番外編目次 / 本編目次


注1:パラレルですので世界観は盛大に無視しています。
注2:パラレルですので本編の内容とは関係ありません。


 夏祭りだからということで、よりにもよってわざわざ浴衣などを出してきたのがまずかった。意外にも女物のそれを着慣れているピィスなどは問題ない。サフィギシルも面倒だと愚痴を吐いてはいるが、それなりに着こなせている。だがカリアラに着物を与えようと提案したのは一体誰だっただろうか。
「ああもう、あんなに着崩れて……」
「……あいつの浴衣は捨てるつもりでいくぞ」
 サフィギシルの文句は既に、九割方がカリアラに向けられつつあった。というよりも祭りの中心付近に出てきて、特攻のごとく人ごみに向けて駆け出した時点で諦めきっていたのだろうか。もはや着ているのか纏わりついているのか不明という状態に至っていても、直そうともしなくなった。
 襟元は乱れてゆるくなっているし、袖は水浸しになっている。金魚すくいで見事なまでの野生っぷりを見せたのは言うまでもないことだろうか。まあカリアラ君だしねえ、と見逃してくれたのはなんともありがたいことである。
「あれなんだ!? すごいぞ、なんかでっかくなったぞ!」
「いやただの風船……聞けよコラー!」
 カリアラは時おり思い出したように戻ってくるが、いきなり叫んだかと思うとまたまっすぐに駆けて行く。当然、履物は下駄なのでからからと騒がしいが、元々ひしめく人間たちがうるさいのであまり気にもならないか。その後を面倒見のいいピィスが追うのが形式化されつつあった。
 今度もまた風船見学から戻ってきたかと思えば、すぐに別の場所に興味を引かれる。
「あっピィス、あれなんだ!? すごく赤いぞ!」
「ああもう走るなって! おサイフ兄さーん、魚がりんご飴に突撃しましたーっ!」
「サイフ呼ばわりするなーっ! あーもー全部持っていけ!」
 サフィギシルは苛立ちのまま、手持ちの財布を離れたピィスに投げつけた。彼女は浴衣も下駄もなんのその、見事に飛び跳ね財布を受け取る。嬉しそうに手を振ると、りんご飴の屋台に並んだカリアラの元に走っていった。
「なんであいつらあんなに元気なんだ……」
 異様なまでの盛り上がりに、普段あまり外に出ないサフィギシルとシラはすでに疲れ気味である。まだ祭りの中央部にたどり着いて、どれほども経っていないのだが。
「あの勢いにはついていけないよな。……シラ?」
 いると思って目を向けた方向に彼女の姿が見えなくて、サフィギシルは何気なく振り返り、気まずそうに口元を引きつらせた。
 シラは慣れない下駄に歩き辛い石畳という状態で限界に至ったのか、何かを堪える真っ赤な顔で、両手を広げて懸命にバランスを取っている。浴衣からちらりと覗いた白い義足はぷるぷると震えていて、見ていて不安で仕方がない。だが必死に頑張るその姿はまるで玉乗りをしている新人ピエロのようにも見えて、サフィギシルは心配するべきか笑うべきか瞬時迷った。
「……ものすごく『足が痛くてたまりません』って顔してるように見えるけど」
「だ、大丈夫ですっ。心配ありません!」
 だがそう言った側から彼女の体はぐらりと崩れる。サフィギシルは慌てて駆け寄り、ふらつく体を支えてやった。
「だから下駄はまだ無謀だって言ったのに。足痛いんだろ、休憩しようか」
「平気よ、このぐらい」
 いかにも拗ねた表情で強がる彼女は相変わらず素直ではない。カリアラの前ではあっさりと弱みを見せるだろうが、サフィギシルに対しては必要以上に強情さを見せる節があった。いい加減その態度にも慣れを感じ始めているので、サフィギシルも呆れたような息をつくだけ。
「そんなこと言ったって、もうその状態じゃ……」
 痛みから嫌な汗すら滲ませている彼女の体を眺めると、これ以上はかなりの痛みを伴うという判断が下される。だがシラはあふれる弱気をぐっと抑え、無理やりに平然とした表情を作っている。口元には作り物の微笑みすら浮かんでいた。
「大丈夫、平気です」
 一度平気と宣言してしまったので、もう後には引けなくなっているのだろう。
 サフィギシルはもう一度ため息をつき、青ざめたシラの顔を見つめ、ふといいことを思いついた。
「じゃ、もうちょっと先まで行こうか。歩けるだろ?」
 かたくなな相手に合わせ、わざと心配するのをやめる。サフィギシルはずれかけた浴衣を軽く直すと、立ち尽くすシラに背を向けて歩きだした。
 え、という呟きが背を引いた。
 振り返らない振り返らない、と心の中で言い聞かせる。
 ゆっくりと足を進める。からころという下駄の音と共に、置き去りにした彼女との距離が少しずつ伸びていく。からん、ころん、からん、ころん、から、ころ。
 その音を止めたのは、飛びつくように浴衣を引いた二つの手。サフィギシルは楽しむような笑みを浮かべてゆっくりと振り返る。
「……どうしたの?」
 強情な元人魚は彼の背中にしがみ付いた格好のまま、真っ赤な顔で悔しそうに口を結んだ。
 サフィギシルはこらえきれなくなったように、可笑しそうに笑い始める。彼にしては珍しく手放しで明るい笑いに、シラはますます気まずそうに拗ねた顔をふいとそむけた。それでも浴衣を掴む両手はしっかりと離さない。離せばすぐに崩れ落ちてしまうほどの状態なのだ。
「最初から素直になればいいのに」
「なんですかそんなことして。子どもみたい」
「どっちがー」
 そう言うと、サフィギシルは楽しそうにまた笑う。
 ひとしきり笑った後で、彼女の体をよいしょと支えた。
「もう帰ろうか。無理しない方がいい。背負ってやるよ」
「せっ……いいわよそんなの。力ないくせに」
「それぐらいなら俺にもできるよ。何恥ずかしがってんだよ、らしくもない。あ、わかった悔しいんだ」
 どうやら図星だったらしく、シラは言葉を詰まらせる。痛みに調子を乱されているのだろうか、珍しく落ち着かない様子で言った。
「べ、別にそういうわけじゃ」
「じゃあ別にいいんだよな? どうせ俺もそろそろ帰りたいところだったから丁度いいよ。帰ろう」
 そう言うと、シラもやむなく思ったのか、こくりと小さく頷いた。
「え、帰るのか?」
 だがその時、屋台巡りからひとまず戻ったカリアラが、割り込むように顔を見せた。
「うわ!?」
 サフィギシルは不意をつかれて声をあげる。シラもまた小さく息をのんでいた。カリアラはそんな二人を不思議そうにきょとんと見つめ、まだサフィギシルの浴衣にしがみ付いているシラの手元に目を向けた。シラは思わず手を離す。そのまま重心を崩してしまって痛む足がふらついた。カリアラは彼女の体を支えてやる。
「大丈夫か? 痛いのか?」
 いつも通りの光景が呆気なく繰り広げられる。
 カリアラはシラの足が弱っていることに気付き、当たり前のように言った。
「じゃあ帰った方がいいな。おれ、運ぶぞ」
 シラの目に動揺が薄く浮かぶ。気まずそうな表情が、窺うようにちらりとサフィギシルを見た。視線を受けて、サフィギシルはつまらなさそうに目を逸らす。ため息と共に顔をそむけると、そのまま体の向きを変えた。
「じゃあ、俺もうちょっと見てから帰る。カリアラ、暗いから気をつけて運べよ」
「おう。あのな、あっちにすごく変なボールがいっぱい浮かんでるところがあったぞ。面白かったからお前も見てきた方がいいぞ」
「あーはいはい。じゃあ行ってくるよ。また後でな」
 サフィギシルはやる気なく手を振ると、いつものようにぴたりとくっつく二人を視界に入れないように気をつけながら、早足で歩きだした。



 二人から離れてはみたものの、あまりにも人が多くてピィスすら見つからず、サフィギシルは目的のないままぶらぶらと歩いていた。すれ違う人々がみんな楽しそうで腹が立つ。さっきまでは自分だって確かに楽しかったのに、と不機嫌なまま意味もなく足を進めた。下駄の歯が石畳に反射して、からころという音がする。からり、ころり、から。
 音がぴたりと止まったのは、いやなカラフルな色合いが目に飛び込んできたからだった。光の下には長方形の浅い水槽、ぷかぷか浮かぶたくさんの色鮮やかなボール、ボール、ボールたち。カリアラの言っていたのはこれのことかと納得し、なんとなく歩み寄ろうとした、その時。
「うわあ!?」
 どん、という衝撃が背中を押してそのまま数歩たたらを踏んだ。からころどころかカッカッというあわただしい音を立てて下駄と体はようやく止まる。止まったので背中に目を向けてみると、ぜえはあと息も荒く疲れきったシラの顔がそこにあった。
「え、え、何? なんで? ……帰ったんじゃ」
 思わず素直に問いかけると、シラは気まずそうにうつむいた。両手だけがしっかりと浴衣を握っている。顔には汗が一筋つたい、無理をしてここまで歩いてきたことを言葉がなくとも教えてくれた。
 サフィギシルはまだ現在の状況を信じることができなくて、まじまじと彼女を見つめる。
 シラは赤くなった顔で、視線はやはり逸らしたままで、しぼりだすような声で言った。
「ぼ、ボール」
「え?」
「ボールすくい……私もやってみたいなー、と。そう思ったから。来ました」
 ぽかんと見つめた表情が、吹きだした笑みに彩られる。そのまま歯止めが効かなくなって、サフィギシルは大きな声を上げて笑った。
「な、なんですかっ。いいじゃないですか別にっ」
「あはははは、だって、そんな必死な顔でっ」
「必死ですよ、どれだけ探したと……ボールすくいをですけど!」
「っははははは! これだけの距離、ボールのために! あはははは!」
「わ、笑わないでよ恥ずかしい。もう!」
「ご、ごめんごめん。じゃあもうやろうか、ボールすくい。せっかくここまでやりにきたんだし?」
「そうですよっ、やりますよもう! このためにここまできたんですから!」
 やけのような発言に、サフィギシルはまた笑う。財布から出して残していた小銭を片手に握りしめ、残りの手を何も言わず彼女に差し出す。シラは少しためらうが、すぐにその手にしがみついて、そろそろと歩きだした。まるで二人三脚のような格好でボールすくいの屋台に近づく。
「……終わったら、責任持って連れて帰ってくださいね。足、すごく痛いんだから」
「はいはい。しっかりと連れて帰ります」
 まだ止まらない笑みを浮かべて言うと、サフィギシルは素直じゃない人魚の手を引きながら、ゆっくりと足を進めた。
 から、ころ、と響く音が、心地よい喧騒の中に消えていく。



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