プロローグ「百の名を持つ男」
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 その国が建てられたとき、大陸中の国家元首は揃って息を呑んだという。
 誰もがそれを幻とした。ありえない白昼の夢を見ているのだと考えた。
 男は新国の属服を鮮やかに着こなして、作られたばかりの城に現れた。招待された各国の王や大使たちの目を平然と受け止めながら、その場にいた誰よりも堂々とした威風を従えて歩む。
 彼は数多くの凝視を連れて、王座に座る新たな国の主の前で足を止めた。
 静まりきった会堂に誰もが知る声が響く。
「アーレルの王よ。この国の行く末を告げにきた」
 頭の中に染み付いた忘れることなどできない音に、賓客の身は凍りついた。
 王は彼を見つめると、ゆっくりと口を開く。
「言え」
「私の命ある限り永遠に続く繁栄を」
 男の顔が笑みに歪む。客たちのどよめきが場を揺るがす。
「この粗末な身をひとかけら残らず捧げ、貴国に生涯の忠誠を誓いましょう」
 仕草のひとつ、表情のひとつすら計算じみた嘘のようにぴたりとはまる一礼をして、彼は王にひざまずいた。下を向けども隠しきれない歪んだ笑みは誰の目にも色濃く映る。床に落とす両目にはただならぬ眼光が湛えられていた。漂う気配は獲物を狙う野生の獣。
 彼は名乗る。
「我が名は――――」

 その名の数、四十八。




 国が滅亡の道を辿るとき、もしくは命を吹き返すとき、必ず王下に一人の男が現れたという。
 彼が滅びを伝えると年すら越えられないと言われた。
 彼が助言を伝えたならば、その国は死を逃れられると言われた。
 ある王は彼を亡霊と呼び、ある王は彼を二度と巡りあえない最良の部下と呼ぶ。またある王は意味ありげな予言者と忌み嫌い、ある王は国を救った無二の功労者と呼んだ。
 ふらりと現れ、また気まぐれに消えていくその男が各地に残した影響は、あまりにも強大すぎた。彼の存在はある土地では伝説のように語られ、ある土地では執拗なまでに隠される。
 好かれ、嫌われ、好まれ、憎まれ。様々な心象をもたれているが、全ての者に共通するものは同じ。
 純粋な、畏怖の感情だった。
 または得体の知れない強大な存在への畏れとでもいうべきだろうか。その口から紡がれるのは、全てを見知り全てを見通す不気味な語り。どの場にも属さない、どの地位も受け取らない一夜の旅人。
 現れた時の言葉は同じ。不可思議な、いつまでも耳に残る音で彼は必ずこう告げた。
「王よ。この国の行く末を告げにきた」
 そして彼は先見を王に授ける。

 誰もが畏れた幻のような存在が、まさに今生まれたばかりの小国に永遠の忠誠を誓うなど、一体誰が知り得ただろうか。大国の支配を逃れ、無血での独立を果たしたばかりの謎多き国アーレルに。
 四十八の名乗りが世界に伝わるたびに、驚愕はさざ波のように大陸を揺るがしたという。
 その長い名前は全て、彼が各地に残してきた名の集合だったのだから。

 ビジス・トラード・テラク・オオハ・クチノヘ・シバ・カスタホ・ヴィッタ・ラーツフォルム・レイツロスオ・ヘスタ・ヨンク・ニータロウス・ゲイヤ・リッカ・ロス・デハツ・ペシフィロ・ウェズ・ウダヤ・ゲイン・サクド・スヘオ・アスド・ディーハ・レッタ・ソウヤ・トウィス・ロンヤ・アドフ・シーポ・コウ・タムニヤ・ナロウ・リグモ・アオマ・スギワ・ロベルキスタ・カナルリート・イクスキューブ・ナツバ・セラフ・ウォン・ディクシャダ・ホウヤ・ジッタ・ロフィス・ガートン

 独特の声調で朗々と唱えられた長い名乗りは、歌として広く世界に親しまれることとなった。
 その歌を、百名唱という。



 驚愕と共に歴史に深く刻まれた立国式から約五十年後、彼は魂を天へと放ち全ての名を土へと還した。
 享年八十九歳。宣言通り、忠誠を告げた土地に眠る。

 彼の事を災害のようだと言う者がいる。
 彼がこの世にいる限り、どこで何をしていてもその影響から逃れられることはない。
 どの国の王も彼の事を畏れていた。この広い世界に根付いた恐ろしきものと考えた。

 大きな災害はえてして後々に遺恨を残すものである。
 百の名を持つ天才がこの世に残した爪跡がどれほどのものなのか、その全貌を知るものは、まだ、いない。


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第一話「彼の爪跡」へ続く