ノリスの街の観光資源は最新技術の結晶と、古びた魔術の慣れの果て。
 例えば前者は個人向けでは小型写真機、業者向けなら断熱装置に空調機。
 後者を次々挙げるとすれば、魔女の杖レプリカ、魔法薬を模倣したただの香草入りの瓶、観光名物魔力塔案内図、及び魔力塔縮小模型。魔法についての呪文書は子供向けの偽物で、山になるほど数があるのは古代語めいた散逸呪文の模様つきタペストリー。
「楽しいですか先輩」
「とても」
 シグマがどんなに疲れたような声で言ってもミハルが動揺するはずもなく、彼女はただ無表情で買い集めたニセ魔法のお土産物をテーブル上に並べていく。小さな二人掛けの席は既に隙間も少ない状態。シグマは食べ終わった昼食の皿を無言で隣の席に避けた。空いた場所にミハルはすかさず物を置く。それが小さな魔力塔の飾り物だったので、シグマは思わず不満そうに彼女を見上げた。だがミハルはやはり顔色一つ動かさない。
「あともう少し買いたいものが」
 シグマの向かいの椅子に座り、床に置いた紙袋をテーブルの下に寄せる。並べきれない購入物が、袋の中で擦れるような音を立てた。
「まだあるんすか!? ちょっと落ち着きませんか、そろそろ」
「ああ、先に食べたのか。丁度良かった」
 ミハルは今更ながらに空になった皿を見つけ、平然と彼の言葉を流す。
「人の話を聞いて下さい本当に」
「大丈夫、落ち着きはする。休憩を取るために戻ってきたんだから」
「それは俺にとっては休憩じゃないんですって。ああもう、これ全部書き写すつもりなんすか?」
 念のため一つ一つ土産物を手にとって、シグマは細部を確認する。ミハルが買い集めたそれらには、どこかに必ず魔法に関する図案や模様が描かれていた。特に多いのは魔力塔内部に残されていた術を閉じ込めていたという紋様。魔力を流せば簡単に魔法を発動することができるが、世界中から魔力の消えた今の世ではただの図柄にしか過ぎない。
 もっとも、わずかな例外を除いてはの話だが。
 シグマはいかにも面倒そうに、土産物を細かく見つめる。食堂内に差し込むのは薄い曇った日の光。シグマは見づらい明かりに目を凝らしつつ、文字に手を近づけた。
 ほう、と光が指先を白く照らす。慣れた仕草で魔法の明かりを扱いながら、シグマはぶつぶつ愚痴を漏らす。
「この薄れて読み取りづらいやつも、この印刷インクで潰れたやつも? こんな原形とどめてない呪文使って、どうなっても知りませんよー?」
 だがミハルは反応しない。ただ熱心に、シグマの手元を見つめているだけ。シグマはどこか複雑そうにそれを見返し、ため息を一つついた。
 術者を失い意味をなくした散逸呪文は謎めいて、元魔術都市の土産物には丁度いい図柄だった。各所に呪文のかけらを記した物がぞんざいに売られているのはそれが無力とされたため。だが魔力と術者さえ存在すれば、呪文はまだ有効なのだと気付いたのが一月前。
 それからミハルは休みの度にノリスに赴き、買ってきた土産物から魔法の呪文を読み取ってはシグマに使ってくれという。この無表情で魔法好きの先輩は、魔力持ちの後輩を存分に活用して、趣味の研究を楽しんでいる。
 丁度休みが重なったのが不運なのかどうなのか、シグマは現在彼女のノリス巡りに付き合わされているところ。
「……あの、もうそろそろいいっすか」
「あ、ああ」
 ミハルはふと顔をあげ、気づいたように目を逸らす。シグマは改めて彼女をじっと見つめてみるが、やはりその顔色に変化はない。ほんの少し気まずそうに見えたのは仕草だけで、動揺などは表情には浮かばない。
「一つ聞きたいんすけど」
「何だ?」
 シグマは一瞬悩むような間を置いて、記された文字の種類ごとに土産物を分別しているミハルに向かって改めて聞く。
「楽しいですか?」
 ミハルの手がぴたりと止まった。そろそろと、不自然な速度でシグマの方に目が戻る。
「何のことだ?」
「や、なんか今日、いつもにも増して無表情っつーか、えー……というかなんか、淡々と進めてるし何か不満でもあるのかと。ええ、そんな感じで」
「別に不満も何もないし、私はただいつも通りなだけだ」
 平然と言い切られ、終わりかけた話を無理に続けるように、シグマは慌ててまくし立てる。
「いやでも、なんか魔法に関しての時だけ、より表情なくなるような気がするんすけど。ほら、それに比べたら割と普段は何考えてるか読みとれるというか。魔法好きならこういう時嬉しいんじゃないかなーと思うんですが」
「私は今とても嬉しいが。そうは見えないか?」
「見えません。嬉しいんならちょっとぐらい笑ってみたらどうっすかー」
 ミハルは本日初めてやや怪訝に眉をひそめた。意味もなくぎくりとするシグマに向かい、不機嫌そうな声で言う。
「笑えと言われて笑えるものでもないだろう。第一、私が笑って泣きそうなほど怖がっていたのはお前じゃないか」
「あ、あれはー……いや、意外だったのとですね、なんとなく不自然で浮いてたからっすよ。あそこまで爽やかで満面じゃないなら別に、そんなに怖くは……」
 ミハルはまた意図の読めない声色で言う。
「要するに、笑えと」
「あー……そうっすね。まあそんな感じで」
 しどろもどろになりかけながら喋るシグマに、ミハルは指をさして言った。
「じゃあ、お前が先に笑ってみろ」
「はい?」
 動揺も何も忘れて心の底から尋ねる彼に、引き続き冷静な口調で続ける。
「名を名乗るときは自分から。それと同じことだ。先にお前が今ここで『自然に』笑ってみろ。そうしたら私も笑ってやる」
 シグマは困惑も何も混ぜこぜにした、複雑な表情で彼女を窺うように見る。
「り、理屈は解るんすけど……そんな簡単に出来るもんなんすか?」
「お前が笑えば確実に笑えるだろう。さ、やってみろ」
 手のひらで合図を出され、相も変わらず意図の読めない目で見つめられ、シグマはしばし硬直したが……意を決して頬を緩める。
 強ばる彼の顔面に、引きつった異常に不自然な微笑が現れた。
 ミハルは笑った。
「あ、ちょっ、そういうことすか!?」
 真っ赤な顔で抗議するシグマに構わず、俯いたままけらけらと止まらない笑いを続ける。苦しそうに楽しそうに、破顔したまま爆笑を紡いでいく。
「うわ、笑いすぎ、笑いすぎっすよもう!」
 恥ずかしそうなシグマをよそに、抑えていた何もかもをほどくように、ミハルはひどく楽しそうに笑い続けた。




 人一倍心の中を隠す彼女が、こんな時にやたら無表情を押し進めるのは、嬉しくて嬉しくて仕方がなくて、どうしてもだらしなく緩んでしまう顔を隠すため。そう彼が気付くのは、しばらく後のことである。