「隊長。彼女いないの?」 いつものように露店でくつろぐ四人を見て、声をかけて、近寄ったところでいきなりピィスに言われ、隊長ことリドー・イジナス二十八歳はあからさまに顔を歪めた。 「なんだいきなり。そんなもの作っている余裕があるほど暇じゃないんだ。どこぞの技師たちのせいで仕事が山積みだからな」 「すみませんどこぞの技師で」 自虐的なサフィギシルの呟きに気まずそうな顔をしつつも、リドーは席に座る知人を見る。カリアラはいつも通り話についていけなくて、隣のシラに尋ねては笑顔で話を逸らされている。サフィギシルはグラスからこぼれた中身をこまめに拭いては空になった皿を重ねる。いつもならばそこにちょっかいを出しているピィスは、今日はなぜか不満げにリドーの方を仰ぎ見ていた。 「隊長。ちょっと話があるからここに座って」 「なんだ珍しく真面目な顔で。嫌なことでもあったのか? ほら、飴でも食え」 「飴はいいからさっさと彼女作って結婚して親を安心させてくれよ」 「は?」 リドーは常に携帯している飴を差し出したまま聞き返す。ピィスは対面に腰かけたままテーブルを強く打った。 「何も今すぐ所帯を持てって言ってるわけじゃねーんだよ、恋人でいいの恋人で。誰でもいいからその辺で捕まえてこい!」 「なんだ年上に向かってその口の利きようは。お前ももう十四歳なんだからいい加減に常識を……」 「もう十四だからうっかりあんたとの縁談が来るんだよー!」 力みなぎる切実な声にその場の空気がしばし止まる。 呆然と固まっていたリドーの口が焦るように走り始めた。 「待て。待て待て待て。縁談? 俺と、お前が?」 「どういうことですかそれっ」 隣にいたシラやサフィギシルまでもが慌てて身を乗り出してくる。状況が把握できないカリアラを含めた四人分の視線と心の焦点で、ピィスは暗い声を出した。 「お見合いの申し出がー。隊長のお母さんから定期的に送られてくるー」 「見合いって、お前まだ子どもだろ? 第一なんでリドーさんなんだよ」 サフィギシルが理解しがたそうに訊くと、隣でシラも頷いた。ピィスは大きなため息をつく。 「うち母方が結構なお貴族サマだからさー。政略結婚みたいなもんで。いや政治は関係ないけどさ、家柄とか血筋のいいところと息子を繋げておきましょうっていう狩人のごとくに鋭い母の愛が、オレのところに季節のお便りを送らせるわけですよ。おべんちゃらに交えて息子を最大限に売り出しした広告みたいな分厚い手紙。そして毎回必ず『早く身を固めて欲しいものなのですが……』という一文が入ってる」 そこまで言って、少年じみた格好の小娘は真顔でリドーに向き合った。 「だから早く別に彼女作ってください。今年七十二になるばあやも心配してるぞ?」 「ばっ……なんでそれを!」 続けて出たため息にはあからさまな笑いが混じる。ピィスは盛り上がる頬を堪えて告げた。 「風邪を引いた病床で『坊ちゃまの凛々しい晴れ姿を見るまでは、わたくしは逝けません……!』って宣言して周囲の人々は感激と悲しみにむせび泣いたそうだから。あとお兄さんたちも毎日心配してるって」 「言うなー! 脚色が入りすぎて恥ずかしい!」 「坊ちゃまって呼ばれてるのか……よし、今度からリドーさんのことは坊ちゃまと呼ぼう」 「やめろ」 楽しそうな提案を低い声で遮った。ただでさえ日差しに赤く焼けた肌がよりいっそう照り映える。リドーは生まれついた家庭を憎むようにうなだれて頭を抱えた。撫でつけた金髪は生活の疲れを表すようにくすみこそしているものの、まだつやを残している。丁寧に整えられたそれや無駄ひとつなく剃られた顔、こまめに汗を拭く仕草などが、庶民の中に混じりつつも消えうせない育ちのよさを教えてくれる。だが母国を出て十年近く経った今ではそれも最後の砦に等しかった。怒鳴りながら魔術技師を追いまわし、子どもたちに隊長と呼ばれては共に遊び、大きな仕事も任せられず定時に家に戻っては節約のため自炊をする。隣の家のおばさんによくおかずを分けてもらい、その代わりに子どもたちと遊んでやる。それが彼の毎日だった。 「坊ちゃま、どうしたんだ? 痛いのか?」 「坊ちゃま言うな」 悪意のないカリアラの目に打たれるように沈み込んで、リドーはやつれた額を押さえる。 「……うちの母が迷惑をかけてすまなかった。だがな! お前があの時……いつだったかの夜会で俺につきまとうから変な誤解を受けたんだぞ! おかげで俺は遠方で何をしているかもわからない幼女趣味の変態呼ばわりされてるんだ」 「夜会?」 目の前の人員からはあまりにもかけ離れた言葉に、シラが怪訝に首をかしげた。 「うん。伯父さんに連れられて行ってみたら隊長もいてさ。慣れない環境で久しぶりに知り合い見つけて嬉しくなって、『純粋に彼を兄のように慕っている可愛い少女』を演じながら二人で飯まずいなーとかあいつらデキてるよなーとか、あのドレスありえねえだろとかそういう愚痴をこぼしてたの。そしたらいい雰囲気だと誤解されて今に至るわけですよ」 「華やかな夜会で何やってんだお前」 「これが伯爵家のご令嬢だぞ? 世の中何かが間違ってる……」 「はく……」 唐突に明かされた事実に絶句する周囲を見て、ピィスは嫌そうに話を逸らす。 「オレの話はいいんだよー。そうじゃなくて、隊長のこと。ご両親はともかくばあやは本当に心配してるみたいでさー、早く安心させてやれよ。手紙の内容からしてそろそろこっちに押しかけかねないぞ?」 「確かにあれならやりかねん……。現に昔も一度押しかけて住み着こうとしていたし」 「そうそう。だからとりあえず彼女作りなって。ばあやなら血筋とか家柄なしに喜んでくれるだろ」 「しかし相手が……」 根本的な問題に深く眉根を寄せたところで、のろまな声が割り入った。 「うちの先輩とかどうですかー」 「うわ!?」 いつの間にかリドーの傍にしゃがみこんでいたアリスが、わざとらしいまでにゆっくりと立ち上がる。相も変わらず眠たそうにとろけた瞳で驚く五人を舐めまわした。言葉にならない彼らの様子に気づいた後で、やる気なさげに空に向けて腕を振る。 「アリスちゃんのびっくりドッキリ急登場ー」 「いや題目はいいから。そんな無表情で言わなくていいから。え、何、ジーナさん?」 「そーですー。先輩もお年頃なのに貰い手がなくて困ってるから、これは丁度いいかと思ってー」 全員の目がアリスに集まり、その後でリドーへと移行した。ずらりと並ぶ子どもの目は興味を湛えて輝いている。話についていけないカリアラは不思議そうにしているし、サフィギシルは複雑な戸惑いを見せているが。 「そういえばリドーさん、あの人がいる時だけ態度が違いますよね」 「そうそう。なんか無駄にキリッとしちゃってさー。それはどういうことかなあ?」 まずいものを呑んだ顔で下がるリドーに、にやけた顔の女性陣がにじり寄る。カリアラが不機嫌そうなサフィギシルを見て、楽しそうなシラとピィスを見て、何も考えてなさそうなアリスからリドーへと視線を飛ばしてためらいのない質問をした。 「リドーはジーナと子ども作りたいのか?」 「違う! そういうわけじゃなくて……」 「じゃあどういうわけなんだよ」 微妙な濁りの混じるサフィギシルの声に、リドーはぎくりと口をつぐんだ。苦手なものを見るかのようにそろそろとサフィギシルの顔を見て、怪訝そうな彼の様子にかすかなため息をつく。リドーは自嘲気味に笑った。 「あの人はそういう対象ではなくて、なんというか、憧れに近いものがあるんだ」 陽に赤らんだ顔に憂鬱な陰が降りる。だが語るにつれて青い瞳は夢見るように輝いた。 「彼女は確かにいい。背筋が伸びていて、凛々しくて……その場にいるだけで気が引きしまるし、頑張らなければと意識を新たにさせられる。実質的に男社会な技師の中で負けもせずに毎日くっと顔を上げて……つらいことも多いだろうに弱みを見せずに頑張っているのがいい。かと思えばビジスの葬式で号泣したり、ふとしたことで脆い面を見せて……いや、あの時は俺もハンカチを手にしたまま差し出せない自分を嘆いたものさ。あの時この胸に迎え入れることができていたら……!」 「おいおいなんか語り始めたぞー」 「結局は喪服によろめいたってことでいいんですか」 「そうねー。喪服の女性は美人に見えるっていうしー」 容赦のない女性たちの言及に口を渋らせ、リドーは気まずく反論する。 「確かにそれもあるが」 「認めたよ!」 「決してそれだけではないぞ。恋人や大切な人を失って沈んでいた彼女……長い間、見ているだけで痛々しいほどだったそれが、最近になってやわらかく華やいできた。お前たちを叱ったり楽しそうに話している時の、あの笑顔の素晴らしいことと言ったらない。ああ、いい時代になった……」 リドーはひどく優しい目でサフィギシルを見る。今にも感謝を吐き出しそうな彼の口を止めるように、サフィギシルは再度尋ねた。 「……で。結局ジーナさんのことはどう思ってるわけ?」 「憧れですね。それもかなり美化の入った」 シラが代わりに即答する。ピィスがそれに異議を唱えた。 「でもさー、そこまで行ったら憧れよりも惚れに近いような気がする。もう知り合って長いんだろ? 告白しちゃえばいいんじゃないの。どうせジーナさん恋人いないし、好きな人もいなさそうだし適齢期だし」 「おーい、ここに父親を取られるのが恐くて知り合いを売り出してる奴がいますよー」 「なんだよそれっ、ち、違うよバカ!」 サフィギシルは動揺するピィスに叩かれて、笑いながら避難する。無邪気なその光景に、リドーはいやに遠くを見つめた。 「お前はいつまでもそのままでいてくれよ……」 「え?」 微笑ましさと寂寥とが入り混じる表情。振り向いたサフィギシルに、リドーはまた自嘲的な笑みを浮かべる。 「いや、何でもない。気にしないでくれ」 「そういえばリドーさん、ジーナさんのことに関して“前の”サフィギシルに牽制されたってあれは……」 シラがそう尋ねた途端、リドーは素早く首と手を同時に振った。 「いやいやいや何でもない何でもない何でもない。気にしないでくれ。気にしないでくれ。気にしないでくれ!」 「なんか三倍速になった!」 「うわ、みるみる汗かいてる!」 焦りからか顔色は赤らむがすぐさま血の気が引いていく。赤と青を繰り返す尋常ではない状態に、アリス以外の全員がうろたえた。 「そ、そんなに凄いことされたってことか……?」 「言うな! 思い出せばそれだけで死にそうだ!! あ、あああいつのことは考えたくもないのに、今でも夢の中に出ては脅してきて……」 「だから先輩には手を出せないのねー。たいへんだわー」 あまり大変ではなさそうな喋り方でアリスはくるくる回りだす。意味のないその動きにつられてカリアラも回転し、シラに優しく止められた。リドーは子どもたちの同情を一身に受けながら、頭を抱えて震えている。ある意味で当事者に近いサフィギシルが、青ざめてピィスを見た。 「……“前の”って、一体何したんだろう」 「さあ……オレもいいところしか見てなかったし……本人喋りそうにもないし」 「先輩は知ってると思うわよー。前にそんなことを言ってたものー」 回転をやめたアリスがのんびりと話に混じる。彼女はそのままぼんやりと提案した。 「せっかくだから聞きに行ってみたらどう? ついでに、リドーさんのことをどう思ってるのか、本当のところを訊いちゃえばー?」 何気なく見合わせた顔には、異論のない同意の気配が漂っていた。 次へ→ |