番外編目次 / 本編目次


 宴会の席では、酒に強いかどうかが明暗の分かれとなる。先に理性なき酔いの世界に入ってしまえばある程度の不始末は容認され、取り残された酔えない人種が事後処理に回される。宴の後を考慮に入れなければ前者は明、後者は暗。夜が更けていくにつれて二分していく光景が、今ここでも繰り広げられている。
「だから頭撫でるな! 酒臭いから抱きつくなーっ!」
 あからさまに暗に属するサフィギシルは今日も今日とて酔いどれた女性陣の相手をさせられていた。月に一度の定例でペシフィロ宅に集まったまではいいが、家主は仕事が長引いてまだ家に戻っていない。仕方がなく二階の部屋で話すうちに酒が入り、酒に弱いカリアラがまず潰れ、ピィスはやけに笑い続け、シラとジーナは普段の嫌悪もどこへやら。やけに息を上手くあわせてふたりで仲良く呑んでいる。酔うだけなら問題ないが、サフィギシルを子どものように扱っては頭を撫で、馬鹿にした幼児語を連発して絡むのではどうにもならない。サフィギシルは酔うことのない自分の体を恨みつつ、首に回されかけたジーナの腕を引きはがした。
「べたべたべたべた触ってくるなよ! だから撫でるな! つつくな!」
「なんだ最近冷たいなあ。イライラしちゃって反抗期かー? 何が嫌なんだ、言ってみろ」
 顔を近づけて語りかけると、サフィギシルは恥ずかしげに目を逸らす。以前はジーナにどれだけ密着されても恥ずかしがらなかったのに、最近になって彼女との接触を避けるようになった。サフィギシルはジーナを横目で見て、何事か言いたそうに唇を動かすが声にはならず、結局は俯いて頬を赤くした。
「しょうがないわよ、ひとりだけ酔えないんだから。群れの雰囲気台無しよねえ」
 ねー。と床に寝そべるカリアラに首を傾けるが、酒一滴で立てなくなる元ピラニアは目を開くことすらできない。苦手ならば呑まなければいいのに勧められるがままに口にしてしまうのだ。集団の中でひとりだけ違うのが嫌なのかもしれない。
「それが嫌なら俺も酔える体にしておけばよかったんだ。自分で作っといて文句言うな」
 肩口にしなだれかかる製作者に吐き捨てると、彼女はにやりと笑みを浮かべる。
「じゃあ、酔わせてやろうか?」
 赤く染まった目のふちが盛りあがるのを見てサフィギシルは思わず引いた。ジーナはそれを捕まえて更に顔を近づける。
「な、なんだよ。今さらそんなことでき……」
「できるんだなそれが。飲酒耐久度ってのは酔いを感じる装置をいじればいくらでも変更可能。酒がなくとも酔わせられる機能として、どこぞの方面では重宝されておるのですよお人形君?」
 どこぞのって、と言いかけた口をつぐむ。サフィギシルは隠された意味を察して赤面した。
「まあそっちの話は置いといてー。ちょいちょいっといじくれば貴方もすぐに酔いどれに。というわけで、押さえろー!」
「おー!」
「早ッ! 馬鹿、離せー!」
 途端にシラに飛びつかれて押さえ込まれてうつぶせのまま暴れると、振り上げた腕はジーナが、足はピィスが床に押しつける。騒いでみても背中はシラに乗られているし、後頭部などは楽しそうにぺたぺたと叩かれる始末。サフィギシルは助けを求めて声を上げるが、視線の先で寝こけているカリアラが起きる気配はなかった。
「じゃあ脱がしまーす」
「きゃー」
「なんだその棒読み! ……待って待って下はおかしい! 制御装置背中だろ、それは脱がすなー!」
「きゃー。はずかしー」
「だから棒読みするなそこ! もっと気合い入れて叫べ!」
 よく分からない事を口走る間に服は脱がされ、皮を剥がされ、剥き出しになった機械の体は酔っ払いにいじられる。
「あっれー。こっちだったかなー」
「痛い痛い痛い! 馬鹿ちゃんと目え覚ませ! 指震えてる、指震えてるー!」
「このスイッチなんですかジーナせんせー。押していい?」
「あー、それ入れたら愉快なことになるのでじゃんじゃん押して。こっちのもなかなか楽しい反応が」
「俺の体関係者以外立ち入り禁止ー!」
 涙目になりながら叫んだ声がふにゃりとゆるむ。抵抗に張っていた肩肘は力なく床に倒れ伏し、サフィギシルは急激に揺れはじめた視界に目を回して頭を落した。顎の骨が絨毯の上で無機質に鳴るのがやけに愉快に感じられて、ふつりと息を震わせる。
「……はは」
 口にして、途端に全てが可笑しくなって笑い声を張り上げる。
「ははははは! はは、ははははは!」
「さ、サフィさん?」
 シラもピィスもおそるおそる離れたので存分に起き上がり、こわばった三人の顔を指差して叩きつけるように笑う。口元はつり上がり頬骨がみしみしと音を立てて慣れない顔を作り上げるが、目だけは冷たくひえていく。目のふちが熱を持って盛り上がるのに、眼球が、笑わない。
「……あー」
 酔いの醒めたらしきジーナが、気まずげに呟いた。
「そういえば前のも酔ったときはこんな感じだったなあ」
 シラとピィスの視線を受けて、空笑いを喉で転がす。
「いや懐かしい。あの馬鹿、酔った時は猫っ皮も全部剥がれて自分に正直になってたからな。もう暴言吐くは吐くはで酒場に連れて行けないのなんのって。私もこの状態で何回取っ組み合いのけんかをしたか。まあ毎回勝ってたけど」
「勝ったの!? 強!」
「いやあいつ何があっても女だけは殴らないからタコ殴りで楽勝で」
「その卑怯さはとても素敵なんですが、どうにかしてもらえませんか」
 気分としては一部屋分ほど距離を置いて、三人は笑い続けるサフィギシルを他人事のように眺める。ジーナは腕を組んでうなった。
「まあ面白そうだから放置してみよう。とりあえず皮を閉じて……」
 だが剥き出しの機械部分を隠そうと伸ばした手は力強く弾かれた。
「さわんな! ばーか、すけべばばあ!」
「ばばっ……ああ!? 犯すぞコラァ!」
「ジーナさんおちつ」
「お望み通り変態行為に溺れさせようか、ああ? そんな体、適当な装置をいじれば」
 酔いも混じるジーナの口は矢継ぎ早に性的な言葉を紡いでいく。膝で立つ彼女を止めるピィスの顔は耳まで赤く染まっていった。それでもジーナは子どもには聞かせられない類の話を次々と口にする。
「人型細工の秘密暴露はもういいから。やばいってそれ。……シラなに書きとめてんのー!?」
「いえ後学のために。それで? その場合は?」
「変な講座開かなーい! オレまだ十四なんだからー!」
 歳に合わない俗な知識を耳いっぱいに詰め込んで、ピィスは赤く悲鳴を上げる。サフィギシルがそれに乗じた。
「そうだ! そんな話ばっかりするな!」
 彼は笑っていた口を力いっぱい不満に歪め、ジーナに指を突きつける。
「そんなことだから愛人呼ばわりされるんだ! 技師たちになんて言われてるか知ってんのか!? 尻軽とか売女とか淫売とか! 普段から俺の体触ったり、簡単にそんなこと口にするから誤解されるんだ!」
 予想外に真剣な目で怒鳴られて、ジーナはただ息を呑んだ。
「そういうの嫌なんだよ! 技師の集まりであんたが酷いこと言われてるの聞くと、腹が立ってどうしようもなくなるんだ。いいか、もう二度と言うなよ! これからは俺が絶対に言わせないからな! 殴ってでも止めるからな!」
 気がつけば完全に説教をされていて、ジーナは呆けた顔のまま、床を踏みしめて立つ彼を見上げた。
「……どうしたんだ、お前」
「どうしたもなにも、母親が馬鹿にされてたら嫌なのは当たり前だろ。もっとちゃんとしろよ」
 サフィギシルはいつも通り不機嫌な顔をしているが、その視線はわずかに揺らぎ、目元も赤く映えている。声も少し頼りないので酔いは冷めていないのだろう。
 同じく見上げていたシラが、気がついたように言う。
「……わかった。“自分に正直に”なってるのね」
「ああ、そうかあ……」
 酔いのおかげで、言いたいけど恥ずかしくて言えなかった言葉がすんなりと出てきたのだ。
 いつもならばジーナを母親と称することでさえ恥ずかしくて出来ないのに、今は素直にそれを口にする。言うに言えない発言が溜まりに溜まっていたのだろう。吐き出したサフィギシルの顔は晴れやかに上を向いている。だがジーナはその逆だ。
「ジーナさーん。だいじょうぶー?」
「……話しかけるな。ダメ。今はダメ」
 彼女は耳から首まで燃え上がるほどに赤くして床に這いつくばっていた。ちらりとでも人に顔を見せたくないのだろう、両手で覆うと小さく体を丸めている。
「……嬉しいんですね?」
「ダメ。今話しかけるな。ちょっともう本当にもう……もう……」
 微笑むシラが肩を叩くと、その力に押されるようにジーナの体はますます低く縮んでいく。
 そんなことをしている間に、サフィギシルは机の上に並べられた料理の皿に手をかけた。
「いっつもいっつも俺ばっかり片付けとかやらせて……」
 煮えたぎるような怒りが見えるほどに黒い表情。サフィギシルの目は食べ物の跡に汚れた皿たちを睨みつける。酔いに温もる手が皿を掴み、力を強く込めるあまりに震えてかすかな音を立てていく。
「さ、サフィ。ここオレんちだから。だから割るとかそういうのは……」
 今にも床に叩き付けそうな彼を見て、ピィスがそろりと声をかけるがサフィギシルは睨みつける。
「うるさい。俺はもう好きにすることにしたんだ!」
 宣言を叩きつけて、サフィギシルは散らばる皿を素早く積み上げていく。乱暴な勢いのあまりに皿同士が音を立てたが構わずに重ねていった。
「もう油汚れと水汚れも分別しないからな! べとべとの油がついた皿の上に新品のやつを重ねるし、中に料理が残ってても関係なく重ねるんだ! 大きさとかも分けないぞ! 同じ種類で一緒に運ぶのもやめてやる!!」
 力いっぱい主張して、脂ぎった肉汁の浮く皿の上に次々食器を乗せていく。
「水に浸けておくのももうやめだ! テキトーに台所の隅に置きっぱなしにしてやる! すぐに洗ったりしないで、次の日の昼ぐらいまで置いとくんだ! 面倒なものは面倒なまま全部見ないふりをするからな!」
「もういい。もういいよ……ごめんね。ごめんね」
 あまりに哀しい彼の姿に、ピィスとシラは泣きそうな顔で背中を撫でた。
「私たちが悪かったのね。ごめんね。もう頑張らなくてもいいからね」
 だがサフィギシルは構わずに主張を続ける。
「洗濯も二日に一度じゃなくて三日に一度にしてやるんだ! 取り込んだのもたたまないでそのままに……」
「もう喋るなよー。泣けてくるよー。ごめんよー、オレたちが悪かったよー」
「洗濯は今度から私がやりますから。だからもっと大それたことしてください」
 肩から腕まで二人に取られてサフィギシルはようやく止まり、考えた末に口を開く。
「じゃあ、カリアラと呑む」
 言い終わると、思い立ったらすぐとばかりに酒の残る瓶を掴んでカリアラの方へ向かった。終着地に寝転がるカリアラはいびきすらなく静かに眠りについている。その口に無理に酒を流し込もうとしたところで、シラとピィスが引き止めた。
「待て待て待て。魚は酒に弱いんだから、無理に酔わせない方が……」
「いやだ。カリアラと呑むんだ! 呑むんだーっ」
「駄々っ子かお前は!」
 ぐらぐらと首を振るサフィギシルにピィスが手を焼いて叱る。サフィギシルは拗ねた子どもの顔をして、酒の瓶を無意味に揺すった。
「だって俺たちいっつも一緒に呑めないんだ。こいつすぐに酔っぱらうし、俺はずっと酔わないままだし。俺だってカリアラと一緒に呑んで酔ったりしたいんだ。だから呑むんだ!」
「でもこいつすぐに寝るし……」
「カリアラも装置調整すればいいだろう。飲酒耐久度を最大に近くすればほろ酔いでいけるはずだ」
 復活したらしきジーナが遠くで助言すると、シラもピィスも「そうか」と顔に言葉を浮かべた。見合わせて、同じ思いを共有する。
「……じゃあ、まあ」
「普通の酔い方をしたらどうなるのか、少し気になりますしね」
「よーし。じゃあ改造するからな。その後で一緒に呑むんだー」
 頬を笑みに盛り上げながら、サフィギシルはカリアラの体に手をかける。その場にいた全員の心と視線が一所に集まった。

                ※ ※ ※

 強い酒の匂いがして、わずかに眉をしかめたところで口の中は痺れる味に満たされた。酒だ。呑みきれずに溢れるほど大量の酒が喉を伝い、体の中を暖めながら過ぎていく。カリアラは困り果てて首を振った。こんなにたくさん呑んでしまえばまっすぐに歩けない。これ以上はいらないと瓶を手でそむけたところで、ようやくはっきり目が覚めた。
「……どうだ? 酔ってるか?」
 サフィギシルが瓶を抱えて慎重にこちらを見ている。覗き込むような視線に疑問を感じて見回せば、シラも、ピィスも、ジーナも同じ顔をしていた。頬が熱い。だがいつものように顔中が焼けていくのではなく、少し暖かいだけだ。
「なんかなー……あんまりなー、ふらふらしないなー……なんでだー……?」
 声はやはり溶けていくがいつもよりは舌が回る。目の前の仲間たちがどよめいた。
「おおー。やっぱお前も効くんだな。よし、呑もう。もっと呑もう」
「ちゃんと私たちが分かる? 気分は悪くない?」
「なんだ最初からこうすれば良かったなー。じゃあみんなで呑み直すか!」
 なんだかみんなが笑っているのでカリアラも嬉しくなる。そうしている間に呑んだばかりの酒が胃のあたりから少しずつ体をぬるく緩めていって、ふわふわとした気分になった。カリアラは心の中で首をかしげる。どうしてふわふわしてるのだろう。体がずいぶん軽い気がする。立って歩いてみたけれど、足がちゃんと床に着いていないようだ。浮いている。ふわふわと浮かんでいる。
 ……そうか。
 カリアラは納得に深くうなずいた。
 ――それなら。
 そして、足を前へと進めた。

                ※ ※ ※

 カリアラが急に行く先を変えて、窓の方へと進んだのでその場の皆は不思議に思う。だがカリアラが窓を開けて、二階であるにも関わらず窓枠に足をかけたので、不思議どころかぎょっとして慌てて彼の体を支えた。
「馬鹿、ここ二階だぞ! 落ちるって!」
 だがカリアラは力強く言いきった。
「大丈夫。飛べる」
「飛べねーよ! 落ちつけ、上るなー!」
 四人が腕や服を引いてもカリアラは動じない。はっきりと澄んだ目で夜空を見つめる。
「おれ、今ふわふわしてるんだ。だから飛べる。大丈夫、すぐ戻ってくるから」
「ふわふわしてても駄目ー! あっ、えっ、重っ!」
 カリアラを下へと導く重量が急激に増加して、止める者は冗談ではなく本気で彼を引っ張った。だがそれでもカリアラの体は下へ下へと向かおうとする。重みに手が痺れていく。
「おい誰か押してないか!? 落ちる、落ちるって!」
「ななー! どさくさに紛れて葬ろうとすんじゃねえ――!」
「ああもうこのバカ影が――!」
「影って何!?」
 わかるものと知らない者に二分しながら必死の動きは止まらない。カリアラはそんな力比べの中央で、真ん丸な月を瞳に浮かべてばたばたと腕を振った。



「……おや? どうしたんですか、みんなしらふで」
 仕事を終えてようやく戻ったペシフィロは、珍しくも酔っ払いのいない部屋を見渡して、首をかしげる。
「味がいまいちでしたか? 一応、いつもの酒も取り揃えておいたんですが……」
「いや、なんかもう、一生分酔ったというか」
 サフィギシルは足を床に放り出して、まだ肩で息をしている。一応は疲労から立ち直ったピィスが、しみじみと呟いた。
「……親父、酔っ払いの世話役って大変なんだね……」
「そうですよ。だからほどほどにしましょうね。特にあなたはまだ子どもなんですから」
「子どもじゃなくてもしばらくいい。もう呑まないし呑ませない」
「どうしたんですかジーナまで。珍しい」
 わけがわからないペシフィロに、カリアラが酒を示して問いかける。
「おかしいな。飛べると思ったのにな。これ呑んでいいか? もっとふわふわしたらいけるはず」
「お前は物理の基礎知識を頭に叩き込んでこい!」
 きょとんとした彼に対する文句と抗議はすぐに大きく膨れ上がった。カリアラは全員に小突かれながら、不思議そうに首をかしげる。サフィギシルはいまだに酔いを残したままひどく素直なままに喋る。日常的に騒がしい女性たちは、今日ばかりは疲労のままにゆるゆると床に倒れ。何も知らないペシフィロを残したまま、いつもと違う宴の夜はすみやかに更けていく。


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