番外編目次 / 本編目次


「ねーねー。オレも修理見てていい?」
 ピィスがそう言ったのは、今まさにサフィギシルがジーナによって作業室に連行されていく最中だった。ぎょっとしたサフィギシルは怪我をも忘れて首を振る。
「何言ってんだバカ! 見ていいわけないだろ!」
「いいじゃん別にー。オレだってジーナさんの作業っぷりとか、人型細工の中身とか見たいんだよ」
「あ、私も見てみたいですね。それ」
 などとシラまで手を叩くので、サフィギシルは青ざめた顔を一瞬にして熱く照らした。思いつきにほころぶ二人の顔は、明らかにサフィギシルをからかう色に染まっている。きっと、恥ずかしがる様子を見て楽しむつもりなのだろう。想像するまでもなくその光景が目に見えて、サフィギシルは全力で否定した。
「駄目だ! 二人ともなんだよいきなり。そんなこといいわけないだろ、なあジーナさん?」
「そうだ。ピィス、人型細工の作り方は教わらないようペシフに言われているだろう。それに、そこの人魚もあわせて一応は女なんだ。怪我は腕だが全身の調整もするんだから、嫁入り前の娘や悪女が見物するべきじゃない」
「一応ってなんだよ一応って」
「悪女とはなんですか悪女とは」
 自分のことは棚に上げるジーナに二人は口を尖らせる。水をさされて機嫌に濁りが差したのだろう。そのためいかにも不満そうではあるが、それ以上追ってくるつもりもないようだった。
 だが、彼女たちが諦めに身を引きかけたとき、予想外の声がする。
「じゃあ、おれならいいのか?」
 カリアラが手を挙げた。きょとんとした丸い目には、シラたちのような企みは浮かんでいない。カリアラは引きつった空気の意味にも気づかず、まっすぐな瞳で告げる。
「おれ、サフィの中見てみたい。サフィはな、いっつもおれの中見てるのにな、おれはまだ見たことないんだ。おれ、オスだから大丈夫だ。見学するぞ」
 きっぱりと言いきられては断りの文句も浮かばず、サフィギシルは嫌な予感がしながらも曖昧にうなずいた。



 いつもならばカリアラが載っている作業台に、今日はサフィギシルが腰かけている。カリアラもまた逆転の位置でサフィギシルを見下ろしていた。まだ何も始めていないのに好奇心に輝く視線。それはまあ見学なのだから仕方がないかもしれないが、サフィギシルがどうしても納得のいかないことは。
「お前、それ、何するつもりだ……?」
「観察記録だ」
 カリアラは胸を張って画帳を掲げた。サフィギシルはその頭を叩きたい衝動に駆られるが、利き側である左腕は裂傷を負っているし、右手はそれを支えている。重心が崩れるのも構わずに蹴ってやろうかと考えるが、嬉しげなカリアラの目を見て諦めた。観察記録はここ最近の彼の日課となっている。家の中のものを記しては喜んでいるカリアラに、悪意や他意はないのだろう。これがシラやピィスなら間違いなく嫌がらせだが……と納得をつけたところで、ジーナが部品を探しながら言う。
「カリアラ、サフィギシルを脱がしておいてくれ」
「わかった」
 えっ。と呟く暇すらなかった。次の瞬間サフィギシルの視界は影に落ちる。カリアラが、サフィギシルの着ていたシャツを思いきりたくしあげて振ったのだ。それも、ボタンを外し忘れたまま。
 奇声を上げるサフィギシルに構わず、カリアラは一生懸命シャツを振る。サフィギシルは負傷している腕どころか肩も首も外れそうに全身を揺すられて、息もできず苦しむばかり。
「あれ。ジーナ、脱げないぞ。もっと強くしなきゃだめか?」
「何やってんだー!!」
 絶叫と共に殴られる音がして、サフィギシルは死にそうな状態から解放された。倒れこむ勢いでぜえはあと息を荒げる。涙目で服を戻すと、カリアラはジーナに頭を抱えられて拳を押しつけられていた。ぐりぐりと続く攻撃に、元ピラニアはびくりと跳ねる。
「お前は服の脱がし方もわからないのかあああ」
「お、おおおおお……」
 カリアラはごほごほと奇妙な咳をこぼしながらうなずいた。多分、意味としてはごめんなさいというところだろう。存分に罰を与えたところで、ジーナが腹立たしげにサフィギシルの服を取る。
「まったく、怪我人に何をするか。よく見てろ。服はこうやって脱がすんだ」
 暴挙で寄った服のしわを手のひらで戻すので、サフィギシルはどきりとしてつい背筋を伸ばしてしまう。ジーナは彼の顔を見ることもなく、慣れた手つきで服のボタンを外していった。いつもより丁寧なのは、カリアラに教えるためなのだろう。だがもどかしいほどにゆっくりと進むしぐさが、少しずつあらわにされていく肌を赤らめた。触れるか触れないかの位置で動く彼女の指を見ていると、体中がむずがゆくて意味もなく叫びたくなる。じっと絡みつくカリアラの視線もまた苦しくて、サフィギシルは胸のあたりに取りついているジーナの頭ばかりを見ていた。揺れる髪飾りが離れたところで、涼しさが肌を撫ぜる。
「はい。こうやって外すんだ。わかったか」
「よし、わかった。次はおれがやる!」
「時間がないから後にしろ。終わったら何回でも脱がしていいから」
「そうか。サフィ、後でやるぞ」
「無責任なこと言うなよ! こいつ本当にやるんだから!」
 真剣に抗議しても、ジーナはただ「はいはい」と言いながらサフィギシルの触覚を切る。これを残していたら、これからの作業はむずがゆくて耐えられないだろう。何も感じなくなった白い肌を、皮の厚い指先がそろそろとなぞっていく。人工皮の縫い目を探して、肩から腕へと慎重にすべらせた。熱の失せた黒い瞳を寄せられて、サフィギシルは息を呑んでしまう。作業中のジーナはまばたきすら忘れていて、見ているほうも緊張してしまうのだ。短く切りそろえられた爪が一点を押さえる。素早く構えた器具の先が、その表面を摘み取った。かすかな気配がして張り詰めていた糸が切れる。そのまま弾くように縫い目を飛ばせば、色の浅いサフィギシルの皮は身から離れた。
 隠されていた木の部分が晒される。何重にも塗料を重ねた木片の集まりは、木肉皮と呼ばれるもので人間の筋肉にあたる。もっとも、各部位を動かすのはその奥の神経に委ねられているのだから、単に内臓を守ったり、体格を増したりという役割しかもっていないが。文字通り木製の肉であるそれを見て、カリアラがジーナに訊く。
「これはなんだ? この、赤いの」
 指差した先には、赤色に染められた糸がうずを巻いている。家屋に張りつくツタのように木肉皮に這う神経。ぎくりとするサフィギシルを無視して、ジーナはずばり言いきった。
「それはな、性感帯だ」
「せいかんたい?」
 血でも吐きたい気分になった。
「サフィ、せいかんたいってなんだ?」
「それを俺に訊くのか。俺に訊くのか」
 何があっても答えるものかとサフィギシルは顔をそむける。人型細工の性感帯は、人間のそれとは違いはっきりと目に見えるものだ。木肉皮を繋ぎ、時には這う神経の中でも特殊な意味を持っているため、多くは赤く色分けされる。全身の要所から局部へと繋がるそれがなければ快感を覚えることはなく、人型細工にとっては重要な部品のひとつなのだが、内容が内容である。ジーナも答える気はないようだし、黙っていればやり過ごせるだろうと高をくくっていたところで、カリアラが声を上げた。
「そうか。交尾するのに必要なんだな」
 サフィギシルが内臓を吐き出したい気持ちのまま目をやると、カリアラは分厚い魔術技師の事典を膝に乗せて笑っている。
「おれはもう眼鏡があるからちゃんと本も読めるんだ」
「こんなにも眼鏡をおそろしく感じたのは初めてだ……」
 サフィギシルは恐怖につばを飲み込んだ。この元ピラニアは、眼鏡を手に入れてからというものいやに勉強熱心なのだ。これまではろくに文字も読めなかったくせに、今ではたどたどしいながらも調べ物まで完遂する。おののくサフィギシルに、カリアラは不思議そうに首をかしげた。
「でも、おれたちは子ども作れないんだよな。なのになんで交尾するんだ?」
「それはな、気持ちがいいからだ」
「ジーナさーん!」
 迷いのない回答に悲鳴をあげるが、カリアラはさらに問う。
「気持ちいいって、なんだ?」
「……そこからか……」
 ジーナは作業の手を止めて考える。いや、答えなくてもいいんだけどとサフィギシルは言おうとするが、その前にひらめいてしまったようだ。
「気持ちいいというのはな、大人にしか味わえない甘く苦い微妙な感覚だ。むしろそれを知った時点で大人になるといってもいい。お前もな、今はわからないが、いつか自然とそれを体得する時が来る」
「なんか深い! 性教育になってきてる!」
 カリアラはそうかと一度は納得したが、すぐに怪訝に眉を寄せた。
「でも、おれはもう爺さんだぞ」
「あー、じゃあ枯れてるかもしれないな」
「えっ、おれ枯れてるのか? かぴかぴなのか?」
「まあビジスの例もあるし、一概に枯れ果てているとも……」
「何の話!? ねえ何の話!?」
 遠巻きに駆けていく会話にサフィギシルはついていけない。意味を理解してはいるが、二人の間に入れない。だが動揺する当人を置いたまま、カリアラとジーナはあらぬ方へと進んでいく。
「性感帯はかいかんを覚える場所に巻くものであり、その位置の判断は各技師にまかされる……って書いてあるぞ。じゃあ、ジーナも判断したのか? だからサフィのはここにしたのか?」
「そうだ。他の部分もだが、基本的には奴の体を再現している。あいつ脇腹弱かったからな。そのへんもまあ忠実に」
「そうか」
「嫌な知識が増えていくな……」
 そこまで同じなのかと複雑なサフィギシルをよそに、カリアラは描きかけの画帳に色を乗せる。
「ええと、脇腹は赤……赤……」
「俺の秘密を書き留めるなー!!」
 塗り分けられていく「さふぃのからだ」にもはや絶叫するしかない。ジーナがさらに肌を剥ぐ。
「あとこのへんも結構……」
「見せるなああ! そういうのは内緒にしてて!!」
 冗談だとジーナは笑うが、サフィギシルからすればもはや号泣したいぐらいだ。だがそれ以上に衝撃的な出来事が彼を襲った。
 カリアラが、剥き出しとなった性感帯を指先で撫でていたのだ。
 時の止まるサフィギシルを見て、カリアラは人の善い顔で笑う。
「サフィ、気持ちいいか?」
「お、お前、お前……」
 それ以上何も言うことができなくて、修理が及んでいるせいで止めることもできなくて、サフィギシルは硬直した。見下ろす先ではカリアラが、えい、えい、と一生懸命赤い糸を撫でている。
「まだ気持ちよくないか? もっとこすったほうがいいか?」
「ジーナさん止めて! なんか俺たち一線を越えかけてる!」
「ああ? はいはいちょっと待て、今手が離せないから」
「お願い早く! これしゃれになってな……こするなー! お前に言ったんじゃねええ!!」
 窓を拭くのと同じ動きで糸をこするカリアラを殴りたくてしかたがない。だが動くこともできず、サフィギシルは涙目で訴えた。
「ジーナさぁん!」
「別にいいじゃないか。性感帯のひとつやふたつ、少々触られたぐらいでどうにかなるわけでもなし」
「えっ、そうなのか? もっといっぱいしなきゃだめなのか?」
「そうそう。じっくりと、根気よく、焦らずに進めるのが肝心だな」
「危うげな指導すんなああ! 触るな――!!」
 じっくりと脇腹に取りつくカリアラに向けて怒鳴るが、ジーナは真剣には取り合わなかった。
「いいじゃないか、どうせ感覚は切ってるんだし」
「感じる感じないの問題じゃねえー!!」
 たしかに感覚がないのだから大事には至らないのだが、そういう問題ではないのだ。本気で泣きたくなっていると、左手を縫い終えたジーナがようやく魚を止めてくれる。
「まあ冗談はここまでとして。ほら、カリアラもうやめろ」
 カリアラはきょとんとしてジーナを見る。何が悪いのかまったくわかっていない顔だ。
「いいかカリアラ。嫌がっている相手に無理やりこういうことをするのは、人間の世界では陵辱という」
「言うの!? そこまでだったの今の行為!?」
「そういうことをしたら、犯罪者として警察に掴まるんだ。だから、もう二度としちゃだめだ」
「嫌がってないときはいいのか?」
「うん。まあ、でも、男相手はやめておけ。お前、何の抵抗もなくそっちの河渡りそうだから」
「本当だよ……」
 無知というものがここまで恐ろしいとは思ってもみなかった。サフィギシルはカリアラの将来を考えて、肩に重い物を感じる。純粋な元ピラニアは、あくまでも澄んだ目で動物のように立っている。
「はい。じゃあサフィギシルに謝れ。嫌がる悲鳴を聞きもせず強引に事を運んだんだから」
「ジーナさんそれわざと言ってるよね? わざと嫌な言葉選んでるよね?」
「サフィ、ごめんな。お前が嫌がってるのにおれが無理やり気持ちよくさせようとして……」
「なんで何の他意もないのにとんでもない発言になるんだろうな!?」
 気づいていないカリアラは、本当に反省しているようだ。しばらくは悲しげにうつむいていたが、ふと、サフィギシルを見る。
「でも、なんで嫌がるんだ? 大人になれるのに」
 言っている意味がわからなくて見返すと、カリアラはたどたどしく説明した。
「あのな、サフィはいっつも子どもだって言われると怒る。だからおれ、触ったんだ。気持ちよくなるのは大人だから」
 答えはもはや明確だったが、サフィギシルはあえて訊いた。
「……で、大人だから、なんだって?」
「うん。だからおれがサフィを大人にしてやろうと思ったんだ」
「……悪意はないはずなのに……」
「天然というものはものすごい生き物だったんだな」
 あくまでもまっすぐに言いきるカリアラは、ある意味で何よりも強い存在なのかもしれない。サフィギシルはそれでもまだ「気持ちよくするとな、大人だからな」と説明を繰り返すカリアラを見る。彼は、これからこの魚の成長をどうやって導いていくべきかと考えて、うんざりと頭を落とした。

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