『盟主様、本日は大切なお話があります。そこにお座りなさいこの甲斐性なし』
「か、かいしょ?」
 いきなりの説教口調にあきらは目を丸くする。ルパートは相変わらずの犬の姿で愛用の座布団をくわえ、座るあきらの隣に並べた。ほら、ちゃんと正座しなさい。などと脳に直接響く声で指示を出し、どけどけと言わんばかりに座布団に上がって行儀よく「おすわり」をする。
「ど、どうしたのだルパート。何が始まるのだ?」
 きちんとした姿勢で並ぶ二人の前には来客用の座布団がひとつ。どうもこうもありませんよ、とルパートは鼻を鳴らした。
『魔王と呼ばれているくせにまっったくダメダメでどうしようもないあなたのために、特別講師をお呼びしたのですよ。これからありがたいお話が始まりますからね。鼓膜の奥の耳石まで大掃除してお聴きなさいこのことえり娘』
「こ、こと?」
 灰色のミニチュア・シュナウザーに扮した元部下は、いつも通り手厳しい。あきらが人間の娘として生まれ変わってからはますます罵倒が激しくなった。それはあきらがいつまで経っても元勇者への復讐を達成できないためであり、あきら本人としてもルパートに対して申し訳なく思っている。これはいい機会かもしれないと考えて、あきらは赤ジャージの襟を整えた。ルパートが呼んできてくれた人なのだ、きっとためになることを教えてくれるに違いない。
 準備が整ったのを見て、ルパートが首をもたげる。
『先生! お入りください』
 呼びかけに応じて、襖が開いた。かすれた音を立てて現れたのは白髪の老人。だが立ち姿にも顔つきにも年寄りめいたものはない。彼は口元をにやりと歪ませて部屋の中を一瞥すると、長い足を楽々と折ってあぐらをかく。
『はい。特別講師、ビジス・ガートン様です』
 ルパートはいけしゃあしゃあと言いきった。
「えっ、あれっ……いいの!?」
『何がですかスカポンタン。はいお聴きなさい脳髄にまでがっつりと刻みなさい。先生、お願いします』
「お願いするの!? いいの!?」
「それがどうやらいいようでなァ、愉快にもこうしてここに座ることができた。九十万を踏んだ者には感謝せねばならんな」
『“ビジスおじいちゃんとルパート君がお送りする良い子の為の教育番組「イヤガラセ☆できるかな?!」”をリクエストしてくれたりあるにさん、ありがとうございました! そしてキリ番ゲッツおめでとう!』
「何の話!?」
「まァ大人の事情というやつだ。さて、あきらは何を教えて欲しい?」
 世界観を越えた上にいきなり呼び捨てにされて、あきらは目を白黒させる。どうすればいいか問う顔でルパートを見るが、張本人である元部下はふんと鼻を鳴らすのみ。あきらは二つくくりにした髪を押さえてううんとうなる。
「ビ、ビジス先生は」
「ビジスおじいちゃん」
「お、おじ!? お、おじいちゃん……は、何でも知ってるのか?」
「あァ。どんなことだろうが訊いてくれ。さて何がいい?」
 裏の見えない笑みで言われてあきらはごくりと息をのむ。
「わ、我は勇者を倒す方法……じゃなくて、圭一をぎゃふんと言わせるというか、ああでもそれよりもやっぱり、前の世界で魔獣たちが平和に暮らせる方法とか、ええと、ええと」
 あああああ、と髪の毛をかき混ぜて泣きそうな声で叫んだ。
「駄目だー! 我はいつもこうなのだ、すぐに失敗ばかりするのだ! おじいちゃん、我はどうすれば頭が良くて格好いい万能な盟主になれるのだ!?」
「なるほど、まずはそこからか。それでは次のコースから選んでもらおうか。ルパート君、あれを」
『はっ』
 敬礼する勢いでルパートがくわえてきたのは、テレビ番組などでよく見るフリップ資料。そこに記されていたのは。


     《コースメニュー》
     ・日本征服コース 100
     ・世界征服コース 1000
     ・宇宙征服コース 10000


 料金表らしきものだった。
「ゆ、有料!? しかも征服!?」
「講師をということであらかじめ用意しておいた。授業は週三回、夕方五時から七時までで」
「そ、それじゃ塾なのだ! ……ああっ、ツッコミが上手くいかない! 誰か、誰かツッコミを!」
「ああ、それは別料金だ」
 ビジスが紙を裏返すと、そこにもまたメニューがある。


     《ツッコミメニュー》
     ・サフィギシル 3
     ・長谷川圭一 100
     ・持川杏子 1000
     ・加奈子 10000


「圭一が売られてる――!」
『ほほう、やはり大王シリーズの要は高価なのですね』
「素人を連れてくるには諸経費が必要だからなァ。実質拉致という形になるし、説得に手間がかかるのだよ」
 さりげなく恐ろしいことを述べながら、ビジスは紙を爪で叩く。
「で、どうする?」
「ツ、ツッコミは欲しいけど、なんか違う気がするのだ。百円でも圭一に金を出すのは悔しいのだ」
「いや、円ではないよ。人だ」
「ヒト!?」
「異界の金を貰ってもあまり意味がないしなァ。どうせ金には困ってないし、それならば下僕や奴隷という形でそちらの人間を手に入れて、これからの拠点として使おうかと」
「こっちの世界も支配するつもりだ――! どうするんだルパート、こっちの方が魔王らしいぞ!」
「ははははは。確かにそうかもしれんなァ。では魔王の先輩として、初回無料サービスで支配の極意を教えよう。ルパート君、あれを」
『ハッ。魔王さま!』
「魔王さま!?」
 完全に配下と化したルパートが押し入れの襖を開ける。
 中には、全身を縄で拘束されたペシフィロとシグマが正座していた。
「なんかいたあ!」
「ではまず、拷問の仕方から」
 ビジスの手にはいつの間にか黒光りする鞭が握られている。あきらが涙目で追いすがった。
「駄目だー! 残酷なのだ、ひどいのだ――!!」
「なんだ嫌なのか? このまま学べば二時間後には国一つ滅ぼすことも可能なのに」
『ちゃんと実技で潰すための国もターゲットとしてチェック済なのにねえ』
「ルパートおお! お前はいつからそんな子になったんだ!!」
 潤んでいく眼差しの先で元部下は平然と座っている。押し入れの上段では青ざめた男たちがひどく遠い目をしている。
「ペシフィロさん、俺たちどうなるんですか……?」
「すみませんこんなことに巻き込んでしまって。大丈夫、命は助けてもらえますよ」
「命だけ? 命だけなんすか? ねえ命だけ?」
 その全身は土にまみれ、所々に生々しいあざを持ち、大人しく待機しているのにはそれなりの理由があると傍目からでもよくわかる。あきらはビジスにすがりついてふるふると首を振った。
「いじめちゃ駄目なのだ、痛いのはいけないのだ! おじいちゃん、酷いことはしないで!」
「大丈夫、そんなに酷いことはせんよ」
 ビジスは孫を見るような目であきらに優しく笑ってみせる。
「せいぜい、少し熱かったり気絶したり精神的な苦痛から死にたくなったりするぐらいだ」
「十分やる気じゃないっすかー!」
「シグマ君落ち着いて! 騒ぐとまたやられますよ!」
 小声でたしなめるペシフィロに、ビジスは声を上げて笑った。快活なそれに「実験体」二人が震える。あきらはビジスの服を握った。
「おじいちゃん……」
「ん、どうした?」
「わ、我は、我は魔王と言われてるけど、そんなのは嫌なのだ。我は魔獣で、人間に倒される側だけど、本当はみんなで仲良くしたいのだ。だから、支配とか、そういうのは嫌なのだ。魔王はどんなお話でも悪いやつになってるのだ。我が悪い奴になると、魔獣みんなが悪の手先といわれてしまう。それは駄目だ。だから、我は魔王にはなりたくないのだ」
 一生懸命な訴えをひとつひとつ受け取るように、ビジスは優しく微笑んだ。手を伸ばし、頭を包むようにしてゆっくりと撫でてやる。
「あきらはいい子だな」
 あきらはびくりとして首を引くが、あたたかいしぐさにほわりと頬を赤らめた。
「ああ……あんな小さい子まで毒牙にかけて……」
「やり手にもほどがありますよね……」
 押入れから届く奴隷の声には耳一つ傾けず、ビジスはあきらに問いかけた。
「あきら、こんな言葉を知ってるか?」
 見上げてくる純粋な目に、にっこりと笑いかける。
「『勝てば官軍、負ければ賊軍』。支配してしまえばどんな悪でも正義となるのさ」
「ろくでもないこと言い出した――!」
 押入れからシグマが叫ぶ。ビジスは見向きもせずに続ける。
「わしの送ってきた人生はどう考えても悪だろうになァ、下手に支配に成功してしまったからか、わしのことを偉人として讃える者が後を絶たん。たとえ極悪人であろうとも、世界を征服してしまえばこっちのものということだ」
「ああ、反論できない……」
「そうなんですか。あの人そんなに悪い人なんですか」
 ペシフィロとシグマの会話を無視してビジスはあきらの肩を掴んだ。
「だからお前もとりあえず征服してみろ。そうすれば常識などいくらでも塗り替えられる」
「うん!」
「うんじゃないよ! やっちゃ駄目だよ!」
「あきらさん冷静に! 冷静に考えてください!」
 だがもはやビジスの手中にはまったあきらは押し入れの声を聞こうとしない。ひょいと抱え上げられて膝の上に座らされた。血の繋がった祖父と孫のような姿勢で楽しげに笑みを交わす。
「おじいちゃんは、どうして世界征服したのだ?」
「それがなァ、元々そんなつもりはなかったのだよ。わしは昔から、人殺しだの何だのという犯罪がいとも簡単にできてしまう子どもでなァ、警察や追っ手を撒くのに失敗したことがない。教会では悪人はそれなりの罰を与えられることになっていると教えられたが、いつまで経ってもわしを裁くものはない。じゃあ悪事というものはどこまでやれば天罰が下るのか、実験をしたくなってな。それから何十年と罪ばかり重ねて、気がつけばもう犯すべき罪がなくなっていた。そして今に至るというわけだ。……まァ要するに」
 ビジスは真面目な顔で告げた。
「ツッコミがいないとボケはいずれ世界を滅ぼすということだな」
「そんな結論!?」
 シグマの言葉をまったく無視してあきらは納得してしまう。
「そうか! ツッコミは大事だな!」
「そう。昔のわしにも丁度いいツッコミがいればなァ、こんなことにはならなかっただろうに。ツッコミを置くだけで人生は楽しくなる。まァあれらは消耗品だからな、すぐに駄目になってしまわないよう上手く使うことが大事だ。九回ムチを与えた後で、極上のアメをやる。これがツッコミ使いの極意だ」
「なるほど!」
「メモまでつけ始めちゃいましたよペシフィロさん」
「まあ、ある意味真理ですからねえ……」
 そのアメとムチを嫌というほど体感してきているのだろう、ビジスとの付き合いの長いペシフィロはため息をつくばかり。ビジスはにやりと笑みを見せ、堂々と言いきった。
「ツッコミは 生かさず殺さず 飼い殺し」
「詠んだ――!」
『ほほう、なかなかやりますな。盟主様、ちゃんとメモりましたか?』
「うんっ。今日から枕元に飾るのだ!」
 では色紙を用意しないとね、などとルパートもあきらと同じくビジスムードに染められている。あきらはきらきらと輝く笑顔で礼をした。
「おじいちゃん、ありがとうございましたなのだ! これからは我も圭一をアメとムチで大事にして、それから立派な魔王を目指すのだ!」
「困った時はいつでも呼べばいい。どんなことでもしてやろう」
「うんっ!」
 心から嬉しそうにうなずいて、あきらは記したメモ用紙をポケットにしまう。そしてまずはムチからだ、いやがらせ作戦だー! と元気よく叫びながらルパートをつれて部屋を出た。静まり返った和室には、ペシフィロとシグマ、そしてにやにやと笑うビジスが残る。その笑みがどうにも悪いものにしか見えないようで、シグマたちは青ざめた。
 そこに、スパンといい音を立てて勢いよく襖が開く。
「お邪魔しまーす」
 堂々と乗り込んだのは眼鏡を掛けたカリアラだった。
「出た――!!」
 純粋さの消えた顔つきから年齢を判断し、シグマが悲鳴のように叫ぶ。
「あ、いた。迎えに来たぞグイエン。なに拉致されてんだいい歳して。道を訊いてくる奴とおいしいものをくれる奴には注意しろって言ってるだろ?」
「いやそんな子ども扱いされても……痛たたた! そこ傷口ですから! 痛い痛い痛い!」
 ぎゅうぎゅうと縄をいじられて暴れるシグマの頭を叩き、カリアラは拘束を解いていく。その光景を楽しげに眺めるビジスに、説教の口調で言った。
「ビジスもあんまり暴れるな。お前もう死んでるんだから、ちゃんと大人しくしてろ」
「すごいこと言うなこの人……」
「ははは。面白い奴になったなァカリアラ。生きている時に会いたかったよ」
「俺はお前がいない方が安全で好きだけどな」
「すごいこと言うなこの人!」
 堂々と言いきる態度にビジスが声を上げて笑う。カリアラは平然とシグマを押入れから引き下ろす。
「ペシフはお前のだけど、グイエンはミハルのなんだからな。で、ミハルは俺のだからグイエンも俺のだ。勝手に攫うなよ」
「何その理屈、ジャイアニズム!?」
「そういう言葉が出るってことは、世界観とかどうでもいいのか。じゃあはいどこでもドアー」
「なんか出たー!」
 ぞんざいに登場したピンク色の扉を開けば、そこはもういつもの世界。
「もうあんまり暴れるなよ。ペシフも苛めすぎないように。じゃあなー」
「これいいの!? これ話としていいんすか!?」
「この小説はリクエストの『ビジスおじいちゃんとルパート君がお送りする良い子の為の教育番組「イヤガラセ☆できるかな?!」実験に協力してくれるお友達はコンブ君とグイエン君で』と『「老」とビジスの会話』を元に作成されました。それではまた本編で!」
「締めちゃったよ!」
 追いすがるシグマの叫びも虚しく、彼らはピンクのドアと共に消えた。
「カリアラ君、強くなりましたね……」
「折角だからもっと話しておきたかったなァ。しかし、わざわざここまでやってきたのにもう帰らねばならんのか。……そういえばここは他の舞台とも繋がっているはずだな」
 ふむ、とあごを掴めばビジスの顔は途端に輝く。
「よし、大王か竹内祐樹でも捕まえてくるか」
「駄目ですよ! そこには触れちゃいけませんよ!」
「なに別に苛めたりはせんよ。ただ話をするだけだ。さァあっちの舞台へ行こう」
「これ以上関わるのはやめてくださいってああもう聞いてないし! 解いてください抱えないでー!」
 そして騒ぐペシフィロを軽々と肩に担ぎ、魔王の部屋を去っていく。

 後日、某乙女系男子の性格が急激に変わったり、空き缶似の宇宙人に友だちができたなどと噂が立つが、その真相は定かではない。


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 90万ヒットありがとうございました。