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 陽も暮れる頃合に玄関の呼び鈴が鳴り、迎えに出たペシフィロが「……ああ」とため息をこぼせば行く先は見えている。ななは、今日もまた暗がりで肩を落とした。表で暮らす人々からは、彼がどこに潜んでいるか目視することはできない。だからといって、いつまでも呼びかけを無視することは許されないのだ。繰り返されるペシフィロの声に顔を出すと、申し訳なさそうに言われる。
「カリアラ君が、また帰ろうとしないそうで……」
 その後は、続けられなくてもわかっている。あのしつこい元ピラニアから逃れるために、子どもの遊びを提案した。探すから、隠れろ。吐き捨てれば了解したピラニアは真剣に陰を探し、ななからは丸分かりなその位置で体を縮める。もちろん、ななに最後まで遊びを遂行するつもりはない。邪魔をされることもなく快適に本来の仕事を進め、任務の延長上としてペシフィロ宅に戻っている。
 だが、それで納得するカリアラではない。鬼に見つけられるまでは絶対に帰らないつもりだ、とくたびれた様子のサフィギシルが語る。子どもの喧嘩に親が出るのもどうかと思うけど、と、悪意のない言葉がこぼれて、ペシフィロと共に笑っているがどういう意味なのだろうか。ななは知るつもりはない。知っていても、考えない。
「とにかく、技師協会の物置の奥の箱の裏にいるからさ。邪魔な物どけて、『見つけた』とかそういう顔するだけでいいから。……いいですから。お願いします」
「なな、私からもお願いします。見つけに行ってあげてください」
 彼らが怯えるほど不機嫌な顔を作っているわけではないが、二人とも気遣う目でななを見る。
「かくれんぼを言い出したのはあなたなんですから。ね」
 ここまで延長させるカリアラも悪いと知っている。けれどそれでは解決しないと訴える表情だった。いつものことなので改めて考えるまでもない。ななは、見慣れたものにしか分からない程度の会釈をして家を出た。サフィギシルがついてくるが、それを待つつもりはない。他に誰も追いつけないよう全力で跳んでいく。
 嫌、なはずがなかった。そういった私的な感情は持ってはいけないのだから。だが肩が重い。これからあの生き物と関わらなければならないことが、どうしようもなく気持ち悪い。この状態が何なのか決して考えないようにしながら、ななは魔術技師協会に到着した。サフィギシルはまだ追いついていない。教えられるまでもなく分かっていた、カリアラの隠れ場所に向かう。完全に夜となった物置の奥の箱。歪んだ位置で座るそれを、前起きなく蹴り飛ばした。
 ななが遊びを言い出してから半日、食事も勉強もそこでしながら待ち続けたのであろうカリアラが、筆記用具や食べ終わった食器に囲われて顔を上げる。ななを、見る。視線を逃がし続けるので重なることはないけれど、カリアラはななをみつけて輝くような笑みを浮かべた。
「十時間三十二分!」
 手元には、最近読み方を覚えたばかりの懐中時計が握られている。
「俺、十時間三十二分も隠れられたぞ! すごいか? すごいな!」
 もちろん答えるはずがない。ななは、部屋すら明るく照らすほどに喜んでいるカリアラを絶対に見ないよう目を背け、一歩ずつ後じさる。ようやく到着したサフィギシルがカリアラの頭を叩き、首根を掴んで謝罪させたが言葉では答えなかった。同じ空気に触れているのも耐えられない動きで、素早く物置を出る。そうでもしなければ全身に立つ鳥肌が、悪寒が、まとわりつくカリアラの喜びが消えてくれないのだ。
「ななー! 明日も遊ぶぞー!!」
 元気よく腕を振り上げるのも、サフィギシルがそれを叩くのも見ようとはせず、ななは気持ちの悪い全身を冷やすため、冬の川に向けて走った。



「……お前はな、いい加減にしたらどうだ」
「なにがだ?」
 ようやく囲むことができた食卓で、サフィギシルはカリアラの分をよそってやりながら言う。
「あのな、あの人もいい大人なんだから、毎日お前と遊んでなんていられないんだ。迷惑だろ、人と触れ合いたくないんだし。俺たちだって、ジーナさんだって、お前が今日こもってたからいろいろ大変だったんだ。なんでわざわざあの人とばっかり遊びたがるんだ」
「そうですよ。私たちとかくれんぼすればいいじゃないですか」
「だって、シラは喜ぶだろ」
 当たり前と言わんばかりの回答に、シラも、サフィギシルも食事をする手を止めた。カリアラは頬をもごもごと膨らせながら、ひとつずつ説明していく。
「あのな、ななはな、おれと遊ぶのいやなんだ。おれが毎日遊んでくれっていうの、すごくいやがってる。でもな、おれが今日みたいにずっとじっとしてたらな、サフィがペシフに言ってななを呼んできてくれる。ペシフが言ったらななは来なきゃいけなくなる。だから来て、おれを見て、すごくいやがる」
 とどまっていた食物を飲み込んで、カリアラは心からの笑顔で言った。
「おれ、なながいやがるの大好きだ。もっといやなことしたいんだ」
 例えるならば、彼の中に根付く生きがいを語るような、他の誰にも邪魔できない確固たる喜びの声。
 何を言っても無駄なのだと悟る二人に、カリアラはさらに語り続ける。
「おれはななと遊べるし、ななはそれでいやがるだろ。すごく便利だ。それが一番だ」
「……俺はお前の育て方を一体どこで間違って……」
「ああ、でも格好いい……」
 新しい生き方を突き進む彼に、シラは熱い息をこぼす。サフィギシルはいつになく輝いているカリアラを見て、ひとり、ななが己への罰として飛び込んでいるであろう川を思った。


“見つかった!”


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