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 サフィギシル宅の居間と台所の間には背の高い食器戸棚があり、外国製のそれは中央に正方形の空間がある。どうやら食卓に置ききれない料理や食器を待機させる場所らしいが、普段は花を飾っていたり、サフィギシル手製のメニュー表を立てて使っていたりする。その仕様用途が曖昧な空間に見慣れないものをみつけて、ピィスは軽く首をかしげた。
「兄さーん。これなに?」
「だからなんで兄さんとか言うんだお前は」
 部屋の片付けをしていたサフィギシルは不愉快な顔を向けるが、ピィスの手にささやかなガラスのベルを見つけて途端に口をゆるませる。
「うわ、笑った。なにこれそんなに嬉しいもの?」
「嬉しくはないけどさ」
 照れと悔しさを混ぜたしぐさで顔を押さえて彼は続ける。
「今、それで実験してるんだ」
「実験?」
「そう。あいつらの反射の」
 わからないピィスが眉を寄せると、サフィギシルはふふんと胸でも張りそうな態度になった。
「魚の飼い方の本に書いてたんだけどさ、餌をやる前に水槽を叩くのを習慣にすると、魚はそれを餌がもらえる合図だと理解して、水槽を叩いただけで寄ってくるようになるんだって。だから……」
 ピィスの手からベルを取って、軽く鳴らす。すると横庭にいたらしきカリアラが、窓から顔を覗かせた。
「ほらな」
 反射的に現れた元ピラニアをあごで示し、サフィギシルは羨ましがれといわんばかりの笑顔を見せる。
「いやそんな得意げな顔されても」
「そうですよっ」
 廊下側からシラの声。ピィスは、サフィギシルがまたカリアラで遊んでいることに対しての抗議かと考えたのだが、元人魚はその整った顔を屈辱に赤くした。
「紛らわしいじゃないですか。意味もなく鳴らさないでください!」
「あ、しつけられてる」
「ほらな」
 サフィギシルは喜びをますます濃くしてベルを掲げる。
「いやだからそんな得意げな顔されても」
「いや、これは便利なんだよ。わざわざ飯だぞって呼びに行かなくても、ちゃんと集まってくれるんだから」
「サフィ、おれまだあんまり腹減ってないぞ。食うのか?」
「約一名、徹底的に理解してない奴がいるんですが」
「まあこれも教育のうちだ。こうやって騙され続けることで、少しは人を疑うことを覚えるんだよ」
「サフィ、なんで最近いっぱい鳴らすんだ? 魚がいっぱい泳いでるのか?」
「お前、単に面白くてやってるだけだろ」
「いやー、動物の行動って不思議だよなー」
 反射を覚えた魚たちの行動が楽しくてしかたがないのだろう。常習犯らしきサフィギシルは気まずげにベルを隠し、きょとんとするカリアラに何もないと手を振った。



 澄んだ鐘の音がして、サフィギシルは本に埋もれていた顔をあげた。しまった、うっかりと熱中してしまっていた。食材は何が残っていただろう。そうだ、近所の農家の人にもらった野菜があふれていたから、今日はあれとあれを炒めて……と考えながら居間を抜けて台所にたどりついたところでピィスをみつけてハッとする。嬉しげに笑うその手には、ガラス製のベルがあった。時刻は、夕食の準備にはまだ早い。
「いやー、動物の行動って不思議だよなー」
「…………」
 彼がしていたのと同じ笑みで繰り返す友人に、サフィギシルは赤らむ顔を両手で覆った。



“自慢げ”


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