番外編目次 / 本編目次


注1:パラレルですので世界観は盛大に無視しています。
注2:パラレルですので本編の内容とは関係ありません。
注3:パラレルですので外来語なども当たり前に使っています。


 いくら普段色気から離れていても、三ヶ月に一度の周期で女心が舞い戻る。
「というわけで今日のわたくしお久しぶりの女の子モードなのですが」
 紺色の地に和色の花が咲く浴衣、付け髪でわざわざ水増しをして軽くまとめ上げた頭。飾り物や手に持つ袋も全体的な調合を考えているし、きちんと化粧も施してある。普段の少年にしか見えないような格好から考えると、今日のピィスは誰もが目を疑うほどに女らしい出で立ちだった。
 だが悲しきかな。例え道行く人々が時おりちらりと振り返るほどの姿でも、今夜の夏祭りの連れが特別な反応をするはずがない。
「ピィス、あれなんだ!? なんかふわふわしてるぞ!」
「そうだよな。お前にはふわふわの方が重要だよな」
 無反応以前に初めて見る夜店の群れに気を取られっぱなしである。カリアラは人の手から次々と生まれていくわたがしを指差して、ピィスの浴衣の裾を引いた。
「すごいぞ、どんどん出てくるぞ!」
「あれはわたがしっていう食べ物。言っとくけど雲じゃないからな」
「えっ、そうなのか!? でもあれすごく似てるぞ! ちょっと見てくる!」
「こら待て! だからむやみに走んなよこのバカー!」
 まっすぐに走り始めた彼を追うのはもう何度目になるだろうか。今日この祭りに来てからずっと、ろくな休みをとる暇もなくこんなことを繰り返している。運動に適していない服装のために疲労と恥は三倍増しだ。いくら体力自慢と言っても、慣れない下駄は足の指を痛めるし、浴衣ときたら裾がばさばさ翻る上に袖まで腕に絡みつく。人ごみを抜けていくのは得意だが、こんな風に体の動きを制限されると彼との距離は広がるばかり。
「……あれぐらいの思いきりが欲しいよ……」
 思わず口をついたのは、嫌味ではなく正直な気持ちだった。カリアラは随分先で、浴衣のことなどお構いなしに全力で走っている。魚のように両腕で体をはたき、頭を前に突き出して進む姿は人の視線を集めているが、逆に体は避けられていた。彼の行く先々に分け入るような道ができる。カリアラは恥などまったく考えないまままっすぐに突き進む。
「………………」
 もう無理です。と心の中で呟いて、ひとまずは他人のふりをすることにした。彼に対する注目がうなぎのぼりに数を増しているようなので。サフィギシルから預かった財布を持たせているのは不安だが、まあ、欲しいものをねだりに戻る必要がなくていいかもしれない。最近では、彼もなんとか金銭の扱い方を学びつつある。
 そのカリアラも、角を曲ってしまったのか姿が見えなくなっていた。向こう側はますます夜店の多い地帯だ。初めて見るものばかりの彼にはちょうどいいのかもしれない。
 こちらはこちらで休憩をしましょうと、近くにある腰かけやすい石塀まで歩き出そうとした瞬間。
 急な酷使に参ったのか、下駄の鼻緒が音もなく外れてしまった。
 ピィスは思いもよらぬ事態にたまらず転びそうになる。とっさにそのままけんけんでいくらか前に進んだが、体勢を立て直す前に人の背にぶつかった。
「うわっ、す、すみませ」
 もともと背が低いために、相手の背中で思いきり顔を打つ。ぶつかった相手の男は驚いたようにピィスの方に目を向けた。
「おっと。いや、そっちこそ大丈夫?」
「おー? なんだよ、こけたのかお嬢ちゃん」
 奥のほうからもう一人分声がふえてぎくりとする。からかいをねっとりと含むような、どこか嘲笑交じりの男の声。何より苦手なものを耳にして、ピィスは身を竦ませた。
「そーんな怖がんなくてもいいって。別に取って食いやしないからさあ」
 ひゃはははは、と複数の笑い声。その場には若者が三人ほど溜まっていたらしい。どうしても馴染めない雰囲気に、とにかくすぐに立ち去ろうと踏み出しかけた足が止まった。
「あれ、下駄壊れてんじゃん」
 奥にいたひとりが言った通り、完全に鼻緒の外れてしまった下駄では上手く歩くことができない。もうひとりが笑いながら馬鹿にした口調で言った。
「おにいちゃんが抱っこしてあげようかー?」
「んだよお前、そういう趣味かよ。枯れてるからってガキに手ぇ出すってかー?」
「バカ言うなよー、ほら怖がってんじゃん。だめなおにいちゃんですねー」
 繰り返される嘲笑と嫌な目つき。完全にからかいの的にされていることが、腹立たしくて恥ずかしくて悔しくて仕方がない。おまけにたったひとりきりであまりに心細かった。
 ピィスは壊れてしまった下駄を憎らしげにじっと見つめた。どうするか。このまま彼らに背を向けて、片足だけの間抜けな姿でゆっくりと去っていくのか。
 笑われるに違いない。はやし声をかけられるに違いない。そんな惨めな状況に陥るのは嫌だった。
 じゃあ、どうやってここから去れば。
 涙すら滲みかけたその時、嫌というほど聞きなれた大きな声が彼女を呼んだ。
「あっ、ピィス! 面白いものいっぱいあったぞ!!」
 瞬間的に振り返る。三人の男たちも同じようにそちらを見た。見て、一様にぎょっとした。
 もう着ているのかただ布を巻いているだけなのか解らないほどに着崩した浴衣。袖は水とソースに汚れ、襟はほとんど襟ではない状態にまで広がり乱れて肌を晒す。両手には風船にわたがしにリンゴ飴にチョコバナナ、さらには光る蛍光色の腕輪がたくさんと、ぐちゃぐちゃになったかき氷らしきものがふたつ。頭には変なお面を二枚重ねて被っていて、極めつけには両肩に黄色い電気ネズミを真似た中途半端な偽物の巨大風船が抱きついていた。
「すごいぞ、あっちにもいろいろあったぞ!」
 カリアラは夏祭りを凝縮した扮装で、まっすぐにピィスの元へと向かってくる。
(に、にににに逃げてえ――!!)
 あまりにも嬉しそうな彼の笑顔が眩しすぎて見つめられない。直視したら恥ずかしすぎて死んでしまいそうだった。全身から嫌な汗が吹き出てしまったような気がする。顔がこれ以上は熱くならないというところまで熱くなる。
「なんだ、どうしたんだ? 顔赤いぞ」
 頼むからこれ以上喋るな見るな近寄るな、と心の底から言いたくなるが口はうまく動いてくれない。カリアラはそんな彼女の状態にはお構いなしに、嬉しそうに戦利品をひとつずつ紹介しはじめた。すごいな、面白いな、と説明するたび喜びの笑みを見せる。ピィスはその顔すらも恥ずかしくて直視できない。ただ、はだけてしまった彼の浴衣の裾のあたりばかり見ている。
「なんだこいつ」
「すっげえ」
 呆気に取られていた男たちが、口々に喋りはじめた。囁くという形ではない。まるでカリアラがそこにはいないかのように、堂々と馬鹿にした言葉を重ねる。連れとして見なされたピィスにも同様に。ピィスの視線はますます下へとおりていく。
 カリアラは三人をきょとんと見つめ、真っ赤な顔でうつむいているピィスへと視線を移した。
 その目がぴたりと立ち止まる。カリアラはピィスの足を見て言った。
「なんだ。それ、駄目になったのか」
 まだうまく動かない口を持て余し、ピィスは無言で足の先をぎゅっと丸める。
 カリアラは手にしていた物を全部捨て、二の腕に抱きつかせていた人形も地面へと放り投げた。驚いたピィスが顔を上げると、カリアラはひょいと屈みこんで彼女の腰を両手で掴む。
 そしてよいしょと力を入れると、そのまま担ぎ上げてしまった。
「うわあ!? ちょ、おい、降ろせよバカ!」
「なんでだ? だってそれ壊れたら歩けないんだろ?」
 じたばたと暴れてみるが、カリアラは平然として聞きかえす。その言葉に悪意はないが恥ずかしいのと不安定で怖いのと、肩に当たる腹の部分が苦しくてどうにもならない。
「そりゃ歩きにくいけど、でもなんでこんなっ」
「だってお前小さいからこうした方が運びやすいぞ」
「小さいとか言うな、ばかっ。オレは荷物か!」
 文句を言っても彼がそれを理解する様子はない。今にもずり落ちそうなので、背にしっかりとしがみ付いた。着崩れた浴衣が更に崩れる。カリアラはやはり気にしない。両腕で彼女の体を支えると、そうするのが当たり前というように、堂々と人ごみの方へ向かっていった。
 通りを歩く人の目が、凝視となって一気にこちらに集結する。
「うわ、ばか、恥ずかしいって! やーめーてー!」
「じっとしてないと駄目だ。落ちるぞ」
 懸命に手足を暴れさせてみるが、カリアラは落とさないよう腕に力をこめるだけ。
 真っ赤な顔を上げた先では男たちがぽかんとこちらを見つめている。その足元にはカリアラが買ってきた夜店らしい品々が無造作に散乱していた。
 その景色もみるみると遠ざかる。カリアラは少し急ぐ足取りで帰り道を突き進む。
 人の姿は少しずつ減ってきたのもあって、ピィスはこのけったいな状況にも少しずつ慣れ始めた。頭に血が物理的にのぼるのを感じつつも、なんとか腹から声を出す。
「お前、買ってきたもの全部置いてきてどうすんだよ」
「えっ」
 カリアラはそこでようやく気付いたらしく、驚いたように言った。
「あ、本当だ! おれ全部置いてきてるな!」
「あーあ。ほんっとバカだなお前」
 呆れて言うと、カリアラは黙り込む。心なしかほんの少し肩が下がったような気がした。溢れていた元気でさえも弱まってしまったようだ。どうやら本当にがっかりしているようである。
「……ま、しょうがないよ。また来年だ」
 呟いた口は不思議な苦さを伴った。
 ほのかな光をもたらしていた提灯が、まばらに姿を消していく。夜の闇が濃くあたりを包んでいく。人々のざわめきがなくなって、静寂を募らせる虫の声が細々と響きはじめた。
 気付けば祭りの気配は遠く離れてしまい、夜店の明かりは闇の中にぽつりと浮かんでいるようだ。
 祭りが、夏が、このまま寂しく消えはててしまうような気がして、それがなんだかとても寂しくて。ピィスはふと何気なくという風に、ゆっくりと口を開いた。
「あのさあ。お前の買ったやつとか全部さ、オレのせいで置いてきちゃったんだよな」
 カリアラは何も言わない。ただずり落ちかけた体を持ち直すだけ。ピィスは彼の背中をポンと叩いた。
「だから代わりにいいものやるよ。あっちの坂の方に行こう」



「うわ、まっくら。足もと気をつけろよ」
 帰り道を延ばしに延ばして到着したのは小高い海辺の丘だった。家とはまったく逆方向だが、その距離は特別な夜の終わりを遠ざけてくれるようで、なんだか不思議と心地よかった。
「ん、ここでいい。下ろして」
 大きな木の下までくると、ピィスはカリアラに下ろしてもらって草の上に腰かける。カリアラもすぐ隣に座った。星すら遠く見える今夜は月が細くて闇が深い。ただ隣にいるということだけが、影と気配とわずかに伝わる熱だけで把握できた。静かに響く虫の音。その他には何もない。人の気配も、風でさえも。
「そろそろかな」
 何も説明しないピィスに、カリアラは戸惑いを隠せないように訊く。
「なんなんだ? どうすればいいんだ?」
 ピィスはただにやりと笑い、そっと上を指さした。

 真黒に広がる大きな空に、ひゅうと細い光が昇る。
 一筋の線は天高くにたどりつくと、鮮やかな光の花となって弾けた。

 腹に響く大きな音がびりびりと肌を震わす。
「たーまやー!」
 ピィスはそれに負けないように、全開の笑顔で叫んだ。
 祭りの終わりを告げる花火は次々と空に飛ぶ。ひらく、ひらく、ひらく。さまざまな色の粒が眩しい光となって弾け、盛大な音を立てては暗い闇夜を賑やかな色に照らし出した。
「ほら、お前も……」
 と、興奮のまま相方へと向けた目はそのままびくりと縮み上がる。
 元々の性質が臆病なうえ聴覚のいいカリアラは、いきなりの大音量に驚いて固まっていた。
「ご、ごめん忘れてた! おい、大丈夫か!?」
 水槽を叩けば素早く身を返すように、目の前の猫だましにも本気で驚く生き物なのだ。カリアラは目口をぱかりと開いたまま気絶しているようだった。花火が更に連続する中必死になって揺さぶると、ようやくハッと目を覚ます。怯えるようにあたりを見回しむやみに口をぱくぱくさせた。
 ひゅう、とまたひとつの光が空へと昇る。カリアラはびくりと体を硬直させた。
 光の花が爆ぜる前に、ピィスは彼の耳をふさぐ。轟音が後に続いた。びりびりと空気が震える。
 カリアラは体をぎゅっと小さくした。ピィスは彼の耳に被せた手のひらをより強く押し付ける。カリアラも自分の手のひらを重ねた。
 大きな手に包まれて、ピィスは思わずどきりとする。あたたかさが小さな手の甲を覆う、力強く握られる。よくよく気がついてみれば、カリアラの頭を背後から抱きかかえる形になっている。
「うわ!?」
 恥ずかしがる暇もなく、唐突にカリアラの体が坂道をずり落ちた。暗闇の中足を踏み外したのだろうか、重心を崩した彼の体はいきなり後ろに倒れこむ。ピィスもつられて姿勢を崩す。
 手を離すのを忘れたために、彼の頭は座り込んだピィスの膝に着地した。
 きょとんとした丸い目が彼女を見上げる。ピィスの顔は気まずげに赤らんだ。
 ひゅう、とまた音がして、彼と彼女はとっさに耳を手でふさぐ。まずはじめに彼女の手。それを押さえつけるようにあたたかな彼の手が。
 人の心を騒がせる大きな爆発音と共に、またひとつ鮮やかな光の花が空を照らした。
「……たーまやー!!」
 ピィスは照れる気もちをごまかすように、より大きな声で叫ぶ。カリアラがびくりとして彼女を見上げた。
「お前も叫べよ。そうすれば音も怖くないだろ。ほら」
 聞こえなくても解るようにゆっくり口を動かすと、彼は解ってくれたようでこっくりと頷いた。
 またひとつ新たな光の花が咲く。ピィスは声を張り上げた。
「たーまやー!!」
「ぱーまわー!!」
 取り違えにも程がある言葉でカリアラも声をあげる。
 ピィスは大きな声で笑い、また昇った光に備えて手のひらに力をこめた。カリアラもまたその上から力をこめる。そして連続で空に散る光、光、光の粒。
「かーぎやー!!」
「あーじあー!!」
 ピィスは相変わらず正解しない彼の叫びを笑い、カリアラもそれにつられて楽しそうに笑った。
「すごいな。いいな、これ」
「だろ? ま、せっかく買ったもの置いてきちゃったのはもったいないけど、これでもう帳消しだろ」
「そうだな。せっかくお前にあげようと思ったのにな。でも楽しいからこれでいいな」
 カリアラは真面目な顔で言う。意外な言葉にピィスは思わず手をゆるめた。
「なにそれ。え、あれって……オレに? くれようとしたの?」
「うん。面白いものがいっぱいあるのに、お前いなかっただろ。だからあげようと思ったんだ」
 そういえば、よくよく考えてみれば、彼が買ったものはすべて二つずつあった。あれはひとつは自分用で、もうひとつは差し出すためのものだったのか。
 カリアラはふと自分の腕にぶら下がる蛍光の腕輪を見つけ、嬉しそうに彼女を見上げた。
「光るわっかと、あと変な顔は置いてきてなかったな。後でお前にひとつやる」
 連続して上がる花火が彼の無邪気な笑顔を照らす。様々な色合いとなるそれを見つめ、ピィスは口をきゅうと結んだ。
 花が開いていくように、ほどけるように一筋の線は笑みにほころぶ。
 どうしようもない気持ちになって、ピィスは困ったような顔で、くすくすと笑い始めた。
「ばっかだなあ」
 優しさと呆れがほどよく混じり合った声。ピィスは彼を見つめて続けた。
「もう、ほんと、ばかだなあ」
 カリアラは不思議そうに彼女の顔を見上げていた。花火は構わず咲き続ける。
 ピィスはふと彼の様子が最初とは違うことに気付いた。もう、花火の音に驚いている気配はない。そういえばこの元ピラニアは、びっくりさせるものには弱いが順応も早いのだった。鳴り続ける大きな音にすっかり慣れてしまったのだろう。小さな手を包む力はやわらかく緩んでいる。
 そうしてよくよく見てみれば、今の体勢は要するにひざまくらの状態で……。
 今更ながらにぴったりとくっついた格好が恥ずかしく思えてきた。触れあった箇所の周りに熱が集まる。顔も赤くなっていく。カリアラはそんなこちらを気にもせずに、派手に続く花火を観賞しつづけている。音に対して驚いている風ではない。
「…………」
 ピィスはせめて手のひらだけは外そうと、さり気なく動かした。
 だが逃れる獲物を掴むように、カリアラの手に力がこもる。ぎゅう、と上から押さえつけられる。
 カリアラは大きな声で叫んだ。
「かーまやー!!」
「いや、上がってないだろ」
 真暗な夜空に光はない。しかもまだ間違っている。
「なんだよ、もういいだろ? こら、離せよ……」
「はーびやー!!」
 カリアラは聞こえないというように大きな大きな声を上げる。逃れようとするピィスの手を強く押さえる。その目線は何もない空へと向けられていて、表情は窺えなかった。ただ、力だけが言葉の代わりにこめられる。
 みるみると顔が赤く染まっていくのを感じて、ピィスは困ったように空を見上げた。
 ひゅう、と光が天へと昇る。鮮やかな花が夜空を照らす。
「たーまやー!!」
「やーまやー!!」
 ピィスは恥ずかしさをごまかすように叫ぶ。カリアラもまた同じように。
 ふたりはそれぞれ夜空を見上げ、光の花を見つめながら強く手を重ね合わせた。



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