二〇〇二年へのカウントダウンも終了し、時刻は既に午前二時。酔った旦那は既に布団の中である。二人の娘も部屋に戻り、眠っているかどうしているか。まがりなき主婦である一人の女性は静まった部屋の中で、こたつに広がる酒宴の後を片付けていた。刺身醤油の乗った小皿、先が汚ればらけた箸、ビールの泡の残るグラス、空になったビール缶。 「…………」 「あら」 だがその缶はほんの少し重かった。彼女は持ったそれを見つめ、自分の勘違いに気づく。 「大王か。ゴメンゴメン」 気にはせずに明るく笑い、そのままコタツの上に置く。 「…………」 大王はその点のような二つの目だけで何か言いたげな顔をするが、女性は全く気にしない。片付けをテキパキと済ませてしまう。 「やーねーいい歳して親に全部任せっきりで。女の子なんだからちょっとは手伝ってもいいのにねー。さっさと寝ちゃって。初夢でも見たいのかしら」 「ハツ?」 「初夢よ。知らなかった? 今から見た夢は本当になるのよ。どんな夢見たいのかねー。あ、そうだ。出し損ねた資源ごみがあるのよー。ちょっと待ってて」 珍しい大王の発言も軽く流し、彼女はすぐに部屋の隅から束ねられた雑誌の山を持ってきた。 「これ、食べていいからね。ちょっと早いお年玉」 ぽん、と平べったい大王の頭に触れる。大王は何も言わない。 「じゃ、オヤスミねー」 そうしてまたいつものように、一方的に去っていく。 静かになった真夜中のコタツの上で、大王は意味ありげに呟いた。 「ユメ」 目が覚めると外は既に暗かった。私は自分がいつ眠ったのか、今日は一体何日なのか一生懸命考えだす。解らないので時計を見ると、八時前。カーテンを明けたままの窓の外はすっかり黒く、遠くにはぽつぽつとよその家の窓が浮かぶ。ということは夜の方か。それにしては静かなのは何故だろう。テレビの音や話し声が少しはしそうなものなのに。不思議がりつつ部屋の隅の靖子のベッドをうかがうが、妹が寝ている気配はない。当たり前かと思いつつ、私はそのまま居間へ向かう。 「あれ」 居間は電気が点いていたが、そこに居るのは靖子だけ。ソファに座って文庫本を読んでいる。 「お母さんは?」 「ん? あれ、もう八時? そういえばいないねー」 「ま、そろそろ帰ってくるか。テレビつけようよ。今日何がある?」 手で指示してソファの場所をあけさせると、靖子は文庫本を閉じて置き、その代わりに新聞を広げてテレビ欄を見始めた。私はそばのリモコンを取り、まず電源だけでもつけておく。スイッチの入った音はすぐに響くが画面はまだ暗いまま。なかなか明るくならない画面の中で、オープニングテーマのような音楽だけが聞こえ出す。 「あ、大河始まるよ。利家とまつ」 「微妙だなー。他になんかない?」 「ちょっと待ってー」 画面がぼんやり現れて、すぐにはっきりと映しだした。どうやらまさしく大河ドラマの始まりのよう。 「ないや。いいじゃんこれ見よう」 靖子が諦め、私が新聞を引き取ったのと同じぐらいの時だった。音楽が佳境に入り、ゆっくりとタイトルが浮かび上がる。その題は…… 利家と大王 「はああ!?」 二人の声が重なった。飛びつくように見つめる画面の中で、人物が唐突に出始める。 利家らしき人が喋る。『大王……』 側近らしき人が喋る。『大王様』 なんかよくわかんない着物姿の人が喋る。『大王!』 『…………』 筋も何もめちゃくちゃに始まったドラマの中で、大王が着物を着て無表情に佇んでいる。 その袖から細い手が懐に伸び、やけに光を浴びながら抜き身の懐剣が取り出されたかと思うと、着物は消えて大王はそのまま華麗にまるで舞いを舞うように、 いっぱい刺した。 「ふご!?」 「うをお!?」 これまたどこか舞うように、着物の人々が血を流しながら倒れていく。その中で大王はくるくると回転しながら大量虐殺を続けている。 利家らしき人が、血を流しながら呆然と大王を仰ぐ。『だ、い、お、う……』 画面は障子に切り替わる。腹ばいになった利家と剣を持った大王の姿がシルエットで映され……大王が、利家にとどめを刺した。血しぶきが障子にかかる。 尺八が流れる。 ぷつ、とテレビが暗転。ふと見ると靖子がリモコンを突き出している。 「……ええと」 一旦止めてまとめようということなのか。静まった部屋の中で、ただ二人して沈黙したそのすえに、靖子がぼそりと呟いた。 「何故ヒロイン」 「違うそこじゃない」 問題はそういう細かい部分ではなくもっと別のもののはず。 「ごめん、考えてもわかんない。もっかいつけていい? チャンネル変えるから」 確かに考えても仕方がなく、悩んでも仕方がなく、回避するしかなさそうだった。これだから宇宙人との同居生活は疲れる。 「ええとー、テキトーに大王がいなさそうなのを選んでー」 どことなく上ずった不自然な声でリモコンを操りだして、私はそれをただ見つめている。 どうか、どうか大王が出てきませんように。 「あ、まんが!」 素早く変える画面の中に、アニメのようなものが映った。 「漫画! いいねぇ!!」 無駄に明るくそのアニメを迎えうける。なんだかよく分からないが、少年たちがスタジアムのような場所に集まっている。靖子が新聞を確認して言った。 「ベイブレード二〇〇二」 「あ、前ニュースでやってた。現代版のベーゴマなんだよね」 たまたま目にしたそのおもちゃはどことなく装飾過多で大仰に思えたが、今はそんなのどうでもいい。 「ほら、今飛ばすっぽいよ」 画面の中で、主人公らしき少年が取り出して、構えたのは…… 大王。 「ふぎゃあ!」 「へごお!!」 『行けっ! 大王!!』 「行くなー!!」 異口同音のツッコミは絶叫となり、大音量だが何一つ変わらない。ただ見えるのは画面の中で高速回転する大王。アニメタッチの我が家の大王。逆方向から対戦相手のベイブレードが飛んでくる。 「ぶつかる!」 と、思ったその時。大王は回転をやめ、その体のねじりを利用して遠心力で、ベイブレードを蹴飛ばした。 「…………」 「…………」 『くそっ、結局最後に勝つのは足の力か……ッ!』 ライバルらしき少年が、悔しそうにうなだれる。 その肩を、大人の身長ほどに巨大化した大王がポンと叩いた。 「…………」 「…………」 電源を切る。 「…………」 「…………」 私たちも、何も言えずうなだれた。 大王は来なかった。 大王が踊っている。小さくなって踊っている。 秘密基地で踊っている。ハムスターと踊っている。 「だーいすきなのはァー、ひぃーま」 「黙れ」 画面とは裏腹に、殺伐とした現実世界で姉妹揃ってすさんでいる。 「加奈子ー……なんで大王だけ箱ステップなのー……」 「しーらーなーいー」 「なんでノリノリでツイスト始めちゃったのー……」 「しー、らー、なー、いいい〜」 大王が踊っている。ハムスターは引いている。 『大王くんは、ちょっと調子に乗りすぎるのだ』 「うん、私もそう思うよハム太郎……」 「やすこー、帰って来ーい」 ハムスターに語り始めた妹に、私はゆっくり手を振った。 宇宙船の中のような背景で、近未来型の服を着た人たちが普通に過ごすアニメーション。その絵は懐かしく見覚えのあるものだった。 「ヤマト。再放送」 「解ってる」 大王の姿は見えない。だがどこから現れるか解らなかった。さっきだってしっかりと新ドラマの子役に扮して俳優に接近していたのだから。 「……どこから来るか……」 私たちはにもう予測がついていた。あとはただ、確かめるだけである。 ヒゲのえらい人が真っ直ぐに指を指し、凛々しい声で言い切った。 『大王、発進!』 たーたーたかたたーたー。 「…………」 「歌えば」 「……嫌」 もはやコメントすらままならない私たちの目の前で、巨大な大王が宇宙の中を進んでいく。ゆっくりと、誰にツッコミを入れられることもなく。そんな中でお馴染みのテーマソングはゆっくりとサビに差し掛かるのであった。 うちゅーうせんかん だー、いー、おーう。 「間違ってる……」 靖子の言葉に私はゆっくり頷いた。 「エサ」 カタカタ。カタカタ。耳に馴染んだいつもの音で、私はパチリと目をあけた。 そこには糸のような長い手をこちらの額にくっつけている空き缶似の宇宙人。 小さくも大きくもない、いつも通りの大王の姿だった。 「エサをくれないと、お前の耳に『へみにん』と書いてやる〜」 「……大王」 言いたいことは色々あったが、まず起き上がり、聞くよりも確実なのでその口に手を突っ込む。そしてそのまま裏返し、以前のように乳白色の裏地を見た。大王の食べた物が記録されたその裏地には、しっかりとテレビガイド特大号が貼り付いている。 「………………」 現実的に考えるのはこの際もうやめてしまおう。この大王に関してだけは、まさかなんて通じない。そう頭で言い置いて、大王を表に戻す。表情を読み取れない小さな目がただ静かに私を見ている。 「あんた、夢、見せた……?」 ただ、静かに私を見ている。何の反応もなく、いつものように意志の疎通がイマイチなまま。 「……いいや。あけましてオメデトウございます」 私は諦めたため息をつき、定例の挨拶をして頭を下げた。 大王も体全部をペコリと傾け同じように真似をする。 「アケマシテオメデトー」 電子的な機械音で、どこか可愛く言い切った。ころころと小さな音が残って響く。 私は思わず少し笑い、そして強く強く思った。 正夢になりませんように。 大王と言葉遊びシリーズ / へいじつや |