松田くんの恋人は、いわゆる「不思議ちゃん」というやつです。 みちかちゃんというのですが、いつもヒラヒラのフリルのついた服を着ていて、もう二十五だというのに大人っぽくなるきざしがありません。隙さえあればくるりくるりと回っているし、まったくもって、普通の人とは違うのです。 対して松田くんはというと、筋金入りの元ヤンキーで、さらにいえばナルシストです。むしろ、ナルシストの道を暴走したいがために不良をやめたふしがあるので、まずナルシストといったほうが本人も喜ぶでしょう。そのぐらい自分の顔に自信を持っているのですが、長年の夢であるホストの面接には十連敗して結局のところはフリーターです。 そんなふたりがどうして付き合っているのかというと、松田くんは「こんな変な女と付き合ってやれる俺ってばなんてカッコイイ」と日々実感するために彼女の手を取り、みちかちゃんはといえば「わあ、松田くんってキツネさんみたいで素敵」と、独特の審美眼で彼に抱きついたのでした。ある意味ではお似合いの二人ですが、やはり住む世界が違うのでしょうか。よく、価値観のちがいに悩まされているようです。 例えば昨日。松田くんは、彼女と付き合ってから何回目ともしれない困惑を眉に乗せました。 道端に咲く花を見たとたん、みちかちゃんが気絶してしまったのです。 慌てて怒鳴りながら頬を叩くと、意識を取り戻したみちかちゃんはほのぼのと笑いました。 「ああ、アブラムシって、素敵」 松田くんは、とっさに「この女を放り出して逃げたいきもち」になりましたが、そこはそれ、「こんな変な女と付き合ってやれる俺ってなんてかっこいい」と考え直して話を聞きます。 みちかちゃんは答えます。菜の花にたかるアブラムシが、とても美しいのだと。 松田くんは、我慢して尋ねました。どうしてそれで気絶するのかと。 「だって、こんなにも鮮やかな黄色に、透き通る黄緑色が集まってるんだよ。ちいさくて、たっくさん! 見て、黄色さんを隠しちゃうぐらいにがんばってるの。素敵」 ですが、松田くんにとって、うじうじと動くアブラムシなんて鳥肌を立たせるものでしかありません。なぜこれがきれいなのか、わからないまま問いを重ねました。そうじゃなくて、どうしてそれで気絶するのかということを、ヤンキー調で。 みちかちゃんは、そんな大声には慣れっこなので平然として答えます。 「松田くんはぁ、くらくらしないのぉ?」 人差し指を口に当てて、みちかちゃんは考えました。 「あっ、もしかして、みちかが女の子だからかなあ?」 そうだそうだ、と両手を取ってぴょんぴょんと嬉しげにはねられても、松田くんにはわかりません。わかるはずがないでしょう説明してください。という意味の台詞をヤクザ風にぶちかまします。 もちろん、みちかちゃんがそれにひるむはずがありません。 「あのねえ、女の子はね、好きで好きでたまらないものに出逢うと、くらくらしちゃうんだよ。だから気絶しちゃったのぉ」 松田くんは、飛ばしていたガンをさらに強めました。意味がわかりません、という意味の不良語で尋ねます。 「あとはぁ、みちかはね、あおーい空を見たときも気絶しちゃうの。すっごくドキドキして、心臓がぎゅうっとなって、くらくらーって頭がぐるぐる回っちゃう。とってもきもちイイんだよ。みちか、あおい空だーいすき」 松田くんは、とたんに黙りこんでしまいました。みちかちゃんが首をかしげます。 「どおしたのぅ? 松田くんもくらくらしたいのぉ?」 「……男は」 男は、どんなタイプがくらくらなのかと松田くんは尋ねました。彼が複雑な空気をまとっていることにも気づかずに、みちかちゃんは考えます。 「ううーん。でもー、みちかはぁ、お空とえっちできるほどおおきなひとじゃないからなぁ」 さもありなん。同じく、アブラムシの相手になるほどちいさくもないのです。 「松田くんって、へんなこと訊くんだねえ」 えへへと笑ってみちかちゃんは松田くんの手を取りますが、黙りこんだ松田くんは、いつものようにぎゅうっと握り返しはしないのでした。 「俺は、アブラムシだ――!!」 松田くんは黄緑色のジャンパーを着て叫びました。みちかちゃんと別れて、自分の部屋に戻ってからです。松田くんはいっしょうけんめいに黄緑のものを探したのですが、これしか見つからなかったのでした。本当は、全身を包むものが欲しかったのに。 「いや違う。いや違う。俺はこんな男じゃない! 冷静になれ俺。いつもと同じあのバカ女のたわごとじゃないか」 冷静になってしまうと、もう頭を抱えてヤンキー座りをするしかありません。一瞬、脱色した髪の毛に黄緑色の彩色をほどこすことも考えましたが、お金がないので諦めました。 「何がくらくらだ、あんのお花畑女め。いいか、俺はアブラムシなんかじゃない。それよりももっとすごい男だ!」 ようするに、松田くんはアブラムシに負けたのがとっても悔しいのでした。 「俺はもっとカッコイイ! 俺はもっとカッコイイ! 俺はもっとカッコイイ! イエス!!」 もちろん、ノーという人は誰もいません。この部屋には松田くんしかいないのですから。 それなのに松田くんは負けている気持ちになって、今度は空色のカーテンを体に巻いたりするのでした。 さてその翌日。松田くんは、げっそりとした顔でみちかちゃんとデートをしています。さりげなく空色のバンダナを頭に巻いてみましたが、みちかちゃんはなにも言ってくれません。わざわざ、白のスプレーで雲まで描いてみたというのに。 松田くんは、心の底から疲れていました。言いたくてしかたがないのです。 『お前は俺の女なんだから、何よりもまず俺にくらくらするべきじゃないのか』と。 だけど松田くんはどうしても言い出せず、みちかちゃんの目の前で、空色のバンダナをふらりふらりと振るばかり。頬だって蛍光黄緑のペンでペイントしているというのに、みちかちゃんときたら気がつかないのです。 しかも、なんということでしょう。まったく関係のない噴水のしぶきを見てまた気絶してしまいました。太陽の光に輝く水しぶきが好きだなんて、昨日は言っていなかったのに。 松田くんは、とうとう音を上げました。目を覚ましたみちかちゃんに言います。 どうして俺では気絶しないんだ、と。 みちかちゃんは、抱きかかえられたままの姿勢できょとんと目を丸めます。 「松田くん、みちかにくらくらして欲しいのぉ?」 「そうだよ、して欲しいんだよ!」 「そっかあ」 みちかちゃんは、松田くんの腕の中で満面の笑みを浮かべました。 「松田くんは、みちかのことがだいすきなんだねえ」 くらくら、くらり。松田くんをめまいが襲います。たまらず気絶しかけたところで、えへへと笑うみちかちゃんが松田くんを抱きしめました。 「みちかも、松田くんのことだーいすき」 「は、はは、ははは」 混乱する松田くんの頭の中では、冷静になりやがれともうひとりの自分が叫んでいます。これは違う。これは違う。くらくらなんてしていない、と。だって、まさか、みちかちゃんの笑顔が満開のカーネーションに見えただなんて。目の前で突然開かれたように思えて心臓がドキドキして、目がくらんだなんて、まさか俺に限っては。 「ははははは、ははははははは」 「あはははは、はははははははっ」 松田くんはおそろしくて笑います。 みちかちゃんは楽しくて笑います。 こうして今日も、松田くんとみちかちゃんは、仲良しさんなのでした。 へいじつや / 読みきり短編全リスト |