幸せな魔王



「魔王はもともと勇者だったんだよ」
 多田がそう言ったのは、日もそろそろ暮れ始めた夕方五時のことだった。
 学校帰りに押しかけたまま帰る気配を見せない奴に、僕はベッドに座ったままで、心底どうでもよさ気に答える。
「ひゃあすごい」
「うわ何その声。信じてない感丸出しすぎて俺の心は壊れたガラス」
 多田は一人畳の上にあぐらをかいて、客のくせにこの部屋の主のように堂々と振舞っている。くだらないことをにやにや笑って言いながら、置きっ放しのペットボトルから直にジュースを飲みほした。
「人んちのもん勝手に飲むなよ」
「ああ? お客様は大事にしろってママから教わんなかったか? つうかあれじゃん、これ俺のために持ってきてくれたんだろママが」
「ママママ言うな」
 いやん反抗期。とからかう口調で嘆きながら多田はまたにやりと笑う。そしてさっきの馬鹿な話をもう一度盛り返した。
「だからさ、魔王がもともと勇者だったっつー話をしたいわけよ俺は。この居心地がサイコーにいい君の部屋で素敵なトークをかましたい」
 明日は心底面倒くさい、山への遠足だって言うのに今日の多田はいつも以上に楽しそうだ。どういうわけか下らない学校行事が好きなこいつは、だるくてやってられないムードただようクラスの中で、一人だけ目を輝かせてしおりを熟読なんぞしていた。このテンションも遠足が楽しみだからこそかもしれない。
 サボる気満々だった僕を、むりやり参加に導いた強引さにはもう逆らうのも面倒だった。この件で今日一日散々うるさく騒がれたのだ。中二にもなってそんなに好きか遠足が。
「素敵トークでもなんでも喋れ。つまらなかったら勝手に本でも読みだすけどな」
「おおっ、いいねえいいねえシビアな観客。ま、俺様のインタレスティングな話を聞けば漫画なんざ紙くず同然。さ、視聴者の皆様には」
「いいから喋れよ」
 力の限りに冷たく言った一言にもまるで動じず、多田はさらに喜色を濃くして不気味な笑顔をこちらに向けた。彫りの深い野生的な顔でにんまり笑いはやめて欲しいが、これはこいつの癖の一つだ。
「じゃ、それでは話しましょうかね」
 そう言って芝居じみた咳をすると、多田は張りのある自慢の声で、朗々と語り始めた。

   ※ ※ ※

 さてこれから話すのは、一人の不幸な男の話。お客様こと山口君は耳をよおくかっぽじって聞きたまえ。
 ある異界に、一人の子供がおりました。そいつは何をやらせても、どんなに難しいことをさせても簡単にこなす天才児。神童と呼ばれた彼は周囲の期待を裏切らず、すくすくと素晴らしい青年へと育ちます。成績抜群、見目麗しく女にモテモテ男にモテモテ爺ちゃん婆ちゃん大フィーバーで動物にも大人気。そんな感じで誰からも好かれるカリスマ野郎だったわけ。で、何の問題もなくて神様僕を生んでくれてアリガトウな彼でしたが、次第に日々の生活に疲れを感じてくるのでした。
 何故ならば、彼は何もかも完璧にマスターしてしまうからです。善行・修業・ボランティア。剣術を習ってみれば、その日のうちに免許皆伝、職人に弟子入りすれば、頭の固い親方もあっと言うまに『負けました』と頭を下げる。なので彼は人生に絶望してしまうのでした。
 この世の全てが彼にとってはあまりに簡単すぎたのです。何をしても物足りない彼は苦行を探して旅立ちました。なのにどんな難関でさえ、彼にとっては赤子の手を捻るにひとしい呆気なさ。こりゃもう嫌になるでしょう。というわけで彼は毎日ごろごろダラダラ退屈な日々を過ごしました。
 しかしそんな彼に朗報が! なんと魔王と名乗る男が現れて、悪行に明け暮れているそうなのです。人々は彼に魔王を退治するように頼みました。彼もまたこれほどの難関はないだろうと大喜びで、早速魔王の元に行きます。その凛々しい雄姿に彼は勇者と謳われました。そう、ここまでは、彼は確かに勇者だったのです。
 だがしかし! なんと世界を恐怖に落とした魔王でさえも、勇者の前ではスライムのごとく簡単に倒されてしまったのです。もう一撃です。ふざけんなっつーぐらい一瞬です。
 勇者は荒れました。俺はどうしてこんなつまらない世界に生まれたのだ! そしてとうとうブチ切れてしまいます。この世をもっともっと生きがいのある、魔物だらけ悪魔だらけの怪物ランドに仕立て上げてしまったのです。彼は自ら魔王となり、闇の穴を世界中にこじ開けて、さまざまな異界から凶悪な生き物を次々に呼び出しました。その余波を受けて世界はまさに地獄のごとし。魔王は新たな勇者が自分を倒しにやってくるのを楽しみにしていましたが、誰一人として魔王には一太刀すら浴びせることができません。
 絶望、絶望、更に絶望。魔王は狂ったように世界中に穴を開けます。どこかに自分を満足させる障害はないのだろうか。どこかに、どこかに自分を苦しめる難関は。
 そして、彼はとうとう地獄の扉を開いてしまうのでした。
 その世界では、見たこともない獰猛な生き物が当たり前のように闊歩し、空を飛び、地中を素早く移動します。魔王はこちらの世界に渡ってきたその生き物と戦って、生まれて初めて自分の血を目にしました。彼は傷を負ったのです。その生き物は、どんなに強い者でさえも、一撃すら敵わなかった魔王と互角に戦ったのです。
 彼は悦びに震えました。こんな世界があったのか。こんなにも強い魔物が大量に生きる世界が存在したのか。そして魔王はその世界をのぞき見て驚きました。なんと、その世界に生きている人間は、あの魔物の何倍も強いのです。あんなにも強い魔物を当たり前のように殺し、狩り、常食して生きているのです。
 その強さに感動を覚えた魔王は、自分はここで生きるべきだと強く感じ、自らその異界へと旅立ったのでした……。

   ※ ※ ※

「で、それがこの俺様ってわけだ」
「は?」
 僕は思わず、語り終えた多田に向かって聞き返す。
「誰が何だって?」
「だから、俺が、勇者で魔王で天才児。つうか実はもう五十代なんだよな。成長の尺が違うからこっちでは若く見えるだけで、あっちでは結構なおっさんだったりすんのよ」
 多田はあっけらかんと言って、またジュースを直に飲んで喋り終えた喉を潤す。
 僕はあんまりな話のオチに、一気にどっと疲れを感じた。ばかばかしい、ふざけるにも程がある。
「遠足が楽しみすぎて、頭おかしくなってないか?」
「何を言う。俺はいつでも本気だっつの。やー、こっちの世界はいいねえ。毎日が楽しくって仕方がない。もう五年目なのに全然飽きない」
 多田はふざけてごろごろと床に転がった。僕は呆れた視線を送りながらベッドを降りる。
「アホらし。あーあ、誰かさんのおかげでサボれない遠足の準備でもしようかな」
 そして多田を踏みつけて、部屋の奥の武器棚の前に座った。
 明日の遠足で使う刀を目で選ぶ。ど、れ、に、し、よ、う、か、な……ああもうどうでもいいや、一本だけで十分だろう。そう思って一番軽い短刀を手に取った。
「えー、そんなやる気のない。折角の狩り、思いっきり楽しもうぜ山口くーん」
「ガーゴイルならこれで十分。貧弱な多田魔王様と一緒にしないでくれませんかー?」
 僕は背中に寄りかかってきた奴に向けて、とびきりの嫌味を言った。つもりだったが多田はまったくひるみもしない。それどころか逆ににこにこ嬉しそうに笑っている。本当に変な奴!
 中学生にもなって、魔物狩り遠足程度に浮かれる奴はそうそういない。狩りがいのない魔物ばかり山のように倒しても、家に持って帰れるのはせいぜいが一塊で、更に言えば有料なのでつまらないことこの上ない。だから嫌なんだ、ちゃんとした施設って。単独で野山に入って狩った方が何倍もやりがいがある。
「いいねえいいねえ強い奴。魔王様はそういう人を捜し求めてこの世界に来たんですよ?」
 まだ言ってるよこのバカは。僕は武器の手入れをしようとしたが、窓の外から断末魔の悲鳴が聞こえてやめにした。そろそろ晩飯の時間らしい。
「多田魔王様、晩メシ喰ってく? 今日は絞めたてのコカトリスだけど」
「よっしゃ! 喰ってく喰ってく。ありがとうやまぐっちょ〜」
 そんな変な呼び方するな。そう思いながらも口にはせずに、僕はとっぷりと暮れた空を確かめながら部屋を出る。すぐ後を、多田がスキップしながらうきうきとついてきた。
「おめでたい頭」
 ぼそりと言うと、多田は嬉しそうに意味ありげな笑みをみせる。
「おめでたいさ。やりがいのある人生ってなんて素晴らしいんだろう!」
 廊下中に響くほどの大声で言い、わざとらしく両手を広げて壁にぶつけてしまったりする。
 お気楽な自称魔王は心の底から楽しそうに、いつものようににやりと笑った。
「ああ、幸せなこの世界にカンパイ!」
 ふざけるように手を組む多田に、僕は呆れてため息をつく。
 馬鹿みたいに平凡でくだらない雰囲気をまき散らしつつ、僕たちは血の臭いに誘われるまま庭の方へと歩いていった。


へいじつや / 読みきり短編全リスト

幸せな魔王
作者:古戸マチコ
掲載:へいじつや
製作:2002年10月