友人宅から帰ってくるなり、靖子はため息混じりに言った。 「猫欲しい〜」 「うわ、また分かりやすい影響を」 彼女が遊びに行っていたのは最近仔猫が生まれた家だ。まだあどけない仔猫たちに囲まれて、すっかりその気になったのだろう。どちらにしろその家では貰い手探しの最中なので、そう来るとは思っていた。 「だって予想以上に可愛かったよ!? 何あれ、あんな生物いていいの!?」 「いいも何もいるじゃん既に。お母さーん、ヤッコが案の定猫欲しがってるー」 開きっぱなしの裏口に向けて言ってみると、我が家の母は両手にネギをがっつり掴んで家に上がる。 「だーめだめだめ猫はだめ。今どれだけ可愛くても、結局すぐに大きくなるんだから。家の中ぼろぼろになるでしょー」 どうでもいいけどアンタまたネギ取りすぎてるよ。あとあと絶対冷蔵庫内で死に行くよ。 「いーじゃんもともとボロなんだからー! 大きくなっても可愛いって絶対!」 生まれたての仔猫に囲まれてよほど感動したらしく、今日の靖子はいつも以上に熱心に食いかかる。だが我が母はまるで気にもしないように、ひょうひょうと踊るような足取りで台所に向かいつつ呑気な口調で言い切った。 「何言ってるの。第一うちにはもう可愛い子がいるじゃない」 私も靖子もしばしの間、何のことか考える。そしてハッと思い当たり、同じ動きでテーブル上に目をやった。 そこにいるのは母の示す「可愛い子」。全身銀の丸いフォルム、空き缶似の大王だった。 「宇宙人じゃーん!」 靖子は叫ぶが母も諌める。 「宇宙人で十分でしょ! わがまま言わないの!」 なんかすごい会話だなあ。 大王を拾ってきた張本人の母に向かい、靖子は不満を丸出しにした顔でごねる。 「ていうか自分だけ拾ってきといてずるい〜!」 「早いもん勝ちよォ。ささ、ご飯だご飯だ作りましょ〜」 歌うように語りながら鍋を取り出すお母さん。靖子はそれを不機嫌そうに睨みながら、ぶっきらぼうな足音を立てて自分の部屋へと去っていった。 「あれで来年成人ですよ」 「いつまで経っても女は娘の心を持つの〜。わーかーきー、日々ィ〜」 いやだからどうして歌うのお母さん。そんな思いを心に秘めつつ、私は特に意味もなしに靖子の後に続くのだった。 ふと足元に気配を感じ、視線を降ろすと大王が立っていた。とことこと私の後に続いてくる。 「あんたと猫は別格だよねえ」 そう言いながら持ち上げるが、大王はいつものように表情の見えない点目を正面に向けるだけ。私はそのまま大王を連れて、靖子のいる姉妹兼用子供部屋へと歩いて行った。 ※ ※ ※ まあこの妹もふて寝するほどお子様ではないようで、ベッドに寝転び悠々自適に雑誌なんかを読んでいた。 「我が家のナンバーワンを連れて来ましたお嬢様」 「うわ嫌味」 大王を枕元にそっと降ろすと、靖子はすぐに広げた雑誌を奥にどける。まだ買ったばかりなのでエサにする気はないのだろう。猫を欲する妹はジーンズなのをいいことに、ベッドの上にあぐらをかいて大王とにらみ合う。 「あんたには愛嬌がない」 大王はただ点にしか見えない両目をじっと靖子に向けるだけ。 靖子はそんな小さな宇宙人に、手のひらを差し出した。 「お手」 それは犬だ。 「あんたの言う愛嬌って何?」 「えー、なんかこう……『ニャー!』とか」 声じゃねぇか。 裏声でニャーだのミーだの真似を続ける妹君は、ちょっと仔猫に頭をやられている様子。 「あんたはすぐに影響受けすぎ。ガラスの仮面読んだ途端女優やりたい言い出すし」 「い、いいじゃん別に! ていうか昔のこと持ち出すな!」 「だいおーう、ヤッコちゃんは大きくなったら月影先生になるって豪語してたんでちゅよー」 「わーすーれーてー!!」 赤い顔で悲鳴をあげる靖子には構わずに、大王はてくてく歩いて枕の上にちょこんと座る。 なんであんた膝の上に手をやるの。 糸のような足の上に、これまた細い手を乗せて、大王は可愛い姿勢で座っている。写真に撮りたい光景だ。 「ああ、大王も可愛いわ。いいじゃんヤッコ、これだけで」 「大王は別物でしょー。違うの、私は猫と遊びたいの戯れたいの〜!」 「無茶言わなーい。第一あんた解ってんの? 猫は色々獲ってくんのよ?」 ヤッコはきょとんとこちらを見つめる。私はそのどこか呆けた顔に向けて人づてに聞く猫の恐怖を喋り始めた。 「蛾とか鳥とかさー、トカゲとかヤモリまで獲ってくるんだよ? しかもそれわざわざこっちまで見せにくるの。嫌だよ私、ゴキブリなんて取ってきた日にゃもう悲鳴あげるって」 その光景をリアルに想像したのだろう、虫嫌いの妹君は嫌そうな顔をする。整えすぎた細い眉を面白いほどうねらせて、地獄の底からこみ上げるような低く渋い声を出した。 「うーわー……」 面白いので煽ってみる。 「夏はセミが部屋を行き交い〜、更にノミが大発生して痒くなる〜」 「イヤ〜、助けてみのもんた〜」 それは無理な相談だ。 靖子は耳を塞いだままで、ごろごろとベッドを転がる。大王が、それにつられて枕の上を転がった。 「ほら駄目だ。諦めな」 「うええええー」 ぴたりと止まり、濁った声で低く唸る。その音が余韻ごと空気に消えて、部屋が静かになった途端。 「…………でもやっぱり猫ほしーい! ねーこー。ネコネコニャー!」 靖子はどこか壊れたように叫びつつ、短い髪を荒らすように掻きむしった。 だめだこりゃ。そんな気持ちを顔に乗せ、私はふと大王を目で探る。だが枕の上にもベッドの上にも、部屋のどこにも奴はいない。空き缶似の宇宙人は、いつの間にか部屋を去ってしまったようだ。 「ネコネコ〜、黒い可愛い小さいコネコォ〜」 ふてくされて歌い始めた靖子を見やり、私は彼女に流れる血筋を嫌でも確認するのであった。 ※ ※ ※ 異変が起こったのは三十分も経ったころ。晩ご飯を目前にして、そろそろ下から呼ばれるかしらとぼんやり思っていたのだが、聞こえてきたのは食事を告げる母上の声ではなかった。 ガタガタという震動音。まるで震える何かが床にぶつかるような音。思わずがばりと飛び起きたのは靖子にしても同じだった。姉妹揃って緊張を漂わせ、確実に近づいてくる騒音を静かに待つ。廊下に響く震動音は徐々にその強さを増して、詳細な音の気配もこの耳に伝えてくる。震動しながら廊下をゆっくり引きずってくるような音。音源は床に近い低い場所。 近づく気配はドアの向こう側で止まる。 私も靖子も同じことを考えていた。顔を見合わせ同時に頷く。靖子はゆっくり立ち上がり、慎重に、震動音を近く伝えるドアを開けた。 ぶほわ。 だふう。 私たちはとても奇妙な悲鳴をあげる。 大王が、その銀色の丸いフォルムを恐ろしく変形させて、ガタガタゴトゴト全身で揺れていた。 「なんか入ってるー!!」 空き缶じみた体の中で、明らかに生物が暴れている。全身を震動させてその表情すらぶれて消えている大王。上下左右にガタタタゴトトトやばいぐらいに揺れてる大王。 「出せ大王!」 「出しなさい!」 姉妹揃って出した指示はとても絶叫じみていた。大王はぶれすぎてまともに見えない口をぱかりと開く。 スズメが飛び出た。 ツバメが飛び出た。 カラスが飛び出た。 ハトが出た。 「大王――!!」 私たちが絶叫する中、スズメとツバメとカラスとハトは混乱したまま部屋中を飛び回る。窓にぶつかり壁にぶつかり照明に引っかかって床に落ちてはまた飛び上がる。 「ああああ鳥が鳥がこの野郎〜!」 「窓窓窓! 窓から出して!!」 暴れる鳥はとても怖い。 私たちはとにもかくにも外に出そうと窓を開けて鳥たちを本で払い、一羽ずつ青い空へと逃がしてやる。 「あとスズメ!」 「こっち! こっちだっつってんだろバカ!!」 小動物に本気の怒声を浴びせるお年頃の娘二人。もう何に構う余裕もない。なんとか全てを逃がした時には揃って疲労に落ちていた。鳥の羽が散乱する絨毯にへたり込み、ぐったりと頭を落とす。 「あああああ……」 「大王……」 どうやって掴まえたのか、小さな体にあれだけの鳥が入っていたのは一体どんなマジックか。そんな疑問を強く掲げて私たちは奴を見る。大王は、全てが去った静かな点目でこちらをじっと見つめていた。その銀の体は、全体的に土や砂で汚れていた。頭の上にカラスの羽が乗っている。大王は、いつものように大きな口をかぱりと開けた。 「ニャア」 黒い羽がはらりと落ちた。 ※ ※ ※ 「ごめん大王あんた十分可愛いわ」 靖子は大王を膝にのせ、その平らな頭を撫でている。さっきまで汚れていた銀の体は彼女によってきれいに磨き上げられていた。つやが出るのか。初めて知ったそんな事実をぼんやりと転がしながら私は部屋を掃除している。ああ、様々な色の羽が沢山。横目で見るが、靖子はどこかヤケのように大王を撫でるばかり。 「猫になろうとしてくれたのねー。ありがとねー。可愛いなお前ー」 じゃあなんで青ざめてんの。そう言うのはやはりここでは禁句だろうか。大王は思惑の読めない顔で、されるがままになっている。鳥を獲ってわざわざここまで運んだ物体。謎が謎を呼んでしまって解決されない宇宙の神秘。 「ニャア」 大王はまた猫の鳴きまね……に聞こえないこともない、機械的な声を出す。 「あーはいはい猫だねー。大王も猫みたいで可愛いよー」 「よかったねーヤッコちゃーん。一石二鳥だよー」 「わーい、大王ばんざーい」 色んなことを諦めきった私たちは、疲れた声で喋りつつ、ただ大王を見つめるしかないのだった。 その夜、調子に乗った大王が、体内にヘビを詰めて現れるのだが、それはまあ別の話。 大王と言葉遊びシリーズ / へいじつや |