「ローストビーフうう? 晩飯それだけかよ」 母の告げた夕食のメニューを聞いて、彼は不満そうに言った。 拒否反応を丸出しにした一人息子の言葉を聞いて、父親は顔をしかめる。点滅するツリーの光にあわせるように、億劫そうにタバコの灰を叩きこぼした。 「漬物と飯もある。上等じゃねーか。食わせてもらって文句言うな」 大分短くなったそれをまた口元に戻しながら呟くと、息子は口をとがらせる。もう高校二年生にもなるのに、相変わらず不満があると幼稚園児のようになる。幼い表情、大人げのない行動。息子はいつもと同じように、コタツの向こう側で拗ねたように寝転がった。 「つっまんねー」 「クリスマスだ。我慢しろ」 背後にたたずむ大きなツリーの葉の先が肩をくすぐる。父はあぐらを組みなおし、深くこたつに潜り込んで、ビニールのちくちくとした感触から逃げた。電飾がまたたいている。いつもより一つ二つ明かりを減らした部屋の壁を、カラフルな光で照らす。 一体何が楽しいのだろう、一家の母はこの西洋のイベント事が大好きで、一人息子が大きく成長してしまっても変わらずツリーを飾り付ける。予約していた大きなケーキ、買ってきた丸ごとの鳥。だが今年は例年とは違い、彼女は買い損ねた鶏肉の代わりにローストビーフを買ってきた。大食いの息子を裏切るように、本日のメインデッシュは薄っぺらい牛の肉。 「どうせならケンタッキー買ってくれればなあ」 「あんなベトベトしたもん食えるか」 夕食の希望を電話で訊かれ、迷いもなくそう答えたのは父親だった。息子はますます不満そうに、歪めた視線で父を見る。 「自分だけ嫌なもん避けてんじゃねーかよ」 「『二十四日は外で食ってくる』って言ってたのは誰だろうなあ」 父はそれをかわすように、飄々と新聞を手に取った。消したままのテレビに何を映すか探すように、番組欄をざっと眺める。息子はぴたりと黙ってしまった。ふいと顔を他に向け、父の言葉もまるでなかったようにする。 「ふられたか」 「っせーな。関係ねーだろ」 父はちらりと横目で見るが、息子はただむくれるように大柄な背を見せるだけ。うつぶせになって転がしていた雑誌を広げて読み始めた。自分の部屋に戻るには、夕餉の時間が近すぎる。だが彼が部屋に向かおうとしないのは、さっきから定期的に聞こえてくる着信音のせいなのかもしれなかった。 薄い壁を一枚隔てた向こう側から、またしても聞きなれた携帯電話の音がする。 「呼んでるぞ」 「いいんだよほっとけば」 父は不審に眉をひそめた。昔から女の子に縁のない息子のことだ、付き合い始めたばかりだという同級生も、きっと愛想をつかしてしまったのかと思っていたが……。 「けんかしたのか」 「うっせーって言ってんだろ」 「約束してたんじゃなかったのか?」 父は新聞を折りたたんで側に置いた。ぱさりという軽い音に息子はぴくりと反応したが、意固地になってしまったようにこちらに頭を動かさない。 「今日、約束して、それで待たせてるんじゃないのか?」 息子の恋路に口を出すつもりはない。けんかも何もそれぞれの問題だからと関わらないつもりだった。だが、人を待たせているとなれば別だ。昔からこの子供は遊びに行く直前で約束を放棄する、待ち合わせ場所で全員が待っていても頑固に部屋から出て行かないということが何度かあった。 小学校の時など、友達と行く潮干狩りを直前に嫌がりだして、友達とその家族が駅でずっと待っているのに、自分の部屋のドアの鍵すら開けようとしなかったこともある。今日もそれではないのだろうか。 隣の部屋の携帯電話がまた着信を遠く伝える。なかなか鳴り止まないそれは、メールではなく電話だろう。 「ばか、さっさと出てこい」 激しさこそないものの、久々に本気で叱ってみるが、息子はただ不自然な仕草でほお杖をついただけ。どうするべきかと父親が悩んでいると、ガラスのはまった戸を引いて、台所から一家の母が顔を出した。 「そろそろ片付けてー。ケーキも全部出しちゃうから」 彼女はその場の状況も知らないままに、呑気にローストビーフを中央におく。せかせかと台所とここを往復し、その他の副菜、グラスにフォーク、取り皿やはしにシャンパン・ケーキを並べると、こたつも兼ねた食卓はあっという間に華やかに彩られた。 毎年毎年変わりもしない光景だ。息子にとっても十七年間変わらず過ごし続けた一夜。 時刻は七時、外にはすでに闇が落ち、身を切るような冷たい空気に満たされていることだろう。暖房の温風に満たされた部屋の隅では、加湿器が蒸気を出し続けている。 「昔はさー」 外の様子を不自然に気にかけながら、息子は呟くように言った。 「サンタが本当にいるもんだって信じてたよ。親父がさ、いっつも枕もとにプレゼント置いてってくれたじゃん。わざわざ用意した靴下無視して隣に置くだけだったけどさ」 「靴下の上に置いてやってただろうが。あんな小さい足に入るか」 父は息子の話題の振りを不可解に思いながら答える。イベント好きな妻に頼まれ、毎年毎年サンタクロースをやっていたのもついこの間のことのようだった。 「そうだけど。でもさ、やっぱ嬉しかったんだよ。毎年さ、クリスマスがずっと楽しみで、何ヶ月も前からあと何日か考えて。寒くなるのが楽しみで、冬自体が大好きだった。それがサンタの正体に気づいた途端にプレゼントなしになるってすげえむかついたんだけど」 夢を卒業したのは小学校四年のとき。彼がようやくサンタの正体に気づいてからは通常のクリスマスプレゼントもなしになった。ただ、物を欲しがる息子に向かって父が繰り返した言葉は。 「プレゼントは“まごころ”だ」 幾度となく贈った言葉を今年もまた呟くと、息子はとうとう顔をあげて不機嫌そうに座りなおした。またとがらせてしまった口が、ぶつぶつと愚痴を吐く。 「ケチにもほどがあるっていうか、あんまりにも酷すぎねぇ?」 「ばか、最初から決めてたんだよ。クリスマスプレゼントはサンタが終わればそのまま終了。ただ呑気に寝てるだけで物をもらえるのは、夢見る子供時代だけ。いつまでもタダで好きなもの貰えると思うなってことだ」 「サンタ来ねぇかなあ」 息子はつまらなそうに肘をついて、父の言葉を無視するように外を向いたままで言った。薄手の白いカーテン越しには暗い夜空が広がっている。本物のサンタクロースは、今ごろどこかをソリで翔けているのだろうか。 「クリスマスが楽しかったのも、結局その時までだったよなあ。毎年毎年面白くもないのに飯ばっかり派手でさあ。つまんねーの。どうせサンタももう来ないし?」 「…………」 呆れによるため息をつき、一言言おうと父が口を開きかけた時。台所の方から「おとうさん、ちょっと」と一家の母の声がした。父は妻に呼ばれるままに、ゆっくりとこたつを出て歩いていく。息子はただ相も変わらず外ばかり眺めていた。 「ほら見て、懐かしいでしょー」 台所から更に向こうに連れて行かれ、冷え冷えとした廊下の隅で父は思わず言葉を失う。妻が箱から取り出したのは、目に懐かしく華々しいサンタクロースの衣装だった。昔、息子がサンタを信じていたころ着ていたものだ。寝ている間に贈るのだから着る必要はないはずなのに、このクリスマスを愛する妻にはそんな言葉は通じなかった覚えがある。 「ほら、今日ちょっと不機嫌だし、久々に驚かせてみたくない? びっくりするわよー。カメラもちゃんと出してあるから、三人で記念に撮りましょ」 「…………」 多種多様な文句と意見が喉の奥で渦を巻くが、あまりにも色々とありすぎるせいで何から言おうか逆に戸惑う。複雑にしかめた顔でその場に立ち尽くしていると、妻は笑顔でサンタの衣装をばさりと彼に押し付けた。箱の中から更に白いヒゲまで出す。白い毛玉のついた、愛らしい赤い帽子も。これらを全て装着すれば、寸分の狂いもなく道化じみたサンタクロースだ。 「ね、久々にサンタになってみない?」 彼は所在無さげに胸に抱いた服を見た。遠くのほうからまたしても携帯電話の音が聞こえる。相変わらず出ようとはしないらしい、拗ねきった息子の言葉を思い出す。 ――でもさ、やっぱ嬉しかったんだよ。 ――毎年さ、クリスマスがずっと楽しみで、何ヶ月も前からあと何日か考えて。 ――サンタ来ねぇかなあ。 ――クリスマスが楽しかったのも、結局その時までだったよなあ。 ――つまんねーの。どうせサンタももう来ないし? 彼は大きな息をひとつつく。 ほんの少し白いそれは、たちまち冷たい空気に消えた。 「ほら。メリー・クリスマス、だ」 あまりにもやる気のない言葉とやる気に満ちた服を見て、息子はしばし固まった。真っ赤なズボンに黒いベルト、同じ生地の真っ赤な上着は白い布で縁取られている。口には作り物の白ヒゲ、頭にも赤い帽子。不機嫌そうなサンタクロースは、うんざりとした表情で、くい、と親指を背後の母親に向けた。着ることを強制されたのだという仕草。 一瞬走った硬直をほどくように、息子はとにかく爆笑した。げらげらと笑い続ける。嬉しそうな母親のにこやかな笑いとは違う、本気でおかしくてたまらないといった笑い。 父はただむっつりと口をつぐみ、彼の笑いをじっと見下ろしていたが、あまりに長く続く笑いを止めるように一声かけた。 「おい」 息子はまだ笑いを残したままで父を見上げる。その顔に、赤い帽子が落とされた。 投げられたサンタ帽を取って、わけもわからず眺めていると、父はやけに物々しい声で言う。 「サンタクロース継承だ」 「……は?」 怪訝に眉をひそめた息子に、父は顔色ひとつ変えずに続けた。 「いつまでも『貰う側』にいるんじゃねえよ。俺はお前が正体を見抜くまでの十年間サンタクロースをやったんだ。十回もしっかりと仕事をやり遂げて、引退した」 白ひげを無造作に剥がしながら、父は息子に向けて言った。 「だからお前も最低十回サンタをやれ」 ぽかん、と開けられたままの息子の口が、ゆっくりと閉じられる。 騒がしい着信音がまた新たに響き始めた。息子は帽子を握りしめる。 「行って来い。初仕事だ」 その言葉にスイッチを押されたように、息子はこたつを飛び出した。 ばたばたと騒がしく部屋へと走る。慌てすぎて電話を落とす音がした。すぐに着信音が止んで、代わりに随分気の弱そうな話し声が聞こえだす。長い謝罪、焦りを含む必死の声。部屋中のものをひっくり返すような音が続き、忙しさを忘れないまま力強くドアが開く。 突然家を出ていこうとした彼に、母が慌てて言葉をかける。 「ご飯は? いらないのね!?」 「食ってくる!」 息子はどたばたカバンを引っさげコートを着つつ、嵐のように身支度をしながら転がるように廊下を走る。待たせすぎた待ち人のもとへと向かう。 その影が、思い出したように食卓の前まで戻った。 息子は服を脱いでくつろいでいた父に向け、サンタ帽を掲げて言う。 「十一回だろ、“サンタさん”!!」 その意味が伝わると、二代のサンタは顔を合わせ、よく似た顔で同時に笑った。 十二月二十四日。誰もがサンタになれる夜。 へいじつや / 読みきり短編全リスト |