「真夜中、お前の額に『こんさば』と書いてやる……」 私を昼寝から起こしたのは、こんな珍妙な台詞だった。 「……大王」 私は上半身にちょこんと座り込んでいる、空き缶にそっくりな地球外生命体をつまんで下ろす。 「どうしよう、メル友を本気で好きになってしまいました。長野県の『たっくん大好き』さん」 「今度は何食べちゃったの〜も〜」 汗だらけの体を手のひらで拭きながら、私は大王の正式な餌を取りにトイレに向かうことにした。 皆さんは覚えているだろうか、一九九九年七の月、恐怖の大王が降ってくるとかいう話。結局何事も無かったと忘れているかもしれませんが、ちょっと話を聞いてください。大王は二年前からここにいます。いやどう見てもフタのない空き缶にしか見えない姿でありますが、なんか本当に恐怖の大王らしいです。それでですね、この大王。特に害はありませんが重大な欠点が一つ。 紙を食う。 そしてその食った紙の内容を、バカみたいにつらつらつらつら喋るのです。しかも燃費が非常に悪く、うるさいったらありゃしない。他は別に無害です。 いや、一つだけ恐怖っぽい仕事がありました。一時間に一回ぐらい、奇妙な脅しをやるのです。脅し。いや脅しのつもりらしいんですが。 「真夜中、お前の目元に『目力超アップ』と書いてやる……」 こんな感じで全然怖くありません。駄目じゃん。 「大王〜あんたここに積んでたいらない雑誌食べたでしょ〜」 「春メイクはこれで決まり」 確かあれは、去年の冬から先々月までの号だった。だから何だか古いのか。 私は空っぽの買い置き棚から帰還して、いつものように食べた言葉を連呼している大王の近くに座る。私はソファで、奴は机。 「エサ」 「あ!?」 大王の糸の様な細い手が、何かチラシを掴んでいる。今にも食べんとばかりに口を開いたその瞬間に、私はチラシを救出した。 「あー……特売」 チラシについての事ではない。その裏に書かれていたお母さんの書き置きだ。 「ただいまー」 妹が帰ってきた。私はお帰りと言って目線だけで出迎えるが、 「美男料理自慢、バトル8」 大王はこの調子で迎え撃つ。 「は? 何また誤食したの?」 手持ちの鞄を私の隣に投げ込んで、靖子はその場に座り込む。丁度クーラーの真下だった。 「あっつー」 「春野菜のファルファッ……ファッ……」 カタカタと大王自身が音をたてる。エサ切れの信号だ。 「ティッシュあげなよー」 いや、それがね妹よ。 「きれてんの。カラッポなの。特売で安いからって、今お母さんが買ってきてるとこみたい」 「えええええー」 嫌そうにだるそうに、靖子は机に倒れこむ。私も同じ気分だった。 お母さんが「あらカワイイ」と大王を拾って二年になるが、奴は何も変わらない。相変わらず紙を食べてうるさくウザく喋るだけだ。そのどこら辺がカワイイのかはお母さんにしかわからないが、とにかく喋りは勘弁だ。というわけで、大王のエサはもっぱらシングルサイズのトイレットペーパーなのである。ぐるぐると解きながらもそもそと食べる姿はどことなく嫌そうで、やっぱりインクが無くちゃだめなのヨーと母は言うがそんならアンタが飼ってくれ。と言っても無駄なことなので、今日も彼はティッシュを食べる。……筈だった。 「なーんで箱ティッシュも無いかなぁ」 「お母さんがふきん無くして全部ティッシュで拭いてるから」 駄目主婦だ。 「エサをくれないと、お前の背中に小泉総理と書いてやる〜」 「新聞食べさせるのやめてよー。頭痛くなってくる」 「ヴィッツ・トクベッツ」 うるせー。 「なんかもうちょっと娯楽っぽい紙はないの?」 「でもなー、要らなくなった漫画喋らせてもうるさいし」 以前一度だけやった事があるのだが、効果音まで熱狂的に喋るのだ。しかも食べさせたのは『ジョジョの奇妙な冒険』で、もう凄い事になっていた。あれを繰り返すつもりはない。 「要らない紙要らない紙ーっと」 現在、姉妹二人で押入れを探っているのだが、古新聞すら片付けられて見事なまでに綺麗な状態。 「今朝資源ごみだったんだよね、そういえば」 「最悪ぅ」 さらにその後ろでは、大王がマイペースにテレビ欄の番組名を連呼していて耳障り。 「車椅子の弁護士・水島威8・死体の口からダイヤモンドが!」 「は!?」 「反応しない反応しない」 サスペンスにはよくある変なサブタイだから。などと言っていると、奥のほうに見覚えのある段ボール箱を発見した。これは確か受験が終わった時に封印した……。 「ヤッコ、あの奥の箱取って」 「何か紙が入ってんの?」 聞きながらも靖子は素早く小柄な体で奥に入る。 「多分ためにはなるんじゃない?」 大王が、カタカタとエサ切れを知らせだした。 「こんにちは、北条政子です」 開口一番変な台詞で靖子はその場に倒れこんだ。 「もう、夫が死んでおおわらわ! でもワタクシの素晴らしい演説にかかれば誰もが涙を隠せません」 「なんでよりによって進研ゼミぃいい」 私があげると言ったのに、受け取らなかった古いテキスト一式だ。ちなみに現在歴史を消化しているらしい。 「イヤー、テスト終わったばっかりなのにイヤー」 ぶんぶんと首を振るが、今度はあなたが受験生。せいぜい学んで頂きましょう。 「農民。『わしらも一生懸命米を作っとるのに結局暮らしは楽にならん。一揆じゃ!』」 「イヤー、時代が混ざるぅう」 なにしろ総集編だから。まとめの追い込み編だから。 「穴埋め最終確認テスト!!」 「イヤー、その言葉はもうイヤー!」 高三の夏はこれからだ。 「いやー、ごめんごめん買いすぎちゃって」 そう明るく言いつつ帰ってきたのはお母さん。両手いっぱいに安売りのトイレットペーパーを抱えて置いて、また車に取りに行って三つ抱えて……って 「まだあるの!?」 「それが一人二つまでって言うのよー! だから知らないコに手伝って貰っちゃったワハハハハ」 いや、それあんまり笑い事じゃないような。 まぁいいかと一つ取って、私はその半透明のビニールから透けた中身を見て絶句する。 「あ、カワイイでしょそれ! 一つ一つに星占いが付いてるの!!」 アハハと笑うこの母は、実はとんでもなく頭が悪いのではないかと疑いながら首を振った。 「やったね! 道でお金を拾うかも!」 もそもそとカレーを食べる午後七時。女三人テーブル囲んで無言で食事を進めつつ、 「ちょっぴり素直になれないかも……ラッキーアイテムはカキ氷」 壊れたように延々と占い続ける大王を、一所懸命無視に励もうとする。 「水族館で昔の彼とバッタリ!」 「うるっせー!!」 だが無理があったようで、靖子はその辺に転がっていた紙を丸めて大王に投げつける。そしてそれはそのまま奴の食事になってしまう。 「倒・産・覚・悟!」 ブランド名をつらつら綴る空き缶のような恐怖の大王。イン二十一世紀。 世界は平和だ。 大王と言葉遊びシリーズ / へいじつや |