第1戦「異人館で逢いましょう」
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 高校入学を目前に控えた三月下旬、春休み。朝の空気はいまだ冷たく、俺は息が白く消えていくのを確認しつつ新聞を取りに出た。早起きは健全な肉体を健やかに育ててくれる。この体は鍛えられた前世の俺のものとは違い、まだ生まれて十五年しか経っていないため筋肉に不安があった。いくら現世の姿がまだ青臭い若者とは言え精進を怠ってはいけない。毎日毎日押しかけてくるあのバカ魔王に対抗していくためには……などとつらつら考えながら朝刊を取り出すと、お馴染みの紙の束の上には白いものが乗っかっていた。封筒だ。白い縦長の封筒が、裏面を上にしてひっそりと置かれてる。
(手紙?)
 ひょいとつまんで封筒を取り、何気なくひっくり返して顔をしかめる。
 白いそこには見慣れた文字で、雄雄しくこう記されていた。

     果たし状!!

 なんだよそのエクスクラメーションマークはよ。
「というわけで決闘するのだ!」
「うお!? いつからそこに!」
 唐突に玄関横の植え込みから飛び出したのは言うまでもなく元魔王。春休み中だというのに学校指定の赤ジャージを着てガタガタと震えている。真っ青な水谷あきらははいつも通りのにんまりとした笑みを浮かべた。
「お前の反応が知りたくて知りたくて居ても立ってもいられなくって、朝五時から待機してて今の我はまさしく霜が降りていて目の前が八甲田山死の彷徨」
「帰れ」
「やだ。どうせ我が見てない隙にそれを捨てるつもりだろう。お前の行動は全てお見通しなのだ!」
 チッ、とほぼ無意識に舌を打つと、魔王はいつもの赤ジャージのまま可愛らしい声を出す。
「やっぱり捨てるつもりだったのねこの浮気男!」
「そういう時だけしなを作るな! 分かった分かった、ちゃんと読んでやるって」
「本当だな! ちゃんと集合時刻を読んで守って行くんだぞ! 前日は支度を整えて早めに寝てバナナはおやつに含まれるんだか含まれないんだか分からないことに憤りを」
「いいから帰れ。さっさと寝付け」
 明らかに寝不足と興奮で頭がおかしくなりつつある。俺はとにかく果たし状を握りしめ、魔王を外に押し出した。名前入りの赤ジャージはいやに冷たくなっている。
「約束だからな、絶対来いよー!」
「はいはい」
 魔王は手を大きく振って、すぐ隣の自分の家へと帰っていく。俺は奴が完全に家の中に引っ込むのを確認すると、この上なくげんなりとした心持ちで果たし状の封を開いた。入っていたのは薄い小さな紙が一枚。そこにカラフルなペンで書き記されていた内容は……。


〜魔王サマと行くドキッ☆流血だらけの決闘大会〜
 日時:明日(暇だから)
 場所:異人館(我が見てみたいから)
 内容:とりあえず戦いながら食う・見る・遊ぶ


         ※ ※ ※

 翌々日、ジョギングから帰ってくると玄関口には魔王が一匹。奴は相変わらずの赤ジャージで俺に食いかかる。
「なんで来なかったのだー!!」
「神戸まで行けるかバカヤロ――!」
 俺も負けじと言い返す。金持ちの奴とは違いうちは中流家庭なのだ。簡単に新幹線で何時間もかけて行けるか。ていうかそもそも行ってられるかそんなツアー。
 魔王はなぜか涙目で主張する。
「六甲牧場のソフトクリームを独りで食った我の気持ちはどうなるんだー!」
「知るか!」
 心の底から怒鳴りつけても魔王はめげない怯まない。
「お前の分の回遊チケットが無駄になったじゃないか!」
「観光する気だったのかよ!」
「観光と決闘はどっちも漢字二文字だから大して違いもないじゃないか!」
 いや全然ちがうだろ。
 だがツッコミを口にする前に紙袋を押し付けられる。
「ばかやろー、勇者なんてもうライバルじゃないのだー!」
「うっせーバーカバーカ、帰れー!」
「帰るとも――!」
 涙ながらに走り去る赤ジャージが隣の家へと消えていく。俺はそれを見とめた後で、何気なく渡された紙袋を確認した。出てきたのは風見鶏の園芸ピックにレトロな柄のマッチ箱。そして赤いペンで見所をチェック済みのガイドブックの切抜きが十枚近く。袋の中をさらに探ると、底の方には俺の分の異人館周遊チケットが一冊。
「本当に行ったのかよ」
 さすが元凶悪な“沼の魔獣”は考えることが普通じゃない。俺は多少の嫌悪感と侮蔑を感じながらも、その奥底に、確かな罪悪感が疼いているのを自覚する。勇者として、いや、男として約束を破るのは宜しくない。次こそは埋め合わせの意味も込めて付き合ってやらなければ。俺は土産物の袋を掴んで固く故郷の神に誓った。


 だが、その翌日。またしても朝刊に紛れ込んでいたあいつからの果たし状に「集合場所:小樽」と記されていて、俺たちは昨日と全く同じ会話を繰り返すことになる。


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第1戦「異人館で逢いましょう」