人は夜中、馬鹿になる。 「……なにその物体」 深夜一時の台所。私はトイレに寄ったついでに、らしくもなく手作りチョコレートに挑戦していたはずの妹に声をかける。靖子はゆっくりと振り向いて、とてもとても複雑な笑みをもらした。 「湯せんしてたらお湯が入っちゃって液状になったので、むかついてピーナッツとアーモンドとキャラメルとプリングルス入れてごてごてにしたあとフィーリングで生クリーム入れてみて、さらに直感に任せてゼラチンをぶち込んでみたのを冷蔵庫で固めた物体」 「あんたすごいむかつくわ」 何やってんのお母さんの旅行中。 「自分で片付けてよー?」 靖子はとても嫌そうな顔をして、所在なさげにゴムべらでそれをつつく。ゼラチンのためかなんのためか中途半端なムース状が憎らしい。茶色くてでこぼことした表面からプリングルスが飛び出している。中ぐらいのボールを満たす異様な物体。 「やだなぁ。生ゴミまだだよね? どうやって片付けよう」 「言っとくけど私食べないからね。あんた責任持ってよね」 「言っとくけど泣くほどマズかったよ」 食ったんかい。 「こんな夜中に泣きたくはありません。三角コーナーに流したところで、それ片付けるの私でしょ? やめてよねそういう行動は」 いつも手早く片付けてくれる我が家の母は旅行中。父と一緒に旅行中。 「誰か食べてくんないかなー……」 と、何気なく見回した靖子の目がぴたりと止まる。私もつられてふとそちらに目を向けた。 大王が眠っている。 定位置のテーブルの真ん中で、直立して眠っている。銀色の空き缶によく似たフォルム、だらしなくぶら下げられた糸のように細い両手、ぞんざいに投げ出された細い足。小さな点目は閉じられていてどこが顔かもわからない。いびきもなく呼吸もなく、やたら静かに眠っている我が家に住まう宇宙人。 人は夜中、馬鹿になる。 「だいおーう」 「えー、ちょっとー」 靖子がボールとスプーンを持って大王に近づいた。私はそれを口先では咎めつつも、好奇心が顔に出るのを止められない。 「大王、ほら、ちょっと起きて」 靖子は指先でそっと叩いて奴を起こす。銀色の表面に、ぱち、と小さな目が現れた。 「ほら、ちょっと早いバレンタイン。義理だけどオイシイよー」 「食べるのかなー。ご飯食べたことないじゃん」 大王は紙を食べてその内容を喋る特徴を持つ。うちに来た当初は他にエサをあげようとしたのだが、どれも食べずに紙ばかり欲しがっていた。だからこそ他のものをあげようなど考えもしなかったのだ。 大王は静かな目でにやけた靖子の顔を見る。靖子はスプーンで少しすくい、大王の口のあたりに差し向けている。プリングルスの残骸が、やはりそこにも飛び出していた。 「チョコ。甘くて美味しいよー」 塩味もするんじゃないの。 大王はいつものように、カタカタと空腹の信号を出し、ほんの少しためらうように時間を置いて……食いついた。 「おお」 どういう原理かスプーン上のチョコレートは全て消える。食べ残しは一ミリもない。 「すごい。すごいすごいもっと食べて」 靖子が今度は大盛りで差し出すと、大王はそれも一口。差し出す。一口。差し出す。一口。みるみるきれいになくなっていく嫌チョコレート。それを見ていて私までなんだかムズムズしてきてしまう。 「……ね、ちょっと私にもやらせて?」 人は夜中、馬鹿になる。 手のひらサイズの大王よりも明らかに体積の多いチョコレートをどうやってしまい込んだのかなどはもう考えないことにしつつ、私たちはボールいっぱいに満ちたそれを全て奴に食べさせた。 翌日それを死ぬほど後悔するなんて、考えもせず。 冬休みの朝は遅い。まして親が留守中で、娘二人が残された我が家では。私は醒めきらない頭を起こして部屋の中を見回した。受験を終えて呑気に自由登校としゃれこんでいる妹は、やはりまだ眠っている。時計を見ると十一時半。眠気はあるがまぁそろそろ起きようか。喉がなんだか乾いているので牛乳でも飲みましょうと、ゆるゆると台所に歩いていって、冷蔵庫の方を見て、その隣に同じサイズで立っている大きなものに気がついた。 銀色で円筒状で妙なひもがぶら下がっている、私のアゴまでぐらいの高さがあるそれは 大王だった。 「ほごう!?」 つるつるとした表面に、パチリと大きな目が開く。体長にあわせて膨張したサイズのそれはしっかりと私を見つめ。 「お前の足に 『カモシカです』 と書いてやる……」 と、ぱっくりと口を開いて言った。 私は多分七年ぶりに悲鳴を上げた。 どちらかというと、絹というよりアルミホイルを割いたような音だった。 起きてきた靖子と二人、ただ無言で頭を抱える。ニュー大王の大きさは、そっくりそのまま冷蔵庫一台分。私たちよりは低いのだがそのかわりに横幅がある。手のひらサイズの空き缶をそのまま拡大したような不自然な銀の塊。その大王が、どことなく憂鬱そうにソファに腰掛けたままテレビを見ている。午後は○○おもいッきりテレビ。明るい画面が憎らしい。 「…………」 とてもとても怖いので、部屋の隅に二人揃って体育すわりで泣きそうだ。 「こんな生活もう嫌だ……」 靖子が言って私が頷く。姉妹揃って同じ気持ち。 「なんだろね、ようするに太ったってこと? ダイエットすればいいの?」 「そうかも。でもどうすんの、有酸素運動もままならないでしょこの大きさじゃ」 背が高くなっているのは全て宇宙のせいにする。 「食事制限……は、今してるか……」 燃費の悪い大王にしては珍しく、一度も「エサ」と口にしない。食欲がないだけなのか、大王自身が気にしているのか。どうやらそれは後者であるようだった。大王がいつもの倍の音量でカタカタと音を立てて私たちを見つめている。気がついてびくつきながら見返すと、大王はゆっくりとテレビを手で示した。 「アレ」 みのもんたが喋りながら、ある物体をオススメしている。 バナナにきな粉を合わせると代謝がよくなりダイエット効果がある! この安倍川バナナで痩せてしまいましょうというわけです。 「…………だいお」 「アレ」 私は言いかけた靖子の肩を叩いて止める。振り向いた彼女に向かってゆっくりと首を振ると、靖子は静かにうな垂れた。二人ともが物悲しい表情だ。もう、言葉は要らない。 「バナナ、買ってくる……」 「きな粉もねー……」 大王はテレビを見ている。みのもんたを見つめている。 みのもんたは気がつきもせず専門家と喋っている。専門家は説明をする。 大王は説明を聞いている。 「みのもんたかぁ……」 外出の用意を始めた妹を横目で見つつ、私は疲れて壁にゆっくり体を預けた。 多分、ひどく遠い目をしていた。 こんなに朝が怖いのは初めてだ。そんなことを思いながら私は布団に包まっている。大王は、あれから結局手作りの安倍川バナナを四本食べて冷蔵庫の横で眠った。それから一晩。一体奴はどうなっていることだろう。 「じゃんけん」 もう一つのベッドで同じように横になる妹が手を出した。 「やだ。私きのう第一発見者やったもん。今日はあんたが主人公」 「イヤー、朝っぱらから大王チェックするのイヤー」 布団と共にごろごろと転がるが、こっちだって同じ気持ち。 「案外安倍川バナナが効いて、元に戻ってるかもしれないじゃん。みのもんたはあれで主婦のアイドルだからね、侮れないよ奴の仕事は」 「イヤー、私タモリ派ー」 私だってそうなんだけど、昨日は何故かチャンネルがそこに合ってたもので。大王が真剣に見始めてしまったのでこんなことに。 「ほら、心の準備していきな。明日は私が行ったげるから」 「いーやーだーなー……」 そう言いながら靖子はとろとろと部屋を出る。そして大王がいるはずの台所に着いたそのぐらいに、 はぎゃあ。 と不自然な悲鳴が聞こえたので、私はガタガタ震えながら布団を被る。 「おねえちゃーん! おねえちゃーん!!」 泣きそうな絶叫が私を呼んで、それがいつもの呼び捨てではないので事態が重いと嫌でもわかり、私は泣きそうに怯えながらもゆっくりと台所に歩いていくと、廊下で腰を抜かしている靖子と目が合った。 「あああああれ、あれあれあれ」 開いたドアの向こう側は台所。靖子が指差すその先で、大王は昨日と同じ大きさのまま、 ウエストだけがくびれていた。 「ぐほう!?」 砂時計にとても似ていた。 「ななな、なんでなんでなんで!? ええ!?」 大王が、昨日と全く同じように静かな目でこちらを見ている。 そのウエスト……らしき真ん中が、不自然に細くなっていた。それどころかおわん型のぞんざいな胸まで二つついている。銀色のそれは多分ええとCカップ。 胸付きの砂時計型大王は、かぱりと口を開いて言った。 「ヤ セ タ」 ちょっとカワイイとか思った。 「みのもんた超憎い」 「安倍川バナナ超憎い」 二人揃ってヤケになって超とか言ってる十二時ジャスト。大王はくびれたまま胸付きのまま、昨日と全く同じ姿勢でみのもんたをみつめている。私たちは多少は慣れて、隅ではなくソファの側で地べたに座りこんでいた。床暖房が暖かい。 「でも胸まで付くとはねー。すごいよね安倍川パワー」 大王は私たちを見もせずにただじっとテレビを見つめる。みのもんたを見つめている。その下手なマネキンのようなぞんざいな胸がどうしても気になって、そっとそれに触ってみると、爪が当たってカチリと硬い音がした。 「硬ッ」 慌てて引っ込めようとした手を大王の手に掴まれる……というか触られる。びくりとしてそのまま動きを止めていると、大王は顔をこちらに近づけて、 「お前のまぶたに 『アイ』『プチ』 と書いてやる……」 と凄んできた。 「ごめんなさいもう触りませんごめんなさい」 どうやら嫌だったらしい。慌てて逃げると同じぐらいに、テレビの中でみのもんたがこう言った。 おさらいしましょう。肥満解消のためのパイナップルの食べ方は1日約150g。 食事と一緒、又は食後のデザートとして食べる。よろしいですか? よろしくねぇよ。 心からそう思ったが既に大王の目はその表示に釘付けだった。 「靖子」 妹は静かに頷く。毒を喰わらば皿まで喰らえ。そんな言葉が脳裏をよぎった。 その日、大王はパイナップルを二個食べた。 部屋中に、酸っぱい香りが漂っていた。 次の日見ると大王はとても小さくなっていた。とはいえサイズは約半分。以前のものよりだいぶ大きいけれど、どうやっても視界にはいる大きさではなくなった。だが別の意味でどうしても視界に入る。 大王は、毛むくじゃらになっていた。 「みーのーもーんーたー」 憎々しげに靖子が言う。 「みーのーもーんーたー」 憎々しく私も言った。 もうこんな生活嫌だ。心からそう思うが思うだけでは何にもならない。 大王は定位置のソファの上で十二時を待っている。その白い毛はまるでモップのようで、体に合わせて縮んだ目以外の全てを覆いつくしていた。もう髪の毛なんだか体毛なんだか。 「こういう犬たまにいるよね」 「いねぇよ」 三日目なのでツッコミも荒んでくる。 白くぼわぼわした物体がいつも視界に入る生活。外に逃げてしまいたいが、この状態の大王を長時間放置するのは別の意味で恐ろしい。というか、恐ろしくて家に帰ってこれなくなる。 「明日まで二人暮しかぁ……」 泣きそう。 「もういっそのことテレビ局に苦情の電話しようかなぁ。それかハガキか、メールか、みのもんたを暗殺するか」 靖子もだんだんヤケっぱちになってきたのかそんなことを言い出した。 「暗殺がいいなー個人的にー」 「ファイナルアンサー?」 「黙れ」 荒んでいる。 でもちょっと、オーディエンスがいいな、と思った。 いつの間にか始まったテレビの中で、みのもんたが何も知らず喋っている。今日も今日とて情報を流している。 本日は、赤ちゃんが飲んでいる「粉ミルク」に「コーヒー」を加えて飲みやすくした「粉ミルクコーヒー」をご紹介。粉ミルクが内臓脂肪を、コーヒーが皮下脂肪を減らす肥満解消効果を検証します。 「また買いづらいものを……」 「妊婦に間違われないようにねー」 大王は、毛むくじゃらで熱心にみつめている。 その視線がほんの少し憎らしそうに思えたのは、私の気のせいではないかもしれない。 その日の夕方、私は体重計に乗る大王を目撃してしまい、静かに顔を近づけられ、 「お前の腕に 『いま二時だよ』 と書いてやる……」 と凄まれたので何度も謝るはめになる。 そんな手書きの腕時計はいらない。 そう言いたいが言い出せない雰囲気だった。 大王が輝いていた。虹色に輝いていた。 両手サイズで輝いていた。机の上で輝いていた。 「ありがとうみのもんた」 以前よりは一回り大きいが、かなり小さくなったことがこんなにもありがたいとは。 「ブラボーみのさん。ゴーゴーみのさん」 靖子も静かに喜んでいる。神々しい虹色の大王に向かい、二人でゆっくり礼をした。 礼をして、少しして気がついた。 「大王?」 輝ける大王がぴくりとも動かない。目は確かに開いている。開いていてこちらを向いているはずなのに、目が合っている気がしない。 「ちょ、え、大王?」 思わず駆け寄り触れてみると冷たかった。いや冷たいのはいつものことだが、知っていながら寒気がする。 「嘘、大丈夫? ねえ!」 両手で抱えるほどになった大王を持ち上げる。柔らかい重み。表面はざらついていていつものようにつるつるではない。恐怖心を抱えたままゆっくり上下に振ってみた。すると、いつも通りのころころというかわいい音の外側で、ごったんごったん音がする。まるで、中に何か入っているような音。振り向くと靖子と目が合う。私たちはどちらともなく頷いた。私はゆっくりと大王の頭を掴み、ぱかっと口を開かせる。すると、 中に、いつも通りの大王が入っていた。 「………………」 「………………」 姉妹揃って腰砕けした。 大王は輝いているニセ大王の中で、静かにこちらを見つめている。 カタカタカタ、と懐かしい音がした。 後日、母によって貯金箱にされている輝ける大王皮を発見して腰砕けしてしまうのだが、それはまた別の話。 大王と言葉遊びシリーズ / へいじつや |