町はずれに住む彫刻家、ヴェイン・ボーグの顔の恐さといったらもう、町の中で知らない者がいないというほどだった。その輪郭は素人が作った彫刻のように鋭く硬く、常に暑さに耐えるような、恐ろしい形相で暮らしている。そもそも顔の部品自体、世界中の恐い顔の生き物から一つ一つ徴収したかと思うほど。特にその灰色の目の鋭さは、野生の気配がぷんぷんすると皆が揃って言っている。 ヴェイン・ボーグ二十八歳。人は彼を『絵に描いた魔王のような姿』と言った。 「懐かねェー」 町の半ばのとある酒場。常連ばかりが時間を過ごす小さな店のその隅で、ヴェインは机に突っ伏した。獅子のような乾いた髪が、無造作に散らかっている。 「懐かない懐かないって、預かって何年目だよ」 その姿には見向きもせずに、アレクは酒を大きく煽る。恐ろしいと大評判の悪友が、それを言うのは日常的なことだった。 「四年目。四年目だぞ!? なんで未だに俺の顔見てびびるんだ!」 「そりゃ、顔が恐いからだろ」 言い捨てると睨まれる。睨まれると余りにも恐ろしいので思わず目を逸らしてしまう。逸らしてしまうと彼はどうやら傷ついたようだった。 「恐いか。そうか恐いか。娘にも友にも怯えられる運命なのか」 「い、いや……今は心の準備がなかったから」 「じゃあ一々『今から睨むぞー』とか言えってか。いやそれよりも問題はリースだ。あいつ、未だに俺と目が合っただけでびくつきやがる。今朝なんか運んでたカップ落としたんだぞ! 俺はただおはようって言っただけなのに!!」 こうだ、こう。と意味もなくその動作を真似始めるが、彼の体は大柄な上に全体的に硬そうで、よく見ると結構な筋肉が付いているので可愛らしいものではない。何より顔が恐すぎる。 ――父親に向いてないことこの上ないな、この男は。 アレクはつまみを口にしつつ、横目でヴェインを薄く見る。町の誰もが獣のよう、魔王のようだと囁く男。その彼が八歳の養女を育てていると、誰がすぐに思うだろう。その義理の娘を一目見て、誰が彼の子供だと思うだろうか。小さく細く華奢な体、整然と、だがあくまで素朴に並べられた顔のパーツ。引っ込み思案で人見知り、いつもどこか後ろのほうに下がって見ている大人しい子。と、この絵に描いたような悪人顔の大男。 事実は小説より奇っ怪であることが非常に多い。この親子もそのわかりやすい事例の一つであるようだった。 「それであいつ、『ご、ごめんなさいっっ!』つって泣きそうな表情で」 「……声真似はやめろ、気色悪い」 「だって俺はひとっつも怒ってないのに何回も頭下げてペコペコと。四年! 四年も暮らしてこんなことってないじゃないか!」 「ま、普通敬語は使わないな。まだ八歳だろ? 礼儀正しいといえばそうだけどさ」 「そうなんだよ。あいつが大人しすぎるんだ。もうあんな性格でこれからやっていけるのかと思うと心配で心配で……」 「凄いな。全然心配しているように見えない。今から人を食いに行くような顔に見える」 より恐ろしく睨まれたので、思わず目線を余所にやると入り口に人がいた。 「あ、リースちゃん」 「え!?」 唐突な娘の出現に、動揺をしているようなのだが全くそうは見えなかった。アレクにとっては今更のことなので構わずに、リースに向かって手招きをする。だが、リースは顔を真っ赤にし、ゆっくり姿を隠していく。切り取ったような扉の枠に、顔と体が半分だけ。 「リース、来いよ」 笑えばいいのに仏頂面だ。懐かないと嘆きながら、彼は小さな娘の前では異常なまでにぎこちない。懐いてないのは二人共だと気がつくのはいつのことか。 「リース!」 「あの」 泣きそうな表情で立ち尽くす背後から、一人の女性が姿を見せた。髪をしっかり結い上げて、それと同じく表情を引き締めている。 宥めるようにリースの肩に手をやって、彼女は一度息を吸って一気に身分を名乗り上げた。 「私、トアニード幼学校で一年二組の担任をしているアリーと言うものです。本日は家庭訪問ということで、一度お家に窺ったのですが……」 アレクは思わずヴェインを見る。彼は本気で知らなかったようだった。まあ、娘に対してだけ妙にこまめなこの男が、みすみす行事を逃したりはしないだろう。彼なりの完璧な格好で、完璧に家を掃除して、彼なりの歓迎スマイルで出迎えたに違いない。その笑顔がどんなに人に恐怖を与えるかは言うまでもないことだが。 しかし、こんな唐突な状況で出された笑顔よりは幾分マシであっただろうか。 「じゃ、じゃあ、今から家に戻りましょうか」 引きつっているのをなんとか誤魔化そうと顔に余計な力が入り、どう見ても怒りを我慢している表情。 明らかに怯えているアリー女史の顔を見て、アレクはまたしても友の失敗を知るのだった。 「リース、聞きなさい」 余りにも短く、余りにも簡単な家庭訪問が終わった後で、残されたのはヴェインとリース、そして何故かアレクの三人。先生が、密室にこの男と居たくない。と言わんばかりの縋るような表情でアレクを見つめたのでこうなってしまったのだ。気持ちは解るが居心地がとても悪い。 「どうしてパパに先生が来ると言わなかった?」 パパって言うな。心からそう思ったが真面目な場面なので言い出せない。 「それにこのプリント! どうして見せてくれなかったんだ。パパは発表会とかそういうのが大好きだぞ」 と、獣を虐殺してきたばかりのような清々しい表情で言う。ある意味でとても見物なのだが、リースはずっと俯いたまま彼の顔を見ようとしない。 膝に乗せた小さな手が震えている。ひっく、としゃっくりが聞こえた後は、そのまま嗚咽になだれ込んだ。ぽたぽたと涙が落ちる。 「ごめんなさい……」 蚊の泣くような掠れた声。ヴェインはみるみる青ざめて、うろたえながらきょろきょろと辺りを見回す。それがアレクの顔で止まり、口の動きで「どうしよう」と訊いてきた。深く鋭く彫った線が、ぐにゃぐにゃとたわんだような面白い表情だが回答は浮かばない。ゆっくりと首を振ると、仕方ないといった風にまた娘に向き直る。 「お、怒ってない怒ってない。大丈夫大したことじゃないからな! な! ほらアレクもそう言ってるぞ!」 「そ、そうそう別に泣くほどのことじゃないよ。それにもう終わったことだしさ、ほら解決解決問題ない」 明るく言うがリースは何度も首を振った。かすかな声で、違うの。と一つこぼす。 「お、お父さんに、あや、あやまらなきゃいけないの。わたし、わたし絵の発表会でね、絵の時間にね、発表会の絵をね、あさってから描くことになっててね、それでね」 所々しゃっくりに邪魔されながら、たどたどしく説明をする。二人の大人は掠れたそれを聞き逃すまいと、必死になって音を拾う。 「絵の題がね、あの、題がね、決められててね、それがね」 ま。ままままま、と一段と声を震わせた。泣き声と共に吐き出すように、リースはなんとかそれを言う。 「魔王なの」 ヴェインの顔が引きつった。 「っ、あな、あなたの考えた魔王はね、どんな人かなってね、想像して描かなきゃいけないの。それでね、それでね、みんなが思いつかないって、わかんないって文句言っててね、それで、それで……」 リースはちらりと父親を見る。引きつりつつも必死になって笑おうとするその形相に押されたのか、叫ぶように言い切った。 「魔王はうちにいるって言っちゃったの……!!」 堰を切ったように大声で泣き出した娘を見つつ、ヴェインもかなり泣き出しそうな表情だった。 「魔王」 まおう。ともう一度呟いた。その姿こそがどう見ても魔王にしか見えなくなって、アレクはゆっくり首を振る。 「想像上の人物を描かせようって教育さ。別に、お前のことを馬鹿にして付けたわけじゃないよ。ほら昔よく描かされたじゃないか、妖精はどんな姿だと思いますか、悪魔はどんな姿だと思いますか」 二階からリースの泣き声が聞こえ続ける。それが彼に更なるショックを与えるようで、抜け殻のようなその姿にはいつもの元気が現れない。 それでも彼が、善人に見えることはなく、ただ『元気のない魔王』にしか見えないのはもう仕方のないことだろうか。 「リースちゃんもさ、なかなか輪に入っていけないタイプだし。みんなと仲良くなりたいから、つい言っちゃったってだけだろう。それで人気者になれれば……」 いいじゃないか。と続けることは出来なかった。そんなあからさまな嘘を信じて喜ぶ子供はいない。リースはそれをからかわれ、嘘つきと呼ばれるだろう。 せめて近い学校に通わせていれば、と思う。町での彼のいわれない悪評が届かないよう、わざわざ少し遠い場所に通わせているのだから、彼のその魔王顔を知る子供はそうそういない。 「……アレク」 彼らしくもない静かな声。 「ど、どうした? そんな真面目な顔して」 まるで何かを決めたような、強い意志の見える顔。揺れもしない目で見つめられ、戸惑いながら彼の言葉に気を傾ける。 その悩み多き若き父親は、真剣にこう言った。 「魔王って、どんな格好だ?」 静まった朝の食卓。リースは未だに何を言ってもごめんなさいしか口にしないし、ヴェインもヴェインで腫れ物にさわるように恐々としか触れ合えない。ただでさえ少ない会話が一気に減って、朝でも夜でも家の中は静まっていた。 それを、久々に父が破る。 「今日、絵の授業があるんだろう」 リースはびくりと体を震わせごめんなさいと小さく言った。 もうそれを止めることなくヴェインは続ける。 「それは何時限目だ」 え、と口の奥で呟いた後、かすかな声で回答する。ヴェインはそうかと言ったきり、後は黙って朝食を口に運ぶ。 後はもう戸惑っている娘以外、全てが変わらぬ静けさだった。 それぞれの机の上に、画用紙が配られる。黒板には『まおうのえ』と絵のテーマが提示された。それを見て、あちこちからくすくすと笑い声。 「リース〜、いいよなお前だけ楽勝でー」 隣の席の少年が、鉛筆でリースをつつく。 「お前のオヤジ魔王だもんなー。こえーこえー、殺されるぅ〜」 甲高く声を変えておどけてみせる少年に、あちこちで笑いが起こる。アリー先生がたしなめてもそれが止むことはない。段々と調子に乗ってエスカレートするからかいに、リースは俯き赤い顔でなんとか涙を堪えている。 「ワゴー! いい加減に」 先生の声は戸の開く音で中断された。 一気にその場がしんとする。みんながそちらに注目している。教室前部の開かれたドア。その向こうに、廊下に立っているのは体格のいい大男。乾いた髪は最大限に上を向き、見慣れない真っ黒なマントを羽織り、その中は濁色の服、腰に佩くのは大きな剣。 そしてなによりその顔は、魔王の如くに恐ろしかった。 「ひっ」 先生が息を呑んで後ずさる。魔王のような格好をしたヴェイン・ボークは教室に踏み込んだ。一度横目で生徒全てを睨みつけ、そのまま歩いて教卓へ。先生は既に窓まで逃げている。 子供たちは固まったまま動けない。氷の魔法を掛けられてしまったようだ。しかしそれでもヴェインから目を離せない。 ヴェインは、教卓の真ん中に立つと教師のように全体を見回した。震え上がる生徒を一人一人見つめていたが、リースの所で一瞬ふっと和らいだ。だがそれに気が付いたのは、リースと先生だけである。 ヴェインは、今までにないぐらい低く、恐ろし気な声で言った。 「俺は魔王だ」 誰もが小さく息を呑んだ。 「今日は魔王の絵を描くと聞いて、わざわざここにやってきた。感謝しろ」 その発言を皮切りに、教室がざわつき始める。声を潜ませ目は魔王に向けながら、各々相談事をする。アリー先生は、ここでようやく魔王がリースの父親と気がついた。気が付いてもおそるおそる、彼の元に近寄って囁きかける。 「あの、どういうことなんですか」 「そのまんまだ。俺は魔王だから描かれる。それで何か問題が?」 ヴェインは横目ではなく真っ直ぐに、先生に向き直る。囁き声で話を繋ぐ。 「この間の家庭訪問、この問題を言いにきたんじゃないですか」 「……はい。すみません、動揺してしまったもので……」 「じゃあ、先生から言ってくれ。今日は魔王がモデルになると」 先生は少し悩み、ヴェインのしてきた精一杯の『魔王らしい』珍奇な格好を眺め……頷いた。 「皆さん、今日は予定を変更します」 魔王の横でいつものように明るく話す。 「今日は皆で、魔王様を描きましょう!」 「スッゲー、本物見て描けるなんてうちのクラスだけだぜ!」 円状に机を並べ、それぞれが中央の魔王を描く。彼に聞こえることを恐れるために、隣同士で囁くように会話する。興奮したように話す者や、怯えて泣き出しそうな者。 「ねぇ、大丈夫なの? あの人、私たちを食べちゃうんじゃないの?」 「どうしよう、こわいよう」 描いてはいるが、明るい者はあまりいない。まるで脅迫されているような雰囲気だった。 リースはやはり俯いたまま、自分の父を見られない。画用紙は白紙のままで、鉛筆すら握っていない状態だ。 「ね、ね、リース。リース」 隣に座る女の子に話し掛けられびくりと震える。だが相手も同じぐらいに怯えたような表情だった。青ざめた顔で囁きかける。 「あのひと、きっと私たちを痛くするわ。殺されちゃったらどうしよう」 それを契機に近くの生徒が口々に囁きだす。 「そうよ、今だってすごい恐い目で見てるもん」 「食べられちゃうかも」 「どうしよう、どうしよう」 「きっと誰が一番おいしいか探してるのよ」 「殺されちゃう」 「恐い! 今こっち見た!」 ドキドキする心臓を抑えるように、すぅ、と息を吸う。 「こわくないよ」 リースは今まで忘れていたような、しっかりとした声で言った。 「恐くないよ。魔王は……お父さんは、優しいもん」 教室が、しんと静まった。みんながリースを注目する。先生も、ヴェインも。 「恐くないよ。私のお父さんだもん」 確かめるようにヴェインを見る。真っ直ぐに、久しぶりに正面から彼を見つめた。 「ああ。パパはリースが大好きだからな」 ヴェインはゆっくりと笑った。でもそれが微笑だと気づいたのはリースだけ。 「だからリースの友達も結構好きな方かもな〜」 他の者には地獄の底から這い上がってきた時のような笑いにしか見えなかった。 「で、結局その後はそれなりに和気合い合いと」 「ほう。お前はこの絵を見てそう思うのか。そりゃ凄い」 今日は絵の発表会。展示室の壁中に貼り付けられた子供たちの努力の成果。それをざっと眺めつつ、アレクはヴェインの学校話を聞かされていた。 目の前に広がるのはリースのクラスの展示の絵。主題はもちろん魔王である。 子供の観察力と想像力を最大に生かしたそれらはある意味で素晴らしかった。一面に、生の牛を丸ごと食うヴェインだとか、大鍋をかき回すヴェインだとか、悪全開の表情で笑っているヴェインだとかが四十枚ほど並んでいて眩暈がしそうだ。全ての絵に黒と赤がふんだんに使われている。約三分の一の生徒がバックに城を置いていた。 「で、リースちゃんのはどこなんだ?」 「んー、ちょっと待て今探して……」 空を辿る指が止まる。それだけではなく動きなども。 「あ、魔王!」 「魔王来てる!!」 クラスメイトらしき子供たちが、ばらばらと展示室に入ってきた。だがその声も今の彼には聞こえていない。 アレクはリースの作品を見て、言葉が止まり、そして後からくつくつ笑いがこみ上げてきた。特にヴェインの顔を見て。 「いい感じじゃないか、お父さん」 リースの名前が添えられたその絵には、満面の笑みを浮かべる優しそうな魔王の顔。 それは魔王の絵というにはあまりにも父親すぎて、並べられた中では一際異彩を放っていたが、そんなことはヴェインには関係ない。 ずび、と鼻水をすする音。 「あっ、魔王が泣いてるー!」 「ええっ血の涙じゃないよー!?」 遠くから口々に驚く子供の言葉を聞きながら、アレクはずっと笑っていた。 へいじつや / 読みきり短編全リスト |