第3戦「パラボラアンテナ危機一髪」
←第二戦「ろ」  目次  「に」→



 うつらうつら。うつらうつら。心地よい春の日差しに照らされて、魔王は眠りこけていた。時折冷たい風が吹くが、体をなでていくそれは眠りを邪魔するものではない。うつらうつら。うつらうつら。魔王は四肢を丸めて眠り続ける。
 随分と下の方から竿竹屋の声がして、まどろみはそこで途絶える。魔王は凝り固まった体を伸ばそうとして、それが出来ないことに気づいた。体が、動かない。指先一つ動かせない。それどころかそもそも指というものがなかった。手足が存在しなかった。
 魔王は、パラボラアンテナになっていたのだ。
(そんなバカな――!!)
 混乱していつものようにわたわたと慌てようとするが、頑強な鉄の体は震えることすらしなかった。円盤が風と電波を受信する。その度に体の奥でむず痒い痺れを感じる。間違いない、彼女は今や魔王でも水谷あきらでもなく衛星電波受信機と化していた。
「気がついたようだな」
 竹刀を肩に乗せた圭一がアンテナの前に立つ。魔王は半身をベランダの外に晒したまま呆然と彼の気配を受信した。圭一は屈みこむようにして円盤に話しかける。それも全て気配で知れる。
「まさかお前がパラボラアンテナに生まれ変わるとはな……おい、誤解するなよ。今度のは完璧な事故だったんだ、俺が殺したわけじゃない。勝手に死んで勝手に人をやめたお前は、パラボラアンテナに生まれ変わったってわけだ。ま、この忌々しい呪いのせいで俺たちはどこまでも巡りあうはめになってるからな、お前は俺の家のアンテナとして生きることになったんだろうよ」
(そんなっ。我はアンテナになってしまったのか!? これからずっとアンテナのままなのか!?)
「ああ、そうだ。しかし俺にとっちゃこんなに都合のいいこともないよな。何しろそんな体じゃ俺に危害を加えるなんざとうてい出来やしないだろうし? はっはっは、これで俺様の人生も安泰ってことだろうよ」
(くそう、そんなばかな、ばかな! これじゃ復讐どころか何もできないじゃないか! むしろ放送を受信したりして勇者の役に立ってしまう! ああ、我はどうして死んでしまったのだ。どうしてパラボラアンテナなんかに生まれ変わってしまったのだ!!)
 悔しさからせめて歯を噛もうとしても動かすべき部位はない。魔王は悔しさに身をよじろうと無駄な努力を行ないながら、電波を受信し続けた。空中から飛んでくる見えない波長を体で受ける。繋げられたコードへと機械的に渡していく。
 このまま勇者のために延々と働き続けるのか、と思ったその時。下方からバイクが止まる気配がした。どうやら玄関先に誰かやってきたらしい。勇者がハッと息を飲む。
「まずい、NHKの集金屋だ! あきら、隠れろ!」
(隠れろって言われても無理なのだ! 動けないし、第一なんでそんなこと……)
「馬鹿、うちは受信料払ってないんだよ! 民放しか見てませんって毎回誤魔化してるんだ」
 魔王は愕然として心の奥を震わせる。そんな、払っていなかっただなんて!
(だって圭一は毎日毎日教育テレビを見ているじゃないか! むしろおじゃる丸が大好きで、夕方の一連の番組なんか部活で見られないからって録画までしてるじゃないか! おじゃる丸総集編とか天才テレビ君総集編とか作って、それを人に見られるのが恥ずかしいからビデオのラベルには月九のタイトルを書いてるじゃないか! 民放なんて滅多に見ようとしないくせに!)
「ああそうだ、俺は教育テレビマニアだよ……にゃんちゅうの物真似がかくし芸だ。だが受信料は払っていない! いいか、集金者にお前がいるのを見られたら『衛星受信してるじゃないですか』とか言われるに違いない! そうしたらうちは破滅だ、家計はもう崩壊だ!」
(そんな! なんで払わないのだ!? それぐらい出せないのか!?)
 両腕があればしがみつく勢いで問いかけると、勇者は暗くうなだれる。
「お前には黙っていたが……実はうちの親父、リストラされたんだ」
(えっ……おじさんが? あのハワイアンセンター大好きなおじさんが!?)
「そうさ。親父があまりにもハワイアンセンターの良さを強調するから、イタリアン好きの上司の怒りを買ったんだ。そのせいでうちはNHK受信料すら払えなくなっちまった! お前のような金持ちにはわからない苦労だろうよ」
 玄関のチャイムが鳴る。勇者はベランダから庭を見下ろして忌々しげに吐き捨てた。
「くそっ、魔王、早く隠れろ! お前が見つかると天テレが見れなくなるだろ!」
(そんな、だって逃げろったって身動きが取れないし!)
「馬鹿やろうそれでも魔王か!? いいか、ヤツらは鬼のような生き物なんだぞ! 金が払えないと解ると『ああそれではお言葉通り民放しか見られないようにしてあげましょうねえ』とか言ってパラボラアンテナを略奪してしまうんだ!」
(そんな! じゃあ我はどうなるのだ!?)
「悲しきパラボラアンテナの墓場にガツンと投げ捨てられてしまうのさ……」
(そんなー! いやだー! そんな一生は嫌だー!!)
「しかも燃やされるわけでもないから何年もそのままだ」
(嫌だー! ああっ集金の人に見つかる! 隠せ! 勇者、我を今すぐ隠すのだ!!)
 全身全霊をかけて動こうとするが鉄の体はびくともしない。ひしひしと感じる集金者の気配に泣きたい気分でもがいていると、勇者は背を向けて部屋の中へと去ってしまう。
(勇者、我を助けてくれ! 頼む、お願いだ!)
 だが勇者は振り返らない。哀しげにうなだれた背中がみるみると消えていく。
(勇者、勇者! ……圭一――!)
 魔王は動かない身を心の中で震わせながら、全力で彼に叫んだ。
(圭一、助けてくれ――!!)




 はっ、と息を呑んで魔王は目を見開いた。景色は暗くほこり臭い。押入れの上段だ。忍び込んでいるうちについ眠ってしまったのだ。
 そうか、夢か。魔王は動く手足を見つめて大きな大きな息をつく。赤ジャージを着た人間の女の子だ。間違いのない、水谷あきらだ。再確認したところでかすかに聞こえる音に気づく。テレビの音だ。のんびりとした曲調の平安アニメのテーマソング。北島三郎の歌声を引き裂くように、あきらは押入れの内側から全力でふすまを開けた。
「なんで助けてくれなかったのだー!!」
「おお!?」
 こっそりと録画ビデオを楽しんでいたらしき圭一は、驚いてリモコンを落とす。慌てて画面を隠そうとするが動揺のあまり上手く行かない。彼は止まらないテレビに被さって、真っ赤な顔で非難した。
「なっ、なんでそんな所に! また潜んでたなこの馬鹿魔王!」
「ひどいじゃないか、我が助けてくれと言ったのに! そんなに教育テレビが好きか、受信料がもったいないか!」
「ばっ、ばかやろう俺はそんな幼稚な番組っ、み、みみ見るはずが……」
「隠しても無駄なのだ、我は全部知ってるのだ! そこに隠してあるビデオは全部、本当は月九じゃなくて教育番組の総集編なのだ! お前はいつも我がこっそり忍んでる間ににゃんちゅうの物真似とかして遊んでるのだ、アルゴリズム体操も毎回欠かさずやっているのだ!」
「うわー、言うなー!!」
 圭一はこれほどなく赤い顔で耳を塞ぐ。まだ夢から醒めきらないあきらは、混乱のまま延々と元勇者の密かな趣味を暴露した。夕暮れの室内に恥と悲鳴が響き渡る。部屋の外では物言わぬアンテナが静かに電波を受信していた。騒がしい人間たちなど見向きもせずに、ひっそりと佇んでいた。


←ろ「ろくな男じゃありません」  目次  に「二枚目と三枚目」→

ホーム/掲示板/感想掲示板/日記

Copyright(C) 2004 Machiko Koto. All rights reserved.
第3戦「パラボラアンテナ危機一髪」