番外編目次 / 本編目次


「はじめましてこんにちは、カリアラです! おれはバカです! ピラニアだったけどサフィが人間にしてくれたです! バカだけどよろしくおねがいしますです!」
 元気よく放たれた間違いだらけの自己紹介に、その場の空気は気まずく凍る。ピィスは今にも「言えたぞ。すごいか?」とでも訊いてきそうなカリアラを見て、不審気に距離を開ける人々を一瞥すると、ため息と共に頭を抱えた。



「今日からお前、カリアラのこと『馬鹿』って言うの禁止」
「は?」
 サフィギシルは汚れた鍋を磨きながら不可解に眉を寄せた。まったく訳がわからない、と言いたげな顔でピィスを見上げる。台所に押し入ってきた友人は、日常的な身長差のうさを晴らすようにしゃがみこんだサフィギシルの背を上から叩いた。
「お前カリアラのこと馬鹿馬鹿言いすぎなんだよ。そのせいであいつすっかり自分のこと馬鹿なんだって思いこんじまったじゃねーか。そういうのは教育的によろしくなーい」
「だって馬鹿なんだから馬鹿って言うしかないだろ。あいつ未だに一から百まで数えることもできないんだぞ? 飯は必ず食いこぼすし、口の周り汚しながら拭きもしない。何回言っても洗濯桶に飛び込もうとするし、気をつけろって言ってるのに階段から毎日落ちるし。これが馬鹿以外のなんだって言うんだよ」
 人間になって数ヶ月の元ピラニアは、知能も知識もまだまだ人に足りていない。サフィギシルはカリアラに木製の体を与えた技師として、または暮らす家の主として面倒を見ているが、覚えの悪い彼に対するとどうしても口が悪くなる。ピィスはそんな彼を咎めた。
「お前がそんなんだからカリアラが変な風に覚えるんだよ。あいつ街の人たちに挨拶するたびに『おれはバカです!』って宣言してんだぞ? オレがうっかり初めて会う人には元気いっぱい自己紹介だ! って教えたもんだから、爽やかな笑顔で『おれはバカです!』って。もうそれこそバカ丸出しでさあ」
「いいじゃないか真実なんだし。馬鹿は馬鹿。それで結構。分かったらさっさとあっちで本でも読んでろ」
 執拗に飛んでくる手を払いのけて立ち上がり、サフィギシルは磨き終わった鉄の鍋を棚に戻す。無心になれる趣味の時間を邪魔されたくないのだろう、相手など初めからいないとばかりに次の獲物を目で探した。
「そうやって自分では馬鹿にしてるけどさー、そういう奴に限って……」
 言葉が消えるとサフィギシルの動きも止まる。続きを求めて振り返る。
「……なんだよ」
「いや、別に? それよりもいいのかよ、カリアラが馬鹿にされたままで。自分でアホさ加減をばら撒いてるからさ、大人から子どもまで満遍なくあいつのことを馬鹿にするようになってるぞ。特にお子さま方は正直ですから? カリアラのことを指さしては『バーカバーカ』とせせら笑う始末ですよ。落とし穴とか掘っててさー、カリアラが落ちたら上から砂とか投げて『バカ魚ー』とか『バカ人形ー』とか……」
「はあ!? なんだよそれ、誰がそんなこと……!」
 飛びかからんばかりに怒る彼の様子に、ピィスはにやりと笑みを見せた。
「な? 嫌だろ」
 サフィギシルはからかわれていることに気づいて赤らんだ顔をそむける。いかにもばつが悪そうな彼の肩を笑顔で叩き、ピィスは宥める口調で告げた。
「そういうのはやっぱ良くないからさ、カリアラのためにも馬鹿って言うの今日から禁止。よろしい?」
 サフィギシルは渋面になりながらも承諾する。
「……わかったよ。できるかぎりやってみ」
「できるかぎりじゃいけません!」
 澄んだ声が宣言を断ち切った。二人が同時に振り向くと、シラが床を踏みしめて立っている。
「そんなに酷いことをされてるのに、どうしてできる限りなんて言えるの! 穴に落とされるのよ? 子どもに馬鹿にされるのよ? 酷すぎる、あんまりだわ。ピィスさんそれはどこの子ですか? 今から海に沈めてきます!」
「人んちの子を殺すなー!」
「シラ、落ち着いて。とりあえずその準備万端な道具を捨てよう」
 しなやかな指が握るのは先に鎌のついた縄。いつもならば優しげにカリアラを抱いている腕の中にはずた袋が詰め込まれ、今にも子どもを入れんとばかりに顔を怒りに燃やしている。本気の装備を抱える彼女に、ピィスは引きつる口を寄せた。
「ごめん、あれ嘘。ほらそうでも言わなきゃこいつ本気にならないからさ、言葉のあやってことで。ね?」
 サフィギシルに漏れないよう落とされた声を聞いて、シラは体の力を抜いた。照り映えていた顔の赤味がみるみると冷めていく。答える声は自然と呆れの調子になった。
「なんだ。本当だったらどうやって一掃しようか作戦まで考えてたのに……」
「シラはもうちょっと危険思想から離れような。ここは熱帯雨林じゃないんだから」
 仔魚の頃からカリアラを守り抜いた川の人魚は、ヒトの体を得てからも彼の事を第一と考えている。日常的にワニを叩き殺していた彼女にかかれば、人間の子どもなど蟻を潰すに等しいだろう。ピィスはため息をついてシラから離れる。
「まあシラも落ち着いてくれたことだし、お前もこれ以上このひとを怒らせないようカリアラには優しくしろよ。命がいくつあっても足りないぞ」
「本当にな……」
 そんな元人魚と元ピラニアとの三人暮らしにふと疲れを感じたのか、サフィギシルは憂鬱に目を閉じた。
「現実逃避してないで。ほら、約束」
「はいはい。俺は今日からカリアラのことをできるだけ馬鹿と言いません」
「『できるだけ』じゃ駄目。あなたいつもあのひとのこと馬鹿にしすぎです。絶対禁止」
「わかった。絶対に言いません。だから鎌を下ろしてください」
 さりげなく掲げられていた凶器はそこでようやく下げられる。シラは甘やかに微笑んだ。免疫のない人間ならばこれは夢か幻かと時間すら忘れるものだが、慣れてしまった者の視線は顔よりもむしろ撫でられている鎌へと向かう。いやに手入れの整った刃先が白く光を見せた。
「お前は確かこの家の持ち主で一番えらいはずだよな?」
「言うな。胃が痛む」
 手をあてられたサフィギシルの胃をさらに痛めつけるように、勝手口が衝撃を受けて鳴る。外から何かがぶつかっているらしき気配に、三人は顔を見合わせた。シラとピィスに目線だけで命令されて、サフィギシルは嫌そうに頷いて戸口に向かう。思いきりよく開いてみると、水に濡れた塊が跳ねるように飛び込んだ。
「……おかえり」
「あ、サフィ。ただいま」
 全身を水浸しにしたカリアラは土間の上で跳ねていたが、薄暗い声を聞いて当たり前のように答えた。きょとんと丸く開かれた目が一家の主の憂いを探る。サフィギシルがなぜ不快そうにしているのか魚の頭脳で考えて、考えて、わからないので取りあえずといった風情で服の中から生魚を取り出した。
「川にな、うまい魚がいたんだ。だから捕ってきた。まだいるぞ。いっぱいあるぞ。これ、今日は生で食っていいか? おれ、やっぱり焼いたのより生の方がいいんだ。小さいけどこっちの方がうまいんだぞ。ほら、食べるか?」
 襟ぐりから袖から腹から次々に飛び出す魚はところどころを齧られて、引き裂かれ、それでもまだ生き長らえて暴れている。カリアラはそのうちのひとつをくわえると、無表情で呑みこんで喉の奥の牙で潰した。魚肉と骨が同時に砕ける音が響く。カリアラは「お前も食え」と言わんばかりにサフィギシルに魚を差し出す。
 サフィギシルが苛立ちのまま口を開いたところで、シラとピィスがそれぞれに彼の肩を叩いた。
「禁止」
 サフィギシルは悪いものを呑んだ顔でカリアラを睨みつける。人間の姿をしたピラニアはいつも通り透明な動物の目で彼を見返し、不思議そうに首をかしげる。サフィギシルは慣れた言葉を吐き出す代わりに顔面を渋く染めた。



 習慣というのは恐ろしいもので、カリアラが何かしでかすと自然と口が「ば」の形に開いてしまう。いざ音を出す段になって慌てて取り消すのだが、その回数のなんと多いことだろう。生魚を顔に押しつけられた時に一回。川に飛び込んだせいで彼の服が砂まみれになっていると気がついた時に一回。びしょぬれのまま部屋に上がられて一回。注意をしても伝わらず、そのまま居間のど真ん中まで進まれてまた一回。禁止を始めてどれほども経たないうちに五回も言いかけてしまった。
 サフィギシルは一日目から事の無謀さを思い知り、同時に自分がどれだけカリアラを罵倒していたか痛いほどに実感した。息を吐くのと同じ調子で馬鹿と罵り、続けて細かな文句を吐き出す。お前本当に馬鹿だな。さっき教えたばかりだろ。なんでそうなるんだよ。考えてみれば、カリアラが野生で培った習性を見せるたびに馬鹿にしては頭を叩いていたのだ。部屋の中の観葉植物を食用だと勘違いした時も、窓ガラスの存在に気がつかないで顔をぶつけてしまった時も、枕は顔面に乗せるものだと間違って覚えていたのが判明した時も、笑いながら馬鹿と呼んだ。
(……これじゃ街の子どもと同じじゃないか)
 改めて思い知って疲労のままにうなだれると、書き取りの練習をしていたカリアラが心配そうに顔を覗いた。
「サフィ、大丈夫か? お前、今日はなんかへんだぞ」
「変じゃなくてこれが正常。こうやって怒らないのが普通の……」
 ことなんだ、と言いかけたところでカリアラの手元を見ると、使い古した練習帳は鮮やかな青に染められていた。海のように広がるインクに思わず叫び、倒れていたインク瓶を立てたところで咄嗟に口が「ば」の形に開いてしまう。サフィギシルはなんとかそれを呑みこんで、ゆっくりと深呼吸をした。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「……お前その状況を見て何か思わないのか。なあ」
 怨念を漂わせながら尋ねると、カリアラは初めて気がついたように帳面を見て、サフィギシルを見て、もう一度帳面を見て呟いた。
「青いな」
 それがどうしたんだ? と純粋に問う表情でサフィギシルを窺うが、どうしようもなく歪んだ彼の顔にびくりと怯えて青く染まったペンを取る。不器用に握りしめたそれで湖と化した紙の上をなぞっていくが、文字が現れるはずもなく、ペン先はインクの海を掻き分けては泳ぐだけ。サフィギシルは乱暴に椅子を引いて立ち上がり、そのまま壁を殴りつけた。
「さ、サフィ?」
 吐き出せない言葉の代わりに固めた拳で壁を打ち、蹴るように床を踏んで部屋を出る。今だけは片付けをする気にもなれなかった。振り向かずに台所へと入り込み、放置していた鍋磨きの布を取る。専用の研磨剤と処理途中の鍋を掴んで調理台に陣取ると、穴が開かんばかりの勢いで黒ずんだ鍋を磨き始めた。
 体の中に毒が溜まる。出口を失ったそれらは体内を巡りながら感情をどす黒く染めていく。
 サフィギシルは不快な毒に動かされてひたすらに鍋を磨いた。腕を通じて鍋にぶちまけようとするが、皮一枚が邪魔をして澱みは体を抜けていかない。それでも彼は全身を叩き付けるようにしてこびりついた錆を、曇りを、一心に剥いでいく。
「サフィ、どうしたんだ? おれ、何か悪いことしたのか?」
 追いかけてきたカリアラの、何も分かっていない声が憎たらしくて歯噛みする。説明をしなくてはと考えるが感情が収まらず、言葉がひとつに纏まらない。カリアラは心配そうに訊いてくる。
「お前、なんで今日はおれのこと馬鹿って言わないんだ? 言えないのか?」
「お前は偉いよ」
 それ以上彼の声を聞きたくなくて口を開いた。
「お前は偉い。偉い。偉い。お前は偉い。偉い。偉い」
 擦る手の動きに合わせて一定の拍で続ける。お前は偉い。偉い。偉い。唱えるうちに、本当にそうなのだと頭の隅で答えが出る。静かに冷えたその部分が次々と論を浮かべた。ピラニアは汚れることなど気にはしない。自分の肌が覆われる状態ならばともかく、手元にある帳面が何色をしていようが、机や床が汚れようが彼に取ってはどうでもいいこと。カリアラは魚として当たり前の態度を取っただけなのだ。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。
「サフィ、おれはバカだぞ」
 はっきりとしたカリアラの声が手を止めた。
「おれはバカだ。バカなんだ」
「……そんなこと自分で言うなよ。お前は偉いよ」
 喋りながら嘘を言っている気がしてならないのは何故だろう。だが偽りを押し付けてでも、彼の自称を止めたかった。サフィギシルは見知らぬ子どもがカリアラを指差して馬鹿にしているところを思い浮かべる。想像の中でカリアラは嘲笑と悪口を浴びせられてもにこにこと笑っている。居たたまれなくなって、声には出さず口の中で呟いた。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。
「おれはバカだ」
 カリアラは真剣な声で続けるがこちらもまた繰り返す。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。
「おれはバカだ!」
 馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。馬鹿じゃない。
 勝手口が開く気配がして振り向くと、外に飛び出すカリアラの背が見えた。すぐさまかすかに壁が揺れて、頭上から足音が響きはじめる。台所に天井はない。見上げれば目に映るのは高く伸びる煙突と、剥き出しのまま煙られた屋根の裏。そこにカリアラの歩く気配を感じてサフィギシルはぎくりとした。屋根に上っている。危険だから立ち入るなと何度も念を押したのに。心臓が冷水に満たされたような気がして、慌てて勝手口を出る。
「カリアラ、気をつけ……」
 ろ、と言いかけた声が止まったのは彼と目が合ったからだ。カリアラは真剣な丸い目でサフィギシルを見下ろして、顔を上げる。
 そしてまっすぐに前を見て、ためらいもなく飛び降りた。
 硬直した視界の中でカリアラの体は直線を描いて庭に落ち、地に叩きつけられて大破した。
「ば、ばばば馬鹿――っ!!」
 呆然とした次の瞬間絶叫と共に地を蹴ってサフィギシルは彼に駆け寄る。カリアラは衝撃のままに四肢を投げ出しぴくりとも動かない。放られた腕は奇妙な形にねじれて足は外れて遠くに転がり割れた腹のあたりの部品がそこらに飛び散っていた。
「馬鹿、馬鹿、なんで、お前っ」
 速駆ける心臓に言葉が途切れて続かないまま割れた腹に手を入れて、痛覚を遮断した。これで痛みは消えたはずだが一体どういうことなのだろう。混乱に視界すら回る中、壊れてしまったカリアラに手を伸ばす。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿!」

 その腕を強く引かれた。
 カリアラが、ねじれた首を動かしてまっすぐにサフィギシルを見る。

「そうだ!」

 彼はこれほどなく澄んだ目で、力強く言いきった。
「おれはバカだ!!」
 音も空気も止まった気がしてサフィギシルは硬直する。おそるおそる口を開き、半壊の木人形に問いかけた。
「……それを主張したいがためだけに、こうして?」
 まさかと思っていたのだがカリアラが割れた頭で頷いたので、思考が全て吹き飛んだ。
「馬鹿かお前馬鹿だ馬鹿! なんだそれ馬鹿じゃねーの、この馬鹿魚! 馬鹿魚! それで落ちるってお前、お前、馬鹿だ馬鹿! 何考えてんだよこの馬鹿! 馬鹿!!」
「うん。おれはバカだ」
 ひたすらに罵声を浴びているというのに、とても馬鹿な元ピラニアはにこにこと笑みを浮かべている。カリアラは怒声を上げるサフィギシルを見て、嬉しそうに笑って言った。
「すっきりしたか?」
 サフィギシルは目の前が暗くなるのを感じて、たまらずよろけて地に伏した。



「もう俺はお前をどうしていいかわからないよ……」
 サフィギシルはカリアラの傷口を縫いながら弱々しく呟いた。まだ頭がくらくらしている。引いた血の気が戻ってこない。晴れやかに降りそそぐ太陽光がまぶしくて、幾度となくまばたきをした。カリアラは落下地点に座り込んで大人しく修理を受けている。きょとんとした丸い目が、サフィギシルの顔を覗き込んだ。
「サフィ、どうしたんだ? 大丈夫か?」
「この状況でまだ説明しろというのかお前は」
 こっくりと頷かれるが応じるだけの気力はない。その代わりに問いを投げた。
「お前さあ、痛かっただろ」
「うん。すごく痛かった。すごかった。屋根はすごいな。痛いな。びっくりした」
「俺はその何十倍もびっくりしたよ。お前、本当に俺に『馬鹿』って言わせるためだけに落ちたのか?」
「うん。お前いつもはバカバカ言うのにな、今日は全然言わなかった。いつもは元気なのに今日は苦しそうだった。だから言ったら元気になると思った」
 真面目な顔をしている彼がとてつもなく腹立たしくて、思いきり頭を叩く。
「っの馬鹿! 死んだらどうするつもりだよ!」
「大丈夫。お前が直してくれるから」
 唐突な攻撃に目を瞬かせつつも、カリアラは当たり前のように答えた。
「おれは屋根から落ちたぐらいじゃ死なない。お前がちゃんと直してくれる。だから大丈夫だ」
 きっぱりと告げる表情には冗談も嘘もない。曇りのない彼の目を斜めに見ながら呟いた。
「……死ななくても痛いだろ」
「痛いのは我慢する」
「ば……」
 またしても馬鹿と言いかけて、悔しくなって口をつぐむ。あからさまな仕草を見てカリアラは困った顔をする。
「なんで言わないんだ? おれはバカなんだからバカって言えばいいんだ」
「……お前、馬鹿って言葉の意味知ってるのか?」
「うん。バカは階段から落ちるやつのことだ。数がちゃんと全部言えないやつのことだ。飯を食ってていっぱいこぼしたり、皿を割るやつのことだ。おれはいつも階段から落ちるし、数も全部言えないし、気がついたら飯がいっぱいこぼれてるし、運んだら皿が割れる。だからおれはバカだ。バカだからおれをバカって言っていいんだ」
 予想外に確かな理解が眉間の皺を濃くさせた。サフィギシルはうろんな目で彼を見る。
「お前はそれでいいのか?」
「うん、いいんだ。みんながいるから」
 カリアラは卑屈になるでもなく、開き直るでもなく、あくまでも真顔で答えた。
「数がわからなくなったらピィスがちゃんと数えてくれる。飯をこぼしたらシラが拾って食わせてくれる。階段から落ちても、屋根から落ちても、お前が絶対直してくれる。お前は皿が割れても片付けてくれるし、鍋もきれいにできるし、飯もつくれるし、字も書けるし、いろんなことを知ってる。お前はすごい。お前はえらい。だからおれは大丈夫だ」
 呆然とするサフィギシルの顔を見つめて、カリアラは言いきった。
「お前がえらいから、おれはバカでいいんだ」
 あまりにもきっぱりとした宣言に、サフィギシルはどんな表情をするべきなのかわからなくなる。カリアラはそれでも揺るぎない調子で続ける。
「それにな、おれはバカだけど戦えるから、敵が来たら倒してみんなを守る。食べるものも取ってくる。バカだけどそれはできるぞ」
 もはや他に言うことが見つからなくて、とりあえずいつもの言葉を口にした。
「……お前、本当に馬鹿だな」
「うん」
 迷いもなく同意するカリアラに弱みやひがみはかけらもない。敵とやらがいつ来るというのだろう。歯型のついた魚など主食にはなりえない。彼は人間の世界ではとりえなど何もないに等しかった。それなのに。
「でも、すごいよ」
 どんなに迷惑をかけられても、この先何があろうとも、彼のことを見捨てられる気がしない。
「お前はすごい。俺、馬鹿でもいいからお前みたいになりたいよ」
「それは駄目だ! 困るぞ!」
 カリアラは驚いて目を見張る。サフィギシルは彼の頭を叩いた。
「ばーか、冗談だよ」
 笑い出すともう一度叩きたい気分になって、縫ったばかりの後頭部をはたきながらばーか、ばーかと繰り返す。カリアラは訳がわかっていない顔できょときょとと目を動かした。
「なんだ!? なんで叩くんだ!?」
「悪いな。急に『馬鹿を叩かなければ死ぬ病気』になったんだ」
「えっ、そうなのか!? じゃあ叩け!」
 疑いもせず頭を突き出す様子がおかしくて、たまらず腹を抱えて笑う。
「ばーか!」
「うん、バカだ。ほら、早く叩かないとだめだ!」
 カリアラがおろおろとサフィギシルの手を掴むが笑いは大きくふくれ上がって、楽しくてしかたがない。サフィギシルは笑いながら魚の頭を叩きながら、同じ言葉を口にした。禁じられていた分を取り戻すかのように、疲れるまで繰り返した。

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