て」 嫌な予感を覚えながらも人を避けて近づくと、藤野は何故だかにやりと笑う。 「さっきのお化けの話、みっちーすごく怖がっちゃって。長谷川君、宿舎に連れて帰ってくれる?」 「ああ? なんで俺が!」 「だってかわいそーじゃなーい。こんなに怯えちゃってさ。いいじゃん、どちらにしろ肝試しはペアで行く決まりなんだし?」 「イベント係の特権でくじ引きは免除してあげるから、あきらちゃんと二人で行きなよ」 藤野ばかりではなく中嶋までもがにやにやと笑っている。ふと周囲を見回すと、クラスメイトほぼ全員が同じ笑みを浮かべている。『照れるなよ』『この恥ずかしがり屋さんが』などという台詞をそこに見つけたのはただの被害妄想だろうか。担任までが長い鼻息をついて楽しそうに笑っている。 「ンフー、このクラスはみんないい子ばかりですネェ」 「先生! そんなに怖がってるんならこいつだけ肝試しから外せばいいじゃないですか」 「しかしですネェ、宿舎への帰り道は肝試しルート以外にないんですよォ。心臓の弱い子や事情のある子は最後に教師たちと帰るんですけどね。何しろ人数も多いので時間がかかりますし、人気のない寺で待つのは怖いでしょう。マァ長谷川君がついていれば水谷さんも怖いものはないでしょう。そんな校則に違反した物を持ってくるぐらい男気のある君ですし」 担任が指差した先を見てぎくりとする。寺の靴箱の裏に隠していたはずの俺の竹刀が、倒れて床に転がっていた。バレバレだ。誰が見ても解るほどに。 「いや、あれはむしろこいつが近寄らないためのもので……」 闇の中で何を仕掛けてくるか解ったものではないので、護身として持ってきたのだ。刀剣類を怖れるあきらは竹刀の先を向けただけで恐ろしげに距離を置く。アレルギーの発生を防ぐために、生活必需品として愛用しているのだが。そんなこと、この色ボケた担任に言って通じるはずがない。 「照れなくてもいいんですよォ。没収はしないであげますから、レディーを送ってあげなさい」 ンフーと長い鼻息をあてられながら、親しく肩を抱かれてしまった。さらに笑顔でとどめを刺される。 「あ、送りオオカミにはならないようにネ?」 誰がなるか! だが忌々しく睨む視線をものともせずに、連中は白々しく盛り上がる。 「じゃ、独り者のわたしたちはさっさとくじ引き済ませますかー」 「はーい」 そうして大した反論の余地もなく、俺とあきらは肝試しの強制ペアに選ばれた。 ※ ※ ※ 山奥の夜はさすがに暗い。まだせいぜい九時近くというのにまるで真夜中のようだった。民家が近くに見えないので明かりは懐中電灯のみ。外灯すらない山道ではこれだけが頼りとなる。 「……お前、本当にあんな子供だましな怪談が怖かったのか?」 隣を歩くあきらに訊くと、奴は素直に頷きかけて、すぐに横に振りなおした。 「こ、怖くなんてないのだ! 全然平気なのだ!」 「へー。その割にはさっきからずっと震えてるようですが?」 馬鹿にして笑うとあきらは震える腕を抱き、なんとか事実を覆そうと考えたすえに言った。 「こ、これは怖いのとは違うのだ! これは、これは……大人のオモチャのせいなのだ!」 俺は思わず担いだ竹刀で奴の頭をぶっ叩く。 「痛いのだ! 酷いじゃないか!」 「誤解を招くことを言うな! 訂正しろ訂正!」 驚かし役としてどこに誰が潜んでいるか解らないのだ、聞かれたら何を言われることか。というかまだ引きずってたのか電動こけしの勘違いを。あきらは頭をさすりながらへっぴり腰で道を行く。ちょいとつつけばそのまま崩れて泣き出してしまいそうだ。そういえば、昔からこいつは怖い話が苦手だった。それでも意地を張り続けるので、子どもの頃はよく苛めて遊んだものだ。 思い出すと、忘れていた愉しみが胸のうちで盛り上がる。俺は意地悪い声で言った。 「そうかそうか。怖くないんだったら、もう一回あの話を盛り返しても平気だよなあ」 びく、とあからさまに揺れる赤ジャージ。俺はそ知らぬ顔で住職の真似をする。 「昔からこのあたりには目食い鬼と呼ばれる化け物がおってな。ぎょろりとしたひとつ目で、それがぴかりと光るんじゃあ〜」 できる限りおどろおどろしく再現しながら、懐中電灯のスイッチに指を添える。 「奴がまばたきする度にちらちらと光が瞬く。それを見た者は目が焼けて動けなくなり、そのうちに近づいた目食い鬼が目玉を抉り取って食い潰してしまうんじゃ。だからちらちらと瞬く光を見つけた時は、目を閉じて……」 「ひゃああ!」 すぐ隣で甲高い悲鳴が上がる。驚いて目をやると、足元にうずくまるのは学校指定の赤ジャージ。懐中電灯を点滅させて、『いた!』だの『出たあ!』だのと叫ぼうと企んでいた俺は間抜けな顔をしてしまう。まだ、何もやっていない。 「で、でででで出たのだー! 光ってるのだー!!」 「はあ?」 震えのままに振り回す指先を確かめると、確かにそこにはちらちらと瞬くひかり。まん丸い形をして、中央に黒い瞳孔を持った白い巨大な目玉だった。 ……正確には、目玉を模した大きなライトに見えるのだが。 光を遮る黒い布が、定期的に外されてはまた被せられる。原始的な点滅を作る人影は、俺に向かって親指を突き立てた。無駄に元気なスポーツ刈りが光の合間に浮かび上がる。お節介焼きのバカ班長こと松永義雄は口の動きで『グッドラック!』と言い捨てた。指の形違うだろ。 俺は山道にうずくまる元魔王を見下ろしながら、なんでこんな子供だましに気づかないんだ、とか松永を始めとするクラスメイトの気遣いは何事か、とか色々と考えて禅の境地に入りそうになってしまう。いかん異教に洗脳されかけている。しかもそれでは禅宗だ。 「おい、あきら」 「み、見ちゃだめなのだ! 圭一、お前も目を閉じるのだー!」 「閉じたら歩けないだろ。もう消えたからちゃんと見てみろ。ほら、さっさと行くぞ」 いつまでもこんな場所に居残るわけにはいかないのだ。俺は竹刀の先であきらを突付き、一人で先に歩きだした。弱々しい声を上げて元魔王は立ち上がる。 「ま、待って……」 そうしてよろけながらもこちらに向かって歩き出したと思った途端。 またしても別の場所にちらちらと白い光が瞬いた。 「ひあ――!!」 情けない声を上げてあきらがこちらに突進したので、俺は思わずじんましんを避けるために勢いよく竹刀を振り上げ、 「め――ん!」 と一喝して奴の頭に一撃を打ち込んでしまった。 まずい、と気がついたのはあきらがへたりこんだ直後。痛みとショックで言葉を失った奴は、力なく涙を流し始めた。 「わ、悪い。つい反射的に……」 いくら元魔王でも、助けを求めて飛びついてきた者を殴るとは。俺は珍しくも本気で謝ってしまう。だがあきらは消え入りそうな嗚咽を上げてはか弱い仕草で涙を拭った。多分、嘘泣きではない。 「お……お前が飛びつこうとするのも悪いんだ。しょうがないだろ、触ったらアレルギーが出るんだから。謝ってるだろ、いつまでも泣いてんなよ! ほら、行くぞ。立てよ!」 こんな言い方をしてはいけないと思っているのに口が動く。つい厳しいことを言ってしまう。それでも立とうとしないあきらは、涙声で呟いた。 「おばけ……」 は? と聞き返すと情けない声で言う。 「おばけ、こわいのだー……」 あまりにも弱々しい泣き言に、俺はがくりとうなだれた。そうかそうか、お前は殴られた痛みよりも、お化けの方が大事なのか。というかそもそもなんで仕掛けに気づかないんだ。二回目のフラッシュはお前の友だち、中嶋の仕業だぞ? 今だって林の影で申し訳なさそうにこっちを見てるじゃないか。 だがあきらは恐ろしくて目をあけられないのだろう。震える手でしっかりと瞼を覆い、小さく小さく縮まって地蔵のように固まっている。このままでは後から来るペアに迷惑だ。遠くから近くから、松永と中嶋もジェスチャーで色々と訴えている。 俺は進退窮まる気分になって、仕方なく、竹刀の先であきらをつつく。あきらがびくりと怯えるのを見てまずかったと考え直し、持ち替えて、柄の方で奴の手に軽く触れる。 「ほら。怖いんなら掴まれよ」 あきらは驚いたように俺を見て、すぐに思い出したように固く目を閉じてしまう。だがそれでも蜘蛛の糸に縋るように竹刀の柄をぎゅうと握った。同じく口もきゅうと結ぶ。 こちらを頼る姿を見て落ち着かない気分になって、俺は声を張り上げた。 「それ以上近づくなよ。アレルギーが出るんだからな!」 「わかったのだ! 圭一、よろしくなのだ!」 震えながらも真剣に掴まる様子がなんだかおかしく感じられて、つい口元がほころんだ。 俺は竹刀の先を掴んで慎重に進み始める。 「よし、じゃあゆっくり行くぞ。足元気をつけろよ」 「気をつけるのだ! 圭一もおばけには気をつけろ!」 「俺はあんなちゃちいお化けにやられるような男じゃねーよ。返り討ちにしてやらあ」 よくわからない優越感から浮かれたことを口走ると、あきらは目を閉じたまま嬉しそうに笑って言った。 「じゃあ、お前がいるなら大丈夫だな。圭一、我を守ってくれ!」 心から安心しきったような、俺に全てを任せるような、信頼に満ちた笑顔。 俺は思わず魔王や魔獣のことも忘れて、ごく普通の女の子に見える顔をまじまじと見つめてしまう。 「……まあ、考えとくよ」 声に動揺が滲んだことに気づかれてしまっただろうか。俺は何気なく歩きだした風を装いながらも、付いてくるあきらの様子をちらちらと窺った。俺だけを信じて頼りにしてくる、幼くて、馬鹿で、間抜けで、情けなくて色気もない奴の様子が、どういうわけだか気になって仕方がなかった。 あきらが目を閉じていて、本当に良かったと思った。 「圭一は強いから、おばけが出ても平気だな」 「そうそう。一発で倒してやるよ」 「あ、でも一発じゃない方がいいな」 「はあ?」 調子に乗って喋っていると、あきらは笑顔で主張する。 「ついでにおばけとお前が戦って、共倒れになってくれたら我はすごく嬉しいぞ!」 「てめえそれが本音かよ」 結局はいつも通りの元魔王の策略に、俺は竹刀を強く揺する。 「離すぞコラー」 「あっ、あっ、だめなのだ! ずっと持っててくれなのだー!」 慌ててしがみ付いてくるのを笑ってまた揺すり、怯える奴をからかいながら、俺たちはゆっくりと暗い道を歩いていった。 |