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「リドーさんが、“前の”に何をされたか?」 これといった仕事もなく暇そうにしていたジーナは、机に組んだ足を乗せてゆらゆらと揺れていた。複雑な表情のサフィギシル、ピィス、シラといつも通りのカリアラを見て、不思議そうに足を下ろす。 「どうした」 「……いや、憧れと現実って残酷なものだなあと」 「なんだそれ」 ジーナは不満げに姿勢を正すと、傍にあったペンの先で彼らに座るように指示した。技師協会の隅に位置する技師対策十四課の執務室は、いつ来ても人の気配に乏しい。サフィギシルは物置から取ってきたかのような椅子を並べて、静聴の準備を整えた。ジーナは面倒そうに首を掻いて、悩みによる唸りを上げる。 「どこから説明したものか……。ええと、まずリドーさんが一時期私の生徒だったことは知ってるか?」 「ええっ」 一様に声を上げるカリアラ以外の人員に、ジーナは小さく息をついた。 「じゃあまずはそこから。街部警備に配属された兵士は、まずは技師協会の預かりとして研修を受けることから始めるんだ。他の部署の兵士も受けるが、街部警備が一番研修期間が長い。アーレル市街は魔術技師が嫌というほどいるからな。悪意のあるなしに関わらず暴走はしょっちゅうだ。だからまずは学校ではあまり教えてもらえない、魔術技師とその作品に対抗するための手法を学ぶ必要がある。そういうわけであの人も一時期だが私の下で対策を学んでいたんだ。私は戦闘は得意じゃないが、技師作品についての知識があるからな。人手も足りないので毎年かりだされている」 「へー」 揃って同じことを言う聴衆を見てかすかに笑う。ジーナは調子よく続けた。 「まあ机上の講義に実践に、と何日か集中して授業を続けて最後には試験がある。一応紙の試験もあるが、大事なのは実力がついたかどうかだ。最終的な卒業課題は実技試験。近くにあるビジス保有の小さな島で、二日がかりで行なわれる」 「あ、その島って毎年泳ぎに行くところ? いいとこだよねー。海きれいだし、森が深くて……」 「そう。野生化した凶暴な技師作品が放し飼いされているその島で、生きるか死ぬかの戦いをするのが最終試験だ」 ほがらかなピィスの笑みを崩すように、ジーナはずばりと言いきった。ピィスは驚愕に身を乗り出す。 「凶暴って! オレ普通に泳いでたよ!」 「大丈夫。普段は森の外に出ないよう、ペシフィロが封印をしてあるから」 「だから奥には行くなって言われてたのか……」 「というかそれ、ビジスさんの私物なんですね……」 「もう実践講義には嬉々として乱入しては暴れるし、最終試験そのものもビジスによるビジスのための試験と言った方が正しいぐらいで……下手に技師協会名誉会長とかいう称号なもんだから拒否できなくて、上層部もその時期は心労で体重が減るとかなんとか」 「爺さん……」 もはやそれ以上何もいえないサフィギシルを尻目に、ジーナの講義は続いていく。 「まあとにかくリドーさんもそこで試験を受けることになったわけだ。私も同行したがあれはきついぞ。森の中に泊り込んで兵糧を齧りながら敵の影に怯えつつ、定められた数の標的を手に入れることが出来なければ母国に強制送還される。あの人はヴィレイダ東部の代表として来ていたからな。同盟国であるアーレルに人材を送って良くしてもらおうとかいう政策の一環で。だから絶対に合格しなければならないし、その分緊張も激しかったわけだ」 重苦しい解説を語るのと同じ口で、ジーナはやけにあっさりと言う。 「で、和らげるために色々と優しくしたら、なんか懐かれた」 「あんたそんなのばっかりか」 前にもどこかで聞いたような筋書きにサフィギシルが顔を歪めた。ピィスが呆れた調子で繋ぐ。 「ジーナさんって捨て犬とか見捨てられない性格だよね」 「ええそのおかげで実家は犬だらけでしたとも。まあとにかく一日目とその晩は本隊から離れてしまったこともあって、一緒に過ごしていたわけだ。私はまあビジスのおかげで敵から攻撃されないようになっていたんだが、それでも余波はいくらかあるし。こう、逆境の中二人きりで戦っていると、雰囲気もなかなか良くなってくるもので……野宿の焚き火を囲んで、いろんな話をしたりとかな」 あやしげな雲行きにサフィギシルもまた曇る。おそるおそる口にした。 「まさか……」 「大丈夫、やってない。別に何かしたわけじゃないんだ。だがな」 続く声は極端なまでの諦観に満ちていた。 「世の中には、たとえ何もしてなくても、嫉妬から凶悪な行動を起こす奴もいるんだ」 「…………」 告げられるまでもなく察してしまった三人は、ただ無言で目を逸らす。 「夜中に突然凶暴かつ巨大な虎たちの襲撃を受けて。私は狙われないことになっているのに集中的に襲ってきて、リドーさんも庇ってくれたが間に合わなくて、これは殺られる! と絶望したところに嫌というほど見慣れた顔が現れてな? 虎を次々に倒してだな、『危なかったね。大丈夫?』とか抜かしながら怪我をした私を抱きかかえ、リドーさんを置いて脱兎の如く島の外に逃走した」 「……リドーさんを置いて」 「そう、リドーさんを置いて。むしろ突き放してわざと封印の中に閉じ込めて」 苦悶のうめきが上がったが誰からなのかは分からない。聞いているもの全員かもしれなかった。 「外に出るためには専用のタグが必要なんだがなー。どういうわけか奴の手には、リドーさんが持っていたはずのタグがあってだなー。そもそも虎の作りからして奴の癖が見え見えで。そしてリドーさんは試験が終わっても外に出ることができず、十日間ほど猛獣のいる森の中に閉じ込められたというわけだ」 あまりにも凄まじい実話の暴露に、聴衆は何も言えない。カリアラだけが解らないなりに真剣な顔でジーナを見ている。そんな視線を受けながら、ジーナは乾いた笑い声を上げた。 「もちろん捜索隊が作られたんだが、その中に何故か奴も入っていてな? どういうわけだか探せど探せど見つからない。まあこれは単なる憶測でしかないわけだが、あいつ絶対発見したリドーさんに暴力を振るって閉じ込めるぐらいのことはしてる。私は奴のハンカチに謎の血がこびりついているのを見た。本人は無傷なのに、だ」 憶測といえどもどうしようもなく否定できない内容に、サフィギシルはめまいがするのかくらりと頭を揺るがせた。 「その後も奴は『年上の友人を兄のように慕う無邪気な青年』みたいな顔をしては、何かとリドーさんに懐いていたが……裏では何をしていたことか。第一あんな悪の極みのような奴がつきまとっていたせいで、元からいた友人たちもリドーさんから離れていったわけだし……本当にどれだけ謝罪しても足りないぐらいだ」 「えっ、じゃあ隊長に友達がいないのってそのせいだったの? 本人の性格かと思ってた」 「性格も少しはあるかもしれないな。奴のせいで人間不信になったようだから」 ジーナは長い語りに終止符を打つかのごとく嘆息した。三人の息もそれに続く。 ため息だけで部屋の空気が埋め尽くされてしまいそうな、終わりの見えない重い空気。 そんな雰囲気に首をかしげたカリアラが、なんとか話に混じろうと今さらながらに口を切った。 「ジーナはリドーと子ども作らないのか?」 あまりにも直球な質問に、全員が気まずく凍る。カリアラはきょとんとしてさらに続ける。 「ジーナは大人だから卵を産めるけど、ひっかけさせる相手がいないんだろ? リドーも産ませる相手がいないから、ふたりで作ればちょうどいいんじゃないかって話をしてたんだ。な?」 「確かにそんな感じの流れになってた気もするけどな。お前……もうちょっと気をつけて喋れよ」 「なにがだ?」 どう処理していいのか掴みきれないサフィギシルに、カリアラは逆に問いかける。ジーナがぼそりと呟いた。 「もういっそのこと『ひっかけさせるって何を?』とか質問してその口から言わせたいな」 「やめてください本当に言いますから」 シラの制止で場の空気はひととき収まり、ジーナの声に破られる。 「……精液と言えばなあ」 「言ってねえー!」 赤らんだサフィギシルの怒声をかわしてジーナは真面目な顔で続けた。 「まあ聞け。この間、人型細工用の人工精液を作ったんだ。鍋でくつくつと煮込んで消毒して、焦げ付かないよう延々とかき混ぜて。無味無臭のやつだからそれほど苦労もしないんだが、世の中に出回っている、臭いも味も生々しく再現したあれは体液製作専門の工房で、一家総出で煮込んでるわけで。その家の子どもは随分と嫌だろうなあとかそんなことを考えたわけだがそれは別として」 「別なのかよ」 苦々しい言葉も無視してジーナは構わず口を開く。 「その精液を瓶に詰めた翌日に、同じ鍋でうっかり牛乳スープ作って飲んじゃった」 さらりとした発言に硬直した周囲を見て、彼女はわざとらしい笑顔で言い直した。 「飲んじゃったっ」 「かわいく言っても誤魔化せないぞー! なんだその不自然な表情!」 やけに高い声に打たれて聴衆の顔はひどく渋る。カリアラだけが、状況を理解していない。 「まあきれいに洗ったしバレてないからいいんだけど、珍しく料理したからって下宿のみんなで味わって、なんだ料理できるんだーとか誉められながら内心ずっとドキドキしてて。それでもまあ平気な顔して牛乳汁を飲んでいられる女なわけだ、私は」 「汁言うな。そもそもそういうことを堂々と言うなよ……」 「そう。お前たちには言えるんだ」 ジーナは真面目にうなずきながら、ゆっくりと腕を組んだ。 「間違って鍋を使ったことも、そもそも自分でそうやって作っていることも、町工場はどんな環境なのかとかよく解らない無駄話も、お前たちにはこうして言える。だがな、リドーさんには言える気がしないんだ。そりゃあ慣れだの親しさも関係するが、あの人はどうも、こう……私に対して幻想というか、憧れのようなものを持っている気がする」 それが当たっていることはこの場の皆が知っていた。ピィスたちは思わず顔を見合わせて、笑う。 「だから、あまり砕けたことは言わないようにとか、行儀よくしていようとか、つい構えてしまうんだ。元々仕事中にばかり会うからというのもあるが。私は仕事の時は気合を入れて挑むからな。こうしてゆるんでいる時とは別人とよく言われる。そんな部分ばかり見られてきたわけだろう? 付き合うとか結婚とか、どう考えても無理だろうな。どうせ幻滅されるだろうし、私もそうされたくない。無理をして一日中気張るわけにもいかないだろう? やっぱり家に帰ったら下着のままごろごろとくつろいだりしたいし……」 「服着ろよみっともない!」 「夏は暑いしなー。まあとにかく、そういう理由であの人は恋愛対象ではないわけだ。わかったか」 子どもに対する大人の顔で問いかけられて、三人はそれぞれにうなずいた。カリアラだけがまだ難しそうにしていたが、彼らを見てまるで真似のようにうなずく。ジーナもまた満足そうにうなずいて、この場の講義はそれで終わった。 「……というわけですが、どうですかリドーさーん」 執務室の扉の前で、アリスがのんきに囁きかける。リドーは廊下にしゃがみこんだ姿勢のまま、複雑に眉根を寄せた。盗み聞きしたジーナの話は彼の中の嫌な過去を呼び起こし、彼女の新たな一面をも発見させてくれた。それは人によっては幻滅してもおかしくない内容だが。 「これはこれで……」 リドーは力強く拳を固めた。その目はすでに嬉しげに輝いている。アリスはそんな彼の隣でやる気なく呟いた。 「じゃあ何かが始まっちゃったところで、あたしも全面的に協力しますー」 「そうか、ありがとう。よし飴をやろう」 爽やかに笑いながらリドーは飴を上から落とすように渡す。アリスはそれを受け取って、ぼんやりと見つめて告げた。 「前々から言いたかったんですけど、あたし今年で二十四……聞いてないし」 長らくの誤解を解きたくともリドーはすでにここではないどこかを見ている。アリスは夢見る彼の姿にのんびりと嘆息した。 この日から、リドーは毎晩悪夢に苦しめられることになるのだが、今はまだそれを知るものはいない。 ←前へ |