第6戦「変人は誰だ」
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 高校に入学してから、俄然ため息の回数が増えた。ついでに言えば「中学生の時は良かった」「いやそれよりもやはり子どもの頃が」「それを言うなら現世よりも前世の人生の方が充実度は遥かに上だ。ああどうして俺はあんなに早く死んでしまったんだ」と命の儚さを嘆きながら現実逃避に走る数はうなぎのぼりだ。それもこれもクラスメイトと担任の態度が気に入らないからである。
 窓辺の壁に寄りかかってそんなことをつらつらと考えていると、魔王が傍に寄ってきた。マジックで『生物室』と書かれたごみ箱の片端をこちらに向ける。
「圭一、ゴミを捨てに行くぞ。焼却炉までそっち側を持っててくれ」
「誰が。独りで行けよ、小学生かお前は」
 今は放課後の掃除時間。俺たちの班は男女五人で生物室とその準備室を担当している。だが机の上げ下げも必要ない教室の掃除など、雑談とくつろぎの場に成り下がるのが世の常だ。この場所も例にもれず和やかな休息の場と化していた。退屈ながらも楽ではあるので考え事をしていたのだが、どうしてこんな時にまでこいつに付きまとわれるんだ。
「でもじゃんけんで決まったんだ。いいじゃないか、すぐそこだし」
「それならお前だけでも十分だろ。ほら、あっち行けよ暑苦しい」
 ほうきを剣の形に構えて威嚇すると、あきらは怯えるように一歩引く。ごみ箱を手に警戒する奴を見ながら、竹刀でなくてもポーズを決めるだけで有効なのかと感心したところで首筋に長い鼻息を感じる。
「おおう!?」
「ンフー、駄目ですヨォ長谷川君。女の子をイジメちゃあ」
 爆発的なドレッドヘアーにおそろしく長い睫毛。動物に喩えるならばラクダ以外の何物でもない担任教師は鼻息とともに首を振る。ふさふさとした髪の毛がむさくるしく揺れ動いた。
「そんな戦いごっこで好きな子を苛めるなんて、それこそ小学生男子の十八番ですネェ」
「そうそう、大人気ないし女心がわかってなーい。みっちーは長谷川君と一緒に行きたいんだよね?」
 そう言って俺の非難に加わるのは、入学初日の一件以来すっかりあきらと仲良くなった藤野壱香だ。校内だというのに気合のこもったフルメイクとは恐れ入る。どうやら藤野はあきらのことを愛玩動物か何かと思っているようで、奴を背中に庇う形でよしよしと頭を撫でた。
「そうなのだ。我は圭一と一緒に行きたいのだ!」
 どうせその後に「そして隙さえあれば焼却炉に突っ込むのだ」とか「階段から突き落としてぎゃふんと言わせるのだ」とかが続くんだろ極悪魔王。子どもの頃からずっとそうだ。奴はその幼い笑顔で周囲の大人たちに懐き、俺を悪者に仕立て上げた。
 確かに俺は奴に冷たく当たっているが、それは正当防衛だ。暇さえあれば川に突き落とそうとする、自転車で轢こうとする。そんな奴にどうして優しくできようか。無邪気なそぶりを見せていても結局は悪の生物なのだ、完全に気を許すわけにはいかない。
 という理屈がみんなに説明できたなら、どんなに気が楽だろう。いくら奴が凶悪な魔獣の王の生まれ変わりと言ったところで、この世界の人間たちに通用するはずもない。そうして今日も、生物室に集まった同じ班の面々は俺に向かってにやにやとした笑みを投げる。
「別に俺たちに気ィ遣わなくてもいいから、行ってこいよラブラブ愛の焼却炉に」
「さあ、恥ずかしがらないで。大丈夫見ないふりをしていてあげよう。おいみんな、後ろ向いとけー」
 藤野や担任だけでなく、調子のいい男子生徒までもが俺たちをからかい始める。生物室の中の空気は奇妙なまでに統一された盛り上げムードとなっていた。高校に入ってからずっとこうだ。初日のあきらの間違った『告白』で、俺たちは完全に幼なじみカップルとして公認されてしまったらしい。迷惑だ。はっきり言って迷惑以外の何物でもない。
「勘違いするな。俺はこいつが嫌いなんだ! 毎日毎日部屋にまで押しかけて、付きまとって……」
「なんだよもうのろけるなよー。ラブラブじゃん? ラブラブじゃん? 俺もこんな可愛い彼女欲しいなー」
「二回言うな鬱陶しい。こんな変人のどこが可愛いんだよ」
 今は人間として生まれているが、前世では担任のドレッドのような毛並みの大型犬に、水牛の角と邪悪な牙をつけて、その挙句に手足を伸ばして二足歩行を可能にした風情の生き物だったんだぞ? しかも毒をもつ沼の泥を全身に被っていて、その腐臭は肥溜めを越えるほどだ。そんな不気味な生き物の何が「可愛い」だ。だがそんな事情を知らない藤野はあきらの頭を撫でて言う。
「みっちーカワイイよねえ。可愛くてー、健気でー、長谷川君のことが大好きで。こんなにいい彼女いないよ? それなのに冷たくするなんて、長谷川君の方が変人だよ。一緒の班になれてすごく喜んでたし、放課後だって毎日部活が終わるのを待ってまで一緒に帰ろうとしてるのに、いっつも竹刀で苛めたりして酷いよねー」
「そうなのだ! 圭一は酷いのだ!」
 何が酷いだ。お前が前世でやったことに比べれば……と言いたくとも口にはできない。汚らわしい魔獣たちは山の噴火を引き起こし、人間たちに甚大な被害をもたらした。その上、神の聖地を占拠して教会に宣戦布告を叩きつけ、近くの村を襲うなどして戦いに誘い込んだのだ。滅ぼされてしかるべきことをしたというのに、ここまで恨みを主張されてはこちらの気も治まらない。
 そう考えると途端に腹が立ってきて、むかつきのままに口を開いた。
「酷くて結構。お前みたいな汚らわしい生き物にまとわりつかれて毎日迷惑してるんだよ。極悪人でも人でなしでも問題ないね、お前さえ傍に寄らなきゃな。気持ち悪いんだよ、今度から俺の半径五メートル以内に近寄るな」
 今でも前世の姿を思い出すだけで異臭が漂いそうな気がする。魔獣の毛は触れれば毒だ。伝染病を引き起こし、老人や子どもの体を壊死させる。目の前にいるのは、女子高生の皮を被った害をもたらす生き物だ。そう考える度に、病によって死んでいった民草たちの最期の姿が脳裏に浮かぶ。
 これは魔獣だ。汚らわしい生き物だ。
「……お前はいつもそうだ」
 あきらの顔に敵意が走る。そのまま、泣きそうな声で呟く。
「我は何もしてないのに、いつも近寄るなって……我は、我はそんなことは言われたくないのだ。ちゃんと毎日風呂にも入ってるし、手も洗ってるし、シャンプーだっていい匂いのを使ってる! 我はもう臭くないのだ、汚くないのだ! なのになんで近寄っちゃだめなのだ。我は圭一に、圭一に……もっと……」
 涙に詰まりかけた声はそこでぴたりと止んでしまった。取り囲む班員の表情に俺に対する非難が浮かぶ。あきらへの同情も同じぐらいに混じる視線が俺の肌に突き刺さる。俺は背を向けて逃げ出したいほど居たたまれない気分になって、思わず息を詰まらせた。
 そんな周囲の様子を見ていたあきらの顔が、ほんの一瞬にやりと歪む。咄嗟に走る嫌な予感。だが時は既に遅く、俺を追いつめる作戦を思いついた魔王は涙を流すふりをする。
「圭一は恋人なのに、手も繋いでくれなくて酷いのだ!」
「はあ!?」
 反射的に声を上げるが魔王は顔を両手で覆い、哀しげに訴えた。
「我はもっとくっついたり、抱きしめて欲しいのに……最近、近寄るだけで怒られる。圭一は我のことが嫌いになったのだ。きっと他に好きな女ができて、我は飽きて捨てられる運命なのだ……!」
「長谷川君ひっどーい。何それ、サイテー」
「恋人とのふれあいを避けるなんて、いけませんヨォ」
「ちょ、ちょっと待て騙されるな! そもそも俺は……」
 だが言い訳や反論を封じるように、近くにいた男子生徒がいやに浮かれた声を上げた。
「いや、こいつきっと恥ずかしがってるだけなんだよ。よっしゃあ、みんな押さえろー!」
「オーケイ班長! 水谷、ラブラブアタックだー!」
「うわ、バカ離せっ。おい!」
 いきなり二人がかりで両腕を押さえ込まれる。まさかまさか。嫌だやめろ離してくれ。青ざめながら心の中で叫んでみても、暴れてみても人数で既に負けだ。体中が拒否感にざわついている。そんな俺の胸に向かって、魔王は心から嬉しそうな全開の笑顔で駆け寄った。
「けーいちー!」
「く、くく来るな――!!」
 両手を広げて俺の首に飛びついて、勢いで俺の体は大きくかしぐ。男子どもが楽しそうに離れたので俺はそのまま床に倒れ、あきらに押し倒される形でのしかかられて体中の息を吐く。重いけれど柔らかく暖かい感触、耳元に触れる弾む息。それらが全て元魔王のものだと感じた瞬間、視界が白むと同時に全身を不快な痒みが駆け抜けて、俺は意識を失った。




「……心因性アレルギー?」
「はい」
 返事がこれほどなく不機嫌に曇るのは仕方がないことだろう。ドレッドな担任教師は困った顔で俺を見下ろす。俺は俺で、奴の顔を見返さないよう物言わぬ壁を見た。いかにも保健室らしい骨格図ポスターの骸骨に、嘲笑われたような気がした。
 水谷あきらアレルギー。俺はこの持病のことをそんな名前で呼んでいる。奴の前世の姿を知っているからだろうか、俺はあきらに接触するとじんましんが起こるのだ。今日のようにごく近くで触れた時は、失神や熱すら伴う。現に今も大分時間が経ったというのに熱や痒みが引いていない。痒いのを通り越して痛みすら感じるので、喋ることすら億劫だ。
「それはなんというか……そうですか、君たちは運命の波に弄ばれているのですね……」
 完全に何かを勘違いしている担任にツッコミを入れる気にもならない。アレルギーが出るなんて知らなかった、とすっとぼけたあきらのせいで、俺は「突然アレルギーが発生して恋人に触れられなくなった可哀相な男」であり、「心配させないよう、それを恋人には隠していたシャイな奴」ということになったようだ。ふざけるなと言いたくても、弁解するべき生徒たちは既に下校を始めている。明日にはクラス中に話が広まることだろう。
 もちろん長年の腐れ縁であるあきらが病気について知らなかったわけがない。奴は俺が苦しむのを知っていていたからこそ、あんなにも嬉しそうに抱きついてきやがったのだ。昔からずっとそうだ。アレルギーを起こすために、あいつは事あるごとに俺に接触しようとする。
「ああそうだ、松永君から伝言ですよ」
 ふと思い出したように渡されたのは、明らかにノートの端を破って折っただけの手紙。表には汚い字で「班長より」と記されている。そういえばあの浮かれた班長は松永という奴だったか。無駄に元気のありあまったスポーツ刈りと名前が初めて一致した。
 何となく嫌な予感を覚えながら雑な手紙を開いてみると、中にはシャーペン書きで一言。
『アレルギーなんて大変だな! でも変人として水谷はだいじにしてやれよ!!』
 内容よりもまずその初歩的な間違いに、俺は心底疲れを感じてぐったりと目を閉じた。
 明日からは、ため息の回数が倍になる予感がした。


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