番外編目次 / 本編目次


 むかしむかしあるところに、サフィギシルという可哀相な男の子がおりました。
 どのぐらい可哀相かというと、二人の義理のお姉さんに毎日細かくいびられていたり、掃除ばかりさせられるために灰まみれになっていたり、読者様からいただく感想でいまだに一度も「かっこいい」と言われたことがなかったりする有様でした。
「そもそも何一つとしてそういう見せ場がない上に最後の最後まで根暗な役割を任せられて……」
 と彼は今日も今日とてぶつぶつと呟きながら、姉たちの洗濯をたった一人でこなします。料理もやります。片付けもやります。風呂の湯加減調整から酔いつぶれた姉たちの介抱まで完璧です。
 それでもやはり姉たちには、生活臭が染み付きすぎているとか、主婦みたいだとか、小言が多いなどと言われてしまうのでした。やたらと頭をなでられたりもします。
 そんな時サフィギシルは、自分の人生はこれでいいのか、もっと違う生き方があるのではないかと若者らしい上昇志向を密かに燃やしつつ生ゴミを出し損ねて近所のおばさんに怒られたりするのでした。

 そうして毎日をこまねずみのように働きながら生きていた、ある夕方のこと。
 上のお姉さんがいやに改まった様子で言いました。
「国王陛下から招待がありました。私たちは、これからお城に行ってきます」
 サフィギシルは雑巾がけをしていた手をぴたりと止めます。姉さんたちはとても真剣な顔をしているのですが、さっぱりわけがわかりません。ぽかんとしていると、下の姉が肩をがしりと掴んで言います。
「いいか、十二時を過ぎてもオレたちが帰らなかった時は……お前は天涯孤独になったと思え」
 死ぬんですかお姉さん。
 そんなばかなと思いながら、ふと姉たちの格好を改めて見つめますが、纏っているのはごく普通の豪奢なドレスに飾り物。きらきらと輝くほどに華やかなその姿からは、不穏なものなど窺えるはずはありません。どう見ても、ただの豪華な夜会に挑むお嬢様が二人いるだけ。
「……遅くなるのはいいけど呑みすぎるなよ」
 サフィギシルは、こいつまたひとをからかって後で馬鹿にするつもりだな。とささくれた心で考えて、とりあえず簡単に流しました。何事もなかったかのように雑巾がけを再開します。
 姉たちは互いに顔を見合わせて、ため息をつきました。
「それでは、行ってきます。お留守番お願いしますね」
「万が一の時の後始末も頼むぞ」
「はいはい、行ってらっしゃいませ」
 そして二人は出迎えの馬車に乗って、遠いお城へと出発してしまいました。


 雑巾がけを終えて、水の入ったばけつを流しまで運んでいると、どこからともなくばたばたと不思議な音が聞こえてきました。ばたばた、ばたばた、ばたばた……。
 サフィギシルは怪訝に思い、その音の聞こえる方を何気なく覗いてみたところ。

 上の姉さんが可愛がっているペットのピラニアが、廊下に飛び出して死にかけていました。

「わー!!」
 サフィギシルは慌ててそこに駆け寄って、ばけつの中の汚れた水にピラニアを放り込みます。ピラニアはもう十九年も生き続けているしぶとい魚だったので、今回も真っ黒な水の中で懸命に口をぱくぱくさせています。
 しかし一体どういうことでしょう。水槽から飛び出してしまうなんて、今まで一度もなかったことです。ピラニアは何かを訴えるような目でじっとサフィギシルを見つめます。じーっと、あまりにもまっすぐな目で。
「いや、何が言いたいかなんて解らないし……」
 と思わず呟いた時。
 裏口の戸をぎいと開け、どこか地味な緑髪の男が現れました。
「その疑問にお答えしましょう」
「だ、誰だ!」
 驚いて身を引くと、男は手にしている魔術師の杖を示して言います。
「通りすがりというほどのものでもない魔術師です。無職ですが」
「どっちだよ」
「どちらかというと無職です」
 魔術師は寂しげな目で答えました。サフィギシルはこれ以上聞かないでいてあげることにします。
「それで、何の用なんだよ」
「お姉さんたちの身に危機が迫っています」
 魔術師は真剣な目をして言いました。
「今夜の城はか弱い女性がいるべき場所ではありません……戦場と言ってもいいでしょう。そのピラニア君は飼い主の危機を察して助けに行こうとしているのです。というわけで助けに行きなさい今すぐに」
「ちょっ、ええー!? 命令形!?」
 困惑するサフィギシルの背をぐいぐい押しつつ魔術師は更に急かします。
「いいから行きなさい! ほらっ、もう十一時三十分じゃないですかっ!!」
「なんだよその時間進行! いや歩いたら片道一時間はかかるし!」
「大丈夫です、いますぐ術をかけますから!」
 と言ったかと思うと早口に呪文を紡ぎ、置き忘れていたピラニア入りのばけつに杖を向けました。
 光と煙と水の匂い。一気に視界を覆ったそれらがさらさらと消えた後には……。

  雑巾色の人力車が一台と、魚くさい車夫が一人。

「世界観間違ってる――!!」
「いいんですよ遊びの短編なんですから! あとあの人はピラニアですから! 変身させましたそして名前は案の定カリアラ君ですハイどうぞ!」
「台詞で全部説明させんじゃねぇ――!」
 サフィギシルは全身全霊をかけてツッコミまくりますが、魔術師も元ピラニアも全く動揺しやがりません。カリアラはサフィギシルの腕を引いて、ほぼ強引に人力車に引き込みます。
「サフィ、急ぐぞ! 早く乗れ!」
「ハイ乗りましょう乗りましょう! カリアラ君、出発しちゃってくださーい!」
 二人がかりで車の上におしこまれ、サフィギシルはせめてもの抵抗とばかりに叫びます。
「あんたキャラ変わってる! そんな作者の手先みたいな人じゃなかったはずだろ!?」
「長引かせるほどのネタでもないんですよ童話パロなんて! はいレッツゴー!!」
「英語だし!」
「エッツヲー」
 カリアラは真似をしてみますが言えてません。サフィギシルを乗せた人力車はそのまま裏口を突き破り、まっすぐに城へと走り始めました。
「なんだこの展開――!」
 いやに冷え込む夜の空気に、身も蓋もない叫びが溶けていきます。



「シラもピィスもあのままだと大変なんだ。城は危険なところだから」
 言葉はいやに静かですが、人力車は未舗装の裏道を爆走している途中です。
「だから助けに行くんだ。よかったな、間に合いそうで」
 あちこちが建物にぶつかり、がたがたと揺れに揺れて座ってもいられません。サフィギシルはほとんどしがみつくようにして、なんとか車上にとどまっている格好です。カリアラはカリアラで十秒に一回の割合で体を木や壁にぶつけているのですが、一生懸命我慢してまっすぐに突き進みます。
「ごめんなさいもうしませんごめんなさいごめんなさい」
 サフィギシルは怒りや恐怖が頂点を越えてしまったのか、ぶつぶつとうわ言のように謝罪を繰り返していました。泣く余裕もありません。生きているかどうかすらも解りません。
 真っ青な顔で強く目をつむっていると、車がぴたりと止まりました。
「着いたぞ」
 カリアラは全身傷だらけになりながらも、あくまで平然として言います。
 サフィギシルはへなへなとその場に崩れ、弱々しく呟きました。
「ありがとうございますありがとうございますありがとうございます」
「ほら、行くぞ。時間ないぞ」
「いやだー。なんだよどこに行くんだよなんなんだよこの小説もういやだよ俺」
 サフィギシルが殆ど幼児化しつつ真剣に嫌がっていても、カリアラは真面目に答えます。
「ぶとうかいだ」
「は?」
「ほら、あそこだ」
 そして彼はサフィギシルの腕を引いて、いやに明るい王城を指さしました。
 すると、ちょうどそこから一人の男が転がるように飛び出てきました。彼はこけつまろびつ出口でもあるこちらに駆け寄ってきます。その足取りは頼りなく、何度となく転びかけます。まるで泥酔しているようです。
 しかしどうやら酔っ払っているのではないようでした。男は飲酒のかけらも見えない真っ青な顔でサフィギシルたちのすぐそばまで辿り着くと、ばったりと倒れ伏してしまいました。
 やや乱れた正装には血がこびり付いています。サフィギシルもカリアラも驚いて彼に駆け寄りました。
 そして、こんな人本編に居たかなあとか思いつつ顔を確認してみたところ。

 どこぞの長編に出てくるシグマという人でした。

「ゲストまで出てきた――!!」
「リンクまで貼られてるぞ!?」
 もう英語も迷わず使います。カリアラはシグマの怪我を確認しました。
「大変だ! 死にかけてるぞ!」
「そうなんです……しかも俺出番これだけでげふう」
「うわー! 絵に描いたような吐血だ!」
 と混乱しつつどうしていいか持て余していると、いやに静かな声がしました。
「……負けたか」
 びくりとして見上げると、正装してやけに美人さを引き立ててはいるものの、血のしたたる短剣を手にしたミハルが立っていました。彼女はため息をひとつつき、シグマの側に膝をつきます。
「気にするな、次がある。さあ今日はひとまず引こう」
「いやもう二度とこんな出番は欲しくないというか誰刺したんすかそれ」
「大丈夫、返り血だ」
「なんでそんな強いんすかありえねえー!」
 ミハルは全力で叫ぶシグマを抱え起こし、そのままほとんど引きずるようにして歩き出します。そしてふとサフィギシルたちに目をやると、べっとりと血のついた手で城の方を示しました。
「どうぞ」
 いやどうぞと言われても。とサフィギシルは心の底から思いましたが言葉も何も出てきません。
 ミハルは無表情のままシグマを抱え、ゆっくりとその場を去っていきました。
「先輩そこ傷ぐいててててて! 痛い痛い痛い!!」
 満天の星空の下、帰路につくゲストの声がやけに悲痛に響きます。
 カリアラがサフィギシルの肩をぽんと叩きました。
「よし、行こう」
「嫌だ――!!」
 仕切りなおしておきますがこのお話は「人喰い魚が人になる」の番外編です。
 カリアラは嫌がるサフィギシルを迷いもなく引きずっていきます。
「おれおもったんだけどな、こういうときにいやがるからかっこいいって言われないんじゃないのか?」
「平仮名だらけで真っ当だけど納得の行かない事を言うな!」
 もう楽屋ネタにも躊躇などありません。サフィギシルはカリアラにぐいぐいと引かれながら、とうとう城の中に入り込んでしまいました。そして思わず目をみはり、息を大きく呑みこみます。

 そこは、まるで戦場でした。

 広い広いホールには、豪奢な衣装を纏った男女が積み重なるように倒れていました。あちこちが赤く血に染まっているように見えるのは気のせいではないでしょう。
 正面の大時計にも血飛沫が飛んでいます。時刻は十一時五十五分。
 唐突に足を引かれ、サフィギシルはびくりと身を固くします。恐る恐る見てみると、嫌というほど見覚えのある人が足元に倒れていました。
「姉さん! ていうかピィス!!」
 もう名前も出してしまいます。
「シラ! 大丈夫か!?」
 もうカリアラも堂々としたものです。
「負け、た」
 ピィスは弱々しく呟くと、ばったりと意識を失いました。
「負けたって……どうなってるんだよ! 何だよこれ!!」
 その叫びを拾うように、状況に似つかわしくない落ち着いた声がしました。
「なんだ、知らんのか?」
 あまりに余裕に満ちた言葉。サフィギシルはハッとそちらに目を向けます。
 声の主は愉しむように言いました。
「これは、“武闘会”だよ」
 折り重なる敗北者を踏みつけて立つ、一人の老人。その手には血を浴びた抜き身の剣、腰には同じく血に染まる黒い杖。着こなされた軍服に乱れはなく、姿勢を正した立ち姿にも老いは感じられません。
 彼の名はビジス・ガートン。死神も泣いて逃げ出すこの国の王です。
「どうやら生き残りはお前たちだけのようだな」
 ビジスはそう言うと、口元を笑みに歪めます。
 サフィギシルはもう逃げたいとかそういうのを通り越し、こんな世界滅亡しちゃえとか思っていました。
「どうした? まるで訳が解っていない様子だなァ。招待状を読み違えたか?」
 いえそれ以前に何もかも知らされないまま来ちゃいました。と言いたいけれども口がうまく動きません。ビジスはサフィギシルとは対照的に、よどみなく語ります。
「今日中にわしを倒すことができたものを、この国の後継者として認めると知らせを出していたはずだがな。それを知らずにやってきたとはあまりにも無謀じゃないか? あァ?」
 そう言うと、ビジスは血にぬれた剣をぎらりと光にかざしました。怯えて身を固くしたサフィギシルを見て、ビジスはにやりと笑います。
「……まァ、それはそれで面白い」
 そしてくつくつと笑みをもらしながら、剣を鞘におさめました。
「時間だな、ペシフ」
 彼がそう言うと同時、大時計が十二時を知らせます。恐怖を煽る大音量の鐘の音が悲惨な部屋を揺るがしました。鐘の音が鳴り終わるとビジスの背後に一人の男が現れます。魔術師の杖を持った、緑髪の男。それは家で出会ったあの無職に近い魔術師でした。
 ビジスは立ち尽くすサフィギシルとカリアラをそれぞれ指さして、魔術師に言います。
「誰も選ばないわけにはいかん。……魚を、選択するわけにもな」
「では、彼に決まりですか」
「最初からそのつもりだったのだろう? まァ、これから鍛えていけばいい」
 そしてビジスは意味ありげな笑みを浮かべ、サフィギシルに言いました。
「明日からこの城に通え。わしの後継者として教育する」
 サフィギシルは思わず大きな声を出します。
「は!? ちょっと待って、なんだよそれ!」
「心配するな。徹底的に厳しく鍛えなおしてやろう」
 慌てての批難にも、ビジスは全く揺るぎません。余裕ある笑顔のまま流します。
「よかったなー、サフィ。次の王様だぞ」
 カリアラがほのぼのと嬉しそうに言いました。
 すると倒れていたはずの、二人の姉も身を起こして微笑みます。
「これまできちんと育ててきたかいがありましたね」
「いやあ良かった良かった。ちゃんとサボらず通うんだぞ、次期国王ー」
「うわー! 俺、嵌められた――!?」
 今更ながらに姉たちの作戦に気づいてみても、もう全て後の祭り。
 青ざめて頭を抱える彼を囲み、企み上手な家族たちはにこやかに笑うのでした。



 そして翌日以降、晴れて王子となったサフィギシルは。
「だから何で人力車なんだようわ――! ぶつかる――!!」
 人間になった元ピラニアに連れられて、毎日のように城へと通っているそうです。
「大丈夫、急ぐから間に合うぞ」
「そうじゃなくて川! 水! うわ――!!」
 そしてざぶんと大きな水音を立て、車共々川の中に沈む日々。

 今日も今日とてサフィギシルは可哀相な子なのでした。

 おしまい。

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