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 何をするでもなく座っていると神様がやってきて、
「お前の願いをひとつだけ叶えてやろう」
 などとお決まりの台詞を言う。さてどうするかと悩むこともなく、案外にあっさりと
「じゃあ、あそこで高笑いをしているどうしようもない老人を、引きずり落として踏みつけて、これ以上ないほどに打ちのめしてくれませんか」
 と、笑うでもなく憎むでもなく心の底から素直にそう願ったところで、目が覚めた。
 ぱちりと瞼を開けたところで神様などいるはずがなく、見えるのは染みのついた天井ばかり。後頭部がやたらと重く、包帯を巻いた肩は昨日から引き続きじくじくと痛んでいる。ペシフィロは今しがた覚めたばかりの夢を思い出し、そのあんまりな内容に、引きつった笑みをもらした。



「……はぁ。それは面白いことですね」
 面白がるどころか興味すらなさそうに、サフィギシルが水差しを傾ける。わざわざ茶を入れさせるのも悪いかと気を遣った結果は二杯の素水と成り果てた。魔力を凝縮した濃水に比べて見た目も味もかなり劣るが、ペシフィロもサフィギシルも、体質の都合上これしか口にできなかった。この国での生活にいくつもの不便を抱える変色者と魔力無しは、向かい合って水を飲む。
「で、それは本心ですか」
「え?」
 一口、草の香りのする水を含んだところで尋ねられた。
「いや夢の中でじゃなくて、現実でそういうことを訊かれても、同じように先生の破滅を願うのかなって」
「ああ、そういうこと」
 そういえばそういう視点もあったのだとペシフィロはようやく気づく。サフィギシルに今朝の話をしたことにそうたいした意味はなく、二人してビジスを待つ無言の時間をつい埋めようとしただけだ。サフィギシルにしても深入りするつもりなどなく、なんとなく訊いてみただけなのだろう。だがペシフィロは新しく生まれた事実にわずかだが動揺している。
「どうしたんですか?」
「いえ。あの、はい。……本心です」
 グラスを置いたサフィギシルはペシフィロの反応をいぶかしむ顔をしている。
「なんでそんな不思議そうに言うんですか」
「いや、だって改めて考えて、本当にそうだなあと思ってしまって……」
「先生を打ちのめしたいって?」
 そうなんです。と懺悔の姿勢で口にすれば、魔力無しの青年は嘲笑じみた息を吐く。
「よっぽど疲れてるんですね」
「そうなんでしょうかねえ」
 肩口には、まだ斬りつけられた時の感触が生々しく残っている。数日はろくに仕事もできないかと思ったものだが、実際に傷口を確認すればそれほどの深手でもなく、利き手でもないのだから生活に支障はない。ペシフィロの体にはビジスにつけられた傷跡がいくつも残っているが、どれも左半身や普段使わない部位に偏っていて、ペシフィロはそれを見るたびにビジスの技量と己の未熟さを何度でも思い知るのだった。
「そんな顔しなくてもいいんじゃないですか。あれだけ無茶されて恨みのひとつも湧かないなんて、人間としておかしいですよ。そりゃ殴りたいとか踏みつけたいとか考えても当然だ」
「まあ、そんな気はしてきますけど」
 昨日の今ごろは、この家の庭でビジスと戦っていた。そう考えると、ペシフィロには自分が今ここに生きていることが奇跡的に思えてくる。ビジスとの勝負は刃潰しの模擬剣などではなく、間違いのない真剣で行なわれる。だが己の力を振り絞って戦うペシフィロとは違い、ビジスの動きや表情は楽しい遊びをしているものとなんら変わりない。
「見てていつも思うんですけど、二人が戦ってるところって、先生がペシフさんをおちょくってるようにしか見えないんですけど。なんというか、猛獣が人間にじゃれついて遊んでるみたいな」
「みたいというか、まさしくその通りでしょうね。あの人はもう完全に人で遊んでいるんですから」
「じゃあ、なんでやめないんですか?」
 心底不可解という顔で尋ねられてきょとんとする。
「どうせ勝てないって知ってるわけでしょう。怪我することもわかってるのに、どうしてわざわざ付き合うんですか」
「はあ、そうですよねえ」
 そういえば何故なのだろうかと、戦っている時の感覚を思い起こしては噛み砕き、ペシフィロは悩みながら答えを出す。
「……気持ちいいから?」
 サフィギシルが数十歩退いたような気がした。
「…………へぇー」
「えっ、あっ、違いますよ! 変な意味じゃありませんよ、ほら、運動をするとスッキリするのと同じで、何か、こう、嫌なことも吹っ飛ぶというか、健康的になるというか……」
 あわてて修正したところでサフィギシルが戻ってくる気配はなく、すぐ目の前にいるはずなのに遠巻きに眺めるような顔をしている。ペシフィロは、間違いではないのに、と言葉の難しさを思い知った。
「健康って、でもそれで怪我したら意味ないじゃないですか」
「まあそれはそうなんですけど、やっぱり、こう……楽しいんですよ。戦っている時は」
 間違いのない事実を口にしているのに、サフィギシルの表情に納得が浮かぶ気配はない。
「ペシフさんって、意外に好戦的なんですか?」
 また考えもしない角度から質問されて、ペシフィロは窮してしまう。
「……そうなんでしょうか」
「僕に訊かれても困りますよ」
 それはそうだと思いながらも、だってと反する感情もある。ビジスとの戦いに喜びを感じることと、好戦的であるかどうかはまったく別の問題なのだ。サフィギシルからすれば同じだろうが、少なくともペシフィロにとっては、違う。
 だがどんな形にせよ楽しいと感じるならば、まったく好戦的ではないと言いきれないのかもしれない。今まで自分は平和主義だと考えていた分、ペシフィロは驚きに目を丸くしている。
「……そうかもしれませんね。だって、たったひとつの願いごとがそれですから」
 吐き終えた言葉がため息となる。今朝の夢を思い出して、改めてあんまりだと思う。
「他に、もっと願うべきことがあるでしょうに」
 恋人の訃報から、今日でちょうど一年になる。こんな日ぐらい彼女を生き返らせたいだとか、せめてもう一度逢いたいと願っておけばよかったのに。本当に叶うはずはないが、そうしていれば感情の行き場があるような気がした。あんなにも落ち込んで、立ち直れないほど沈んでいたのに今となっては願うことすら思いつかない。それよりも破滅的な感情が先立つのかと考えて、ペシフィロは自分がわからなくなっていくのを感じた。
「なんだ、随分と暗いな」
「先生」
 顔を上げるとビジスがいた。ペシフィロは反射的に質問する。
「……あなたは夢の中に入ったり、他人の夢を勝手に操ったりできますか?」
「まァ不可能ではないな。あらかじめ術を仕掛けたり、眠っている耳元で囁いたり……」
「昨日、うちに忍び込みました?」
「サフィ、なんだかわしは疑われているようだぞ」
 顔を向けられたサフィギシルが苦笑する。彼はそのままペシフィロが見た夢の話をした。聞き終えたビジスは、予想通り声を立てていかにも愉快そうに笑う。
「これは光栄。わしも気に入られたものだなァ」
「恨まれてるんですよ、先生」
「いいや好かれているのさ」
 ため息混じりの言葉にも構わず、ビジスはふてくされたペシフィロを見てにやりと口端を上げる。
「そうだろう?」
 はい、と素直に答えかけてすんでのところで飲み込んだ。ビジスはそう答えるのが当然と言わんばかりの顔をしていて、いつもながらにその自信は一体どこから来るのかと言い返したくなってしまう。ペシフィロは肯定も否定もせずに息をついた。諦めのような感情が顔つきをゆるめていく。笑うわけではないけれど怒りなど通り越して、残されるのは疲労に似たため息のみ。
「相変わらず前向きなことで。うらやましいですよ」
「お前こそ、随分と前向きな夢を見たようで何よりじゃないか」
「前向きですか? これが?」
 本気で怪訝な声になるのも仕方のないことだろう。だがペシフィロの疑惑をそよ風とも感じずに、ビジスは相変わらず間違いのない顔をしている。
「ああ。少なくとも去年の今ごろからすればな」
 ペシフィロは言葉の意味が掴めなくて訊き返しそうになるが、ビジスが城に向かう準備を始めたので話はそこで途切れてしまう。だがペシフィロの頭の中では今朝の夢の内容と、ビジスの言葉が現れては混じり合っていつまでも消えていかない。なぜビジスと戦うのか、どうしてそこまで彼を倒したいと思うのか一日中考えて、考えて、布団の中まで持ち込んで、そのままに眠ってしまった。




 何をするでもなく座っていると神様がやってきて、
「お前の願いをひとつだけ叶えてやろう」
 などとお決まりの台詞を言う。さてどうするかと悩むこともなく、案外にあっさりと
「じゃあ、あそこで高笑いをしているどうしようもない老人を、引きずり落として踏みつけて、これ以上ないほどに打ちのめしてくれませんか」
 と、笑うでもなく憎むでもなく心の底から素直に願った。
 すると神様はたちまちにビジスの姿となり、にやりと口端を上げて言う。
「残念だが、わしにもその方法だけがどうしてもわからないのだよ。もう随分と長い間願い続けているのだが。なァペシフィロ、一緒に探してくれないか。共に行けばいつかは辿り着くだろう」
 そう、こちらに手を差し出す笑顔に見覚えがあると思えば、戦いを始める時の嬉しそうな顔と同じである。ペシフィロはああと息をついた。そうだった。忘れてしまうところだった。
 戦いを続けるのは、彼が終わりを求めているからではないか。
 だからこそペシフィロはそれを与えたいと願う。力なさを承知して剣を構えて彼に向かう。
 ペシフィロは笑った。なるほど、たしかに前向きである。もう取り戻せないものを願うのではなく、これから共に向かおうとしている未来を望んでいるのだから。そうだろうとビジスが笑う。そうですねと笑顔で答える。そうしてくすくすと笑みをこぼしているうちに、いつの間にか目が覚めた。

 目が覚めても、笑っていた。ペシフィロは頬を押さえたまま身を起こし、枕元や部屋の中にビジスがいないか思わず確認してしまう。窓の鍵はかかっているか、侵入した気配がないかと思う存分確かめて、ふわりと口元をゆるめた。


“呆れ”


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