第2戦「ろくな男じゃありません」
←第一戦「い」  目次  「は」→



 桜咲く校庭を抜け、俺は真新しい制服に身を包んで古びた校舎の中に入る。この二度目の人生も、今日から高校一年生。中学の時とは違ってブレザーなので、ネクタイを上手く締められなくて少し時間に遅れてしまった。だが定時にはまだ五分ある。クラスは五組、教室は目の前だ。既に中には大勢のクラスメイトが待機しているようで、スチール製のドア越しに騒がしさが伝わってくる。俺は緊張と期待の混じる思いを抱え、新たな生活への扉を開け放とうとした……のだが。
「えー、長谷川ってそんなに嫌なやつなの?」
 甲高い笑いと共に自分の名字が飛び込んできてぎょっとする。そのまま耳を澄ましてみると、聞くだけでも腹が立つお馴染みの声が後に続いた。
「そうなのだ! 鬼のハセガワこと長谷川圭一、十五歳。出席順からしてここに座ることは間違いない……あんなろくでもない奴の隣とは、藤野さんも新学期初日から大変なことになったのだ……」
 確かに俺は十五歳の長谷川で圭一だが鬼ってなんだクソ魔王。だが心中でのツッコミが奴に聞こえるはずもなく、ドアにはまるガラス越しに覗いてみれば、あきらはわざとらしいため息のポーズを取っている。後ろの席に着いているのが藤野さんとやらなのだろう。新学期初日から派手な茶髪に短くしたスカートとは恐れ入る。
「うそー。やだなあ、具体的にはどんな奴なの?」
「そうだな……あいつはまずこの席に座るだろう。その時、オナラをする」
 しねえよ!
「やだー! おならって!」
「それはもうスゴイ屁だ! お尻がブバッと宙に浮いてしまうんだ!」
「ありえなーい!」
 藤野は腹を抱えて笑い始める。全くもってその通りだ。ありえねえよそんなジェット噴射。
「本当なんだ、しかも死ぬほど臭い! そういうひどいやつなんだ!」
「あはははは! みっちーってオモシローイ!」
 いきなりあだ名で呼ばれているが、あきらはそれを気にもせずに真剣な顔で続ける。
「いいか、これはただごとじゃないんだぞ。圭一は鬼だ。いつも竹刀を持ち歩いて、自分が剣道部であることを必要以上にアピールするんだ。そして持っているくせに使わないんだ、一度も! あれは『和風でちょっとイケメンの俺』をわかりやすくアピールするためのものに違いない。でも本人はアメリカ至上主義で野球好きだ! なのに野球部じゃないんだ、坊主になるのが嫌だから!」
「やだー。なんかキモーい」
 キモいとか言うなギャルもどき。それ以前にあきらの言葉が気に食わない。全くの嘘ではなく本当のことをおりまぜているからタチが悪い。俺は思わず憎々しげに遠いあきらの顔を見つめた。あのバカ魔王はいつもそうだ。俺が嫌がるようなことを企んでは練りこみもせずに実行する。
 あきらはいつも通りうなじの辺りで髪をゆるく二つにくくり、あか抜けない間抜けな顔を嬉しそうにほころばせる。そんなに俺の評判を落とすのが嬉しいかバカ魔王。そう思うと能天気な明るい笑顔が憎らしくてしかたがない。どうせ頭の中では「作戦成功、これで我の勝ちなのだ!」とか思っているに違いない。
「ていうかイケメンとかありえないから。サムいから」
「そうなんだ、存在自体がサムいんだ! 本当、あいつはろくな男じゃない」
 あきらが満面の笑みで語り終えたその途端、藤野の後ろの席にいた女子生徒が身を乗り出した。
「えー、でもここの担任よりはマシでしょ」
 あきらも藤野もきょとんとして彼女を見つめる。女子生徒は二人に向かって喋り始めた。
「多分、ここの担任のオナラの方が強力だよ。わたしお姉ちゃんがここの二年だから色々とそいつの伝説聞いててさー、それがすごいのなんのって。教卓についた途端にオナラオナラオナラ。暇さえあれば爆発的なオナラをするとか」
「えー、うそー」
「そ、そうだ、嘘なのだ! 圭一を越えるオナラマンがいるわけ……」
 あきらは妙に慌てた様子で俺の名誉を傷つけるが、女子生徒はさらに続ける。
「あとその先生は竹刀どころじゃないの、ボウリングの球を持ち歩いてんの! なんか昔はプロボウラーを目指してたとかで、今でもアマチュアでかなりのレベルとか言って。それで『ンフー、やっぱりこれがないと落ち着かないんですよネェ』ってのが口癖なのね。授業中も暇さえあればその球を愛しげに撫でて。名前まで付けてんのよ、マサコだって。それ奥さんの名前なのよ!」
「えー、ちょっとそれキモイにもほどがあるー。そっちの方が断然ろくな男じゃないじゃん」
「そ、それはないのだ! 圭一の方が絶対にろくな男じゃないのだ!」
 唐突なライバルの出現に、あきらは必死で俺のレベルを上げはじめる。
「圭一だってオナラはすごく強力だし、随時出し続けてるし! 竹刀にはシナ子ってつけてるし! 時々ほお擦りしてるんだ!」
 名誉毀損ありがとう元魔王。あとで絶対シメてやる。
 だがこのクラスの担任はよほどすごい男らしい。女子生徒は平然と話を続けた。
「あ、その先生もほお擦りするらしいよ。しかもそいつドレッドで、なのに仕草はオカマくさいの。濃ゆいよねー」
「け、圭一だってオカマだ! むしろゲイだ! 二丁目のバーが行きつけの店だ!」
「あ、その先生副業でやってるって噂だよ。ソッチのお店。あとドレッドのうちの一本にボウリングのピンの形した飾りつけててー、そのピンのラインの色が曜日ごとに日替わりで。職員室の机の上にずらりと並んでるの。圧巻らしいよー」
「け、圭一だって、圭一だって……」
 そこまで来るといくらなんでも思いつかなくなったのだろう。あきらは泣きそうな顔でもごもごと口を動かす。女子生徒はため息をついて言った。
「ま、何が一番すごいって、それで女の子に大人気らしいことだけどねー。お姉ちゃんもそいつのファンなのよ。もうモテモテで、女子生徒から保護者にまで好きだって言われてるんだって。そんな変なやつなのにさ。ホント、ろくな男じゃないよねえ」
 あきらは困り果てた表情で、途切れ途切れに言葉を紡いで俺を目立たせようとする。
「け、圭一だって変なやつなのにモテ……ないけど、でも、好きだって言われることは……言われることは……」
 あるよあるよ一回あったよ小学校三年の時。というかお前今まで嘘ばっかり言ってたくせにどうしてここで素直になるんだ。そんなに俺がモテない奴に見えるのか。ああ?
 そう目つきで訴えても奴が俺に気づく気配はない。あきらはどうしても俺を担任よりもレベルが上だと言いたいらしく、懸命に首をひねっていたが、途端にぱっと顔を明るくした。
「そうだ、ある! 圭一も女の子から好きだって言われる男だ!」
 おおやっと気づいたか。小三の十月だ、同じクラスの高橋美加子だ。
 だが俺の念を避けるように、あきらはほがらかな笑顔で言う。
「あいつは今から初めて言われるんだ!」

 ……待て。
 初めてってなんだ。今からって、なんだ。
 降り湧いた嫌な予感を裏付けてしまうように、元魔王は満面の笑みで言い切った。

「我は圭一のことが好きだ! 大好きだ!!」



 教室は一瞬静かになり、その後で、地の底から湧き出るような囁き声があきらを取り巻く。やや引いて奴を眺める数十人には、奇妙な連帯感が生まれていることだろう。気まずい空気が奴を囲む。
 凍りつく俺の首筋を、生温い息が撫でた。
「ンフー、ハイハイハイ時間ですよー。早く教室に入りなさーい。ええと、君は……」
 ぎょっとして振り向くと、そこにいるのは小脇にボウリングの球を抱え、爆発的なドレッドヘアーにボウリングのピンの飾りを刺したひげの濃い男だった。噂に名高いこのクラスの担任だ。そいつは屈みこむようにして俺の名札を確認し、むふうと長い鼻息をつく。
「長谷川圭一君ね、ハイハイハイ判りました。はい教室入ってー、ホームルーム始めまーす」
 担任は俺の背中を抱く格好でずかずかと教室の中に入っていった。途中でぽいと放り出されて俺はただ立ち尽くす。三十余数の熱い視線と囁き声を一身に受けながら自分の席らしき場所を見ると、そこには笑う元魔王。
「……あいつのこと? みっちーあいつのこと好きなんだ」
 気まずそうな藤野の問いに、奴は大満足の顔で答えた。
「そうだ、我はあいつが好きなのだ!」
「ふざけんなこのバカ! アホ! 知能レベルいくつだボケ! 小学校からやり直せ!!」
 途端にあふれた恥と怒りに突き動かされて怒鳴りまくると、鼻息の長い担任が宥めるように肩を叩く。
「ンフー、長谷川君そんなこと言っちゃだめじゃないですかあー。乙女の告白に照れて罵声を飛ばすなんて、そんな素直になれない人はろくな男じゃありませんよ?」
「そうなのだ、圭一はろくな男じゃないのだー! やったー!!」
「何ひとつやってねえ――!!」
 無邪気に喜ぶあきらの頭を全力で叩いたところで、新生活の開始を告げるチャイムが鳴った。


 この事件で『ケンカするほど仲がいい幼なじみカップル』として認識された俺たちは、卒業までの三年間をクラスメイトに冷やかされながら過ごすことになる。


←い「異人館で逢いましょう」  目次  は「パラボラアンテナ危機一髪」→


ホーム/掲示板/感想掲示板/日記

Copyright(C) 2004 Machiko Koto. All rights reserved.
第2戦「ろくな男じゃありません」